神託により契約の契りを命ず
雨 杜和(あめ とわ)
第一節 前編
第1章
第1話 斎宮にあらわれた勅使
ジジジジジ……ジジッ–––––
かすかに
「
御簾内にいた
廻り廊下の先から騒々しい声が聞こえてきたのは、そんな時だった。
「
宝玉のような瞳が光を帯びる。
銀色にちかい薄青髪のあいだから、透明感のある顔立ちが浮き上がった。
心のすべてを見透かされそうな、どこか凛とした知性と哀愁をもつ表情には、気高さと無垢さを併せもつ少女のような儚さと、『神域』の守護者たる尊厳が同時に宿っている。
彼女がまとうのは、典雅な
白小袖は吸い込まれそうなほど純白で、動くたびに金鱗魚のような淡い光沢を帯びる。袴の裾には黄金の縁取りが施され、静謐な配色の中に尊厳と重みをもたらしていた。
それは、ただ美しいだけではない。
神秘なる存在感。
透き通るほど美しい容姿のもつ品格。
そこに宿る清廉と気高さは、見る者に自然と息を止めさせ、敬意とともに守るべきものという庇護欲を自然に抱かせるのだが、他人を寄せ付けない近寄り難さがそれを
彼女は無関心を装いながら周囲を
その視線を受けて、長く耐えうるものはいない。美も過ぎたれば暴力に近く、それゆえに孤高を強いられた……。
神巫として厳しい修行をしてきた夜鳴媛にも、かつては普通の少女だったことがある。
人を超越した神聖さを身につけるため、物心つく頃から血の滲むような努力をしてきたのだが、それを知るものは少ない。
「神巫さま、珍しいことにございますが、朝廷より勅使が参りました」
珍しいというより、大事がおきたのであろうと、
神代の代から連綿とつづく
神秘の
本殿にある両開き戸が開き、いきおい強い風が室内を通り抜ける。
風とともに三人の官女が入室し
「勅使の
大和政権において、
本来なら
言葉をかけた官女はうずくまったまま、うわ目使いに様子をうかがう。
「申しなさい」
几帳の影に控える侍女が、救いの手を差しのべるように声をかけた。
「つ、謹んで申し上げます。大王さまより、契約の
「……」
扇で床をたたくようなコトンという音が几帳の奥でした。
しかし、返答はない。
無言の時が過ぎる。耐えかねた官女が声をついだ。
「星読みによりますと、数日前から星の配置に乱れが生じているとのこと、凶兆にござります」
そのような予兆を、まったく気配も感じなかった。しかし、星読みたちが読み違えるはずはない。では、自分の力が弱まったのか。
「契約の契りは火急を要しますゆえ、ご準備のうえ、すぐにでもご出立いただけますようにお願い申しあげます」
勅使の
彼女の背後に控えた若い官女ふたりも、同じように額を床につけ、同じようにかしこまり、同じように次の言葉を待った。
まるで、よくできた三体の操り人形のようだ。
……そう
いや、少なくとも平緒は朝廷に勤めて長い、権謀術数の中心で生き延びた古参だ。案外と心を読んでいるかもしれない。
「何があったのだ」
「西南にある村が、一夜にして死に絶えましてございます」
「承知」
声は低く、ささやき声に近いが不思議とよく通る。まるで心の臓に直に語られたかのように、官女たちはビクリと身体を震わせた。
彼女たちが恐怖を抱くのは、
「畏れ多いことにございます。つきましては、
「明日」
「かしこまりましてございます」
官女たち三人は同時にほっと息つくと、両手を床につけ深く一礼、身体を前向きに頭を下げたまま静かに後ずさった。
後には静寂だけが残った。
今日は朝から雲がどんよりと低くたちこめ、昼なお薄暗い。
午后から、ことさら風が強くなった。都では、このごろの気候に異変を感じた人びとが、これは
「
侍女として控えているナカテが媛の代わりにうなづく。と、時をおかずバタンバタンと音を立てながら
同時に灯籠を掲げた侍女たちが入室する。
すり足で所定の場所に灯りを置いていく姿は典雅であり
彼女たちは仕事が終わると逃げるように、すり足で室内から去っていく。
入り口の扉が静かに閉じた。
この斎院には多くのものが仕えている。
警護のものも含め二十人はくだらないだろうか。彼らは夜鳴媛の世話をし警護するという名目のもとに、未来永劫、彼女をこの場に閉じ込める看守でもあった。
だからこそ、夜鳴媛が心を許す相手は侍女のナカテ以外にいない。
官女たちが下がり、腹心のナカテだけになると、
「まったく、無理。ほんと、無理」
「
「やめてよ、ナカテ。その呼び方はイラつく」
ナカテと呼ばれた古参の侍女は、これまで几帳の隅に隠していた姿をあらわした。
「それで、朝廷ではどうしているの? 調べてくれた?」
「残念なことにございます」
「あんたが丁寧語を使うときって、ろくな報告がないときね」
「ご明察にございます」
「では、契約を……」と言って、彼女は次の言葉をのんだ。「するしかないのか」
「媛さまは御年二十一にございます。遅過ぎたとも言えますけど」
「わたしの婚姻に遅いも早いもない。神と朝廷との単なる契約なのだ。村人に災難があったことで早まったか。どうやら朝廷は大騒ぎのようだな。民をなだめるための神事でしかないが。で、相手は?」
「
莲氏は大王の血を引く名家であり、父は神祇官を担う最高権力者。
その息子である天祥は、刑部省(警察の役割をする部署)の
非常に有能だが冷酷無慈悲な人物としても有名である。
都から遠く、斎宮に住む彼女からは遠い存在だが、それでも風の噂に聞くほどであった。
曰く、自分の出世のためには容赦なく政敵を闇に葬る。
曰く、斬首、処罰するにとまどいもない。
曰く、感情が薄く、笑ったことがない。
「か弱いわたしの夫は、冷酷無慈悲な鬼のような男か」
「いえ、媛さま、そこはちょっと違うかと。かよわいという形容詞には語弊が。むしろ、相手さまにご同情申し上げます」
「ナカテ、いつからそっち側についた」
「なかなかに美形と聞いておりますから」
夜鳴媛は声をだして笑った。
「そこか」
夜鳴媛は先代の神巫によって育てられた。
実母の顔も知らず、この人里外れた裏寂しい斎宮で育ち、孤独に生きることを強いられてきた。
「わたしと契りたいなどと、愚かものだな」
「嫌なのですね」
「当然よ。知りもしない男となんて、全力で逃げきってやるわ。そんな迷信で民の災難が防げると思うほど、朝廷も愚かもの揃いではなかろう」
「何が恐ろしいって」
「何よ」
「媛さまなら、きっとやり切ることでしょうから」
「よくわかっている」
過去の素直で無知な自分なら、きっと悲嘆にくれたことだろう。が、今は違う。
自分が異質なことを認めている。
人は自分が何者かを理解したとき、強くなれるものだ。
ならば、異質なりに運命に抵抗するしかない。政争の道具になどならない、まして朝廷の駒になど決してならないと心に決めていた。
(つづく)
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