第3話 彼の言い訳




 一行は山の辺の道をはずれ、神山へと進んだ。


 都近くの官道は整備され牛車での通行も可能だったが、山裾からの道はさらに狭くなる。

 牛車を捨て、天祥の馬に夜鳴媛が同乗することになった。ナカテと衛士たちは、その場で帰りを待ち、山道に入るのはふたりだけだ。


「大丈夫にございますか」と、ナカテが聞く。

「それはわからないけど、戦いは彼ひとりで十分な気がする。彼が無理なら、他の人がいても無駄でしょう」


 御簾をあげ、外を覗くと、馬上から天祥が手を差し出している。彼女は、その手を取ろうかどうかためらった。


「お待ちのようにございますが」と、ナカテが無情にいう。

「ナカテ、代われ」

「媛さま、わたしは何か悪いことを致しましたでしょうか。たぶん、前世にでも」

「あなたの前世は、わたしの足もとに転がる敷物だわ、きっと」

「いたみいります」


 ナカテに向かって顔をしかめ、夜鳴媛は牛車から降りると、表向きは素直な様子で──天祥が見せた人間技とは思えない神の領域の強さ──など、まるで些細なことのように彼の手を取った。


 実際にはビクビクしていたのだが。


 彼女は自分を偽ることが得意なのだ。もしかしたら、もっとも得意分野なのかもしれないとも思う。


 そんな思いを、おそらく天祥は想像もしてもいないだろう。男というのは、どんなに容貌が優れようとも、あるいは、そうでなくても自分に対する女の思いを誤解するようにできている。

 それが、斎宮での滑稽な男女の誤解を観察してきた、彼女なりの分析だ。

 ともかく、彼女は彼の胸に包み込まれるように、馬上へと乗るしか他に術はなかった。


 先ほどの戦いで、天祥の衣からかすかに血の匂いがする。


 こ、怖い……。

 怖いが。

 もっと恐ろしいのは、彼のことを知りたいと思う自分自身の心だった。その感情は恐怖からの防衛本能なのか、それとも別の感情なのか、それに明確な言葉を与えたくないとも思う。

 言葉を与えれば、彼女を縛る言霊になると容易に想像できた。


「では、参りましょう。それから、どうか、わたしを恐れないでください」

「ここがもっとも安全な場所だってことは、深く理解している」


 そうではない。

 ここは『理解しております』と、慣れない敬語を使うべきだ。

 大丈夫だろうか。

 この態度にいつか彼の忍耐が爆発しないだろうか……。などと怯えているなど、決して表に出してはいけない。


 夜鳴媛は軽く首をふり、自分の言葉足らずな態度を説明しなかった。

 これまでも、これからも、彼女はそんなふうに生きてきたし、生きていくつもりだ。恐れを知らない神巫としての自分を、どこまでも演じるつもりだった。


 彼女は自分の心の奥底に巣食う、誰にも言えない……、言えば、崩れ落ちそうになる、その思いを『孤独』と名づけてきた。


 同様に、天祥が孤独に生きてきたことも容易に想像できた。

 彼の容貌、彼の能力、なにもかも並外れたものを授かって生きるしかない男。それが彼を人びとから離れさせ、孤立させるにちがいない。

 それは、夜鳴媛も同じだ。


「子どもの頃から強かったのか?」と聞いたのは、彼のことを知りたいというより、親切心からでた言葉だった


「いえ、この能力は幼い頃はありませんでした。十八歳を境に突然に得た力です。『契約の契り』によって、さらに強化されたようですが。さすがに百を超える軍馬に、ある程度は手こずると思いましたが、あまりにも簡単でした。正直に告白すれば、自分でも恐ろしい」


 天祥は馬上で、まるで悪いことをした人のように言い訳した。長い間、ずっと誰かに理解されることを望み、それが叶わなかった人のように。


 彼は優しいのだ。

 馬上で彼女が心地よく乗れるように気を使い、少しの揺れでも「大丈夫ですか」と会話のあいだに気遣う。

 その様子は思いやり深く、彼女を感動させるには十分だったのだが……。


「あなたの家族は、その力を知っているのね」

「わたしの父は、この力を抑えこもうとしていました。……できないと知って酒浸りになったのです。父は自信家で自負心が強い家長でしたから。れん家の血が自分ではなく息子に継がれたことに、自尊心を深く傷つけられたようです」

「理不尽だわ」

「そうでしょうか。昔から、れんの血筋は、『ジンを殺す者の末裔』としてあるのです。その力を得られなかったことは、父にとって自分の存在自体を拒否されたと感じたのでしょう……」


 天祥は静かに語る。

 ふたりは、それからも何気ない気遣いとともに、大切なことを、あるいは、どうでもいいことを語りながら進んだ。


 道は、どんどん狭まり、足もとが悪くなる。ついに、天祥が、「これ以上は無理でしょう。歩いていくしかありません」と降参した。


 彼に支えられて馬上から降りると、彼は馬の尻を叩き麓へと追い返した。


「先を急ぎましょう。もう夕暮れです。暗くなる前に到着できるといいのだが」


 彼が手をさし出し、夜鳴媛は素直に従った。


 ふたりは会話が途切れるのを恐れるように、常に話しながら山道を歩いた。

 そうしなければ、抱き合うか、あるいは、逃げ出すか、いずれにしろ、困ったことになると予感したからだ。


「婚礼の儀式に乱入する、酒乱のような自分の父を不快に思ったはず。なぜ、あんな行為を許している」

「あなたならどうしますか」

「わたしなら、怒鳴って、叫んで、蹴り倒す」


 天祥は低い声で笑った。その声が心地よく耳にひびく。


「そうしようと思ったこともあります」

「なぜ、しない?」

「父を隠蔽することはしません。気の毒な人だからです。神の名を借りねば動かせぬ政事によって、……そして、神の名でなければ封じられぬが存在している限り、父はそれに耐えなければならないのです」


 彼の父を理解することは、夜鳴媛にとって容易かった。おそらく、天祥よりも理解できると思う。

 この宿命からどう逃げるのか。彼女はずっとその機会を模索してきたからだ。

 しかし、この男は違う。自分の義務と責務にどこまでも忠実にまっすぐに向き合おうとする強さがある。


「あなたは異界で生まれたと聞いたわ」

「それは事実ではなく、まったくの嘘です。わたしはれん家のあの屋敷で生まれ、実母は難産のすえに亡くなりました。わたしの能力があらわれると、異界で生まれたなどという世迷いごとが、まるで真実のように語られたのです。いわく赤い月が天に昇ったとか、星読みたちの吉兆を占う水盤がこわれたとか。まことしやかな嘘も多く付け加えられました」

「誰しも、理解しがたい現実に理由を求めるようね」

「わたしたちの能力が目覚めたのは、異界で何かが起きた兆しだと思っています」

「それは」

「まだ、わかりませんが。村に行って調査すれば、これが、ジンのなせる技かどうか、おそらくわかるでしょう」


 森は深く、道はどこまでも険しい。

 途中、岩だけの道をすべらないように歩くのは困難を極めた。


 夕闇が迫る。


 左右に杉が育つ山林を抜けると、ついに崖先に到達した。急に視界が開け、下に小さな集落が見える。

 村に到着したのだ。


 夜のとばりがおりたが、天にはほぼ満月にちかい月がかかっている。うすら冷たい蒼色に、まるで誰かの意思のように地上を染めている。

 谷底の村を照らすには月の光りでは弱いのだが、それでも、はっきりと村が見えた。


 村全体をぼうっとした光がおおっているからだ。


 この光は、と夜鳴媛は気づいた。斎宮の地下『禁足の間』を永久に照らしつづける、消えない灯りに似ている。

 



(つづく)

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