第2話 無職との攻防

俺は、彼女がシフトに入る夕方5時に、毎日このファミレスに訪れることが日課となっている。無職の俺にとって、ファミレスで毎日外食するのはかなり財布に響く。

しかし、それもこれも全て、彼女に会いに行くためと思えば大した痛みではない。

金がなくなればまたババァに無心すればいい。

ピンポーン。


呼び出しボタンを押した後、僕は彼女がオーダーを取りに来ることを期待して胸が高まったが、来たのは短髪で釣り目の女子高生だった。


「注文お伺いいたします」

目も合わせなければ愛想もよくない。それに最近のガキはませているのか、ほのかに香水の香りがする。オレンジの匂いだ。まったく仕事をしているという自覚はあるのか。それにわざわざ俺が出向いてきてやっているというのになんだこの態度は。お客様は神様なんだぞ。そんなんじゃ社会でやっていけないぞ。


この一回りは年下であろうこのガキに説教をしてやりたかったが、その姿を彼女に見られたら怖がられてしまう。

ああ落ち着かない、冷静にならないと。

自分にそう言い聞かせ、あごの無精ひげを触る。

俺は大人だからと、喉から出そうになった言葉をぐっと飲みこんだ。


「......ドリンクバーと山盛りポテトで」

「はい?」

「ドリンクバーとポテトで!!」

耳が悪いのか、仏頂面で聞き返したこのガキに、つい感情的に怒鳴ってしまった。

周囲のざわめきも一瞬静まり返った。

いけない、彼女に悪い印象を持たれてしまう。

このやりとりを彼女に見られたかと焦って周囲を見回したが彼女は見当たらなかった。

とりあえず見られてはいなかったようで一安心。

あと、無愛想だからと目の前のJK店員に怒鳴ったことにも反省しなくては。

こいつだって同じアルバイターなのだから彼女と会話だってするし、こいつから見た俺の印象がよければ彼女へのポイントも高くなるはずだ。


落ち着かない手でよれよれのTシャツの袖をいじりながら、彼女に一言謝ろうと向き直ると、不愛想なJK店員は一瞬驚いた様子で目を見開き、そして俺をじっと見つめた。


なんだこいつ、ってウオッ!

唐突に、不愛想なJK店員は俺の右腕をぐっと掴んできた。

身体が冷えているのか掴んできた手は冷たかったが、掴まれてしばらくすると、その手が熱を帯びたようにぐっと熱くなった。

その熱がまるで生き物のように腕から肩へ、そして頭にまで伝わる感覚がして、思わず掴まれた腕を振り払う。


「な、な、な、な、にっ!!」

いきなり腕をつかむなんて、こいつ頭おかしいんじゃないのか。

「ドリンクバーとポテトでよろしいですね?」

「は?」

不愛想なJK店員は先ほどまでの行為がなかったことのように店員としてのオーダーの受け答えを淡々と行っていた。

「すぐにお持ちいたします」

そう言って颯爽とキッチンの方に向かっていった。


さきほどまで身体に伝わっていた熱は引いていたが、周りからは余計な注目を浴びたことで冷や汗をかいた。注目されることには慣れていない。

むしろ、他人から向けられる目線が嫌いだ。

見るな。俺をそんな目で見るな。

何を言われてるわけではないのだが、責められているような気になるのだ。

俺は自由人である自分が好きなのだ。勝手に敷かれたレールに乗って勝手にルールに縛られてそれを他人に許容する愚民とは違うのだ。

気のせいか、周りの声がやけにうるさく聞こえる。


――あの席に座ってる無精ひげのおっさんきもくね?

――いるよねーああいう変な客。絶対関わりたくないわ。


他のテーブルについている客はある程度距離が開いている上に大声で話しているわけでもないのに、まるで耳元で囁かれているとさえ感じるほどはっきりと、脳に直接響くくらいに聴こえる。

冷や汗が止まらない。


――周りの事も考えろよ、いい年こいて。

――てかこの時間帯にファミレスいるっておかしくない?仕事してないの?


違う。俺は自分から働かないことを選んでいるだけだ。今は好きなことを探している最中なだけだ。周りに合わせて顔色を窺ってなんとなく就職した連中と一緒にするな。

拳を握りしめ、ガンを飛ばしてやろうと周囲を見回すと、周りの客はこちらを見ていることも、悪口を話すときのひそひそとした話をしているわけでもなく、それぞれ自分たちの食事と会話を楽しんでいるようだった。


あの陰口をたたく時に流れる特有の空気、人をねめまわす、観察する視線、笑顔とは程遠いニヤついた顔と笑い声。

そんな空気は決して感じないのに。

ただ確かに、周囲の人間の話していることや、考えていることが直接脳に響いてくるのだ。気味が悪い。

背筋が震えた。

それに不特定多数の周囲からの声だ。家族からの小言レベルではない。

数の暴力。常識、正論という名の暴力。


――てかさぁ、店員を見る目がやばくない?下心丸出しっていうかさ。

――ああいうのがストーカーになって性犯罪で捕まるんだよな。


耳を抑えても聴こえてくる雑音。

しかし周囲を見回すのが怖い、見たくない。

自身への劣等感と言い訳、幾度となく繰り返した自問自答がぐるぐると頭の中で回り始める。

限界だ、早くここを出よう。

注文したメニューが届く前に帰ろうかと席を立つ瞬間だった。

キッチンの先から彼女が、相川ひなちゃんがひょこっと顔を出して、僕の注文した山盛りポテトを片手に、あの無愛想なJK店員と言葉を交わしていたのだ。

そして、こちらの視線に気づいてか、ひなちゃんは笑顔でこちらに会釈をした。

とびっきりの笑顔で。

確信した。

ひなちゃんは俺のことが好きだ。

彼女を見ているだけで不安と劣等感が吹き飛ぶ。

彼女は俺の世界でたった一人のヒロインなのだ。

そして彼女は俺の注文したフライドポテトを持って近づいてくる。

歩くたびに揺れる彼女のポニーテールは、彼女の天真爛漫さを体現するようにぴょんぴょんと跳ね、そのたびに俺の心臓も合わせて脈打つ。

彼女に告白しよう。


「お待たせしました。こちらフライドポテトになります」

ポテトの乗った皿をテーブルに乗せた時に見える彼女の控えめな胸の谷間、笑顔を添えて軽く横にかしげる姿。天使だった。


あの、俺――

愛の言葉を発す瞬間だった。


――こいつがあのストーカー男かぁ、近くで見るとそれっぽく見えるなぁ。


まるで目の前で話しているかのようにはっきりと俺の耳は捉えた。

先ほどまで響いた雑音とは違う。

今目の前にいる人間が話しているとしか思えない声量。

ただ目の前にはひなちゃんしかいない。

ひなちゃんが腹話術師でもない限り、口を開かないまま喋るというのはありえないし、ひなちゃんはこんな薄汚れた周囲の連中と同じレベルの言動をするはずなどあるわけがないのだ。

そう、あるわけがない。だから今のは聞かなかった。

そう自分に言い聞かせ、逡巡しながらも言葉をつないだ。


「お、俺、君のファンなんだ。また、ここにきていいかな?えへへ」

さっき聞こえた声に動揺したのか、愛のセリフのはずが、アイドルに対する追っかけのような、一歩どころか二三歩ひいた表現になってしまった。


クソ、ふざけんな。よりにもよってアイドルの追っかけと同義の存在のようなアピールしちまったじゃねえか。躊躇した、クソくそ。

アイドルの追っかけは嫌いだ。

自分のものにもならない存在を応援してあまつさえグッズやら握手やらCDやら無意味なものに大量の金をつぎ込む人生に対して非合理的な存在、愛のカースト最底辺の存在だ。

一方的に金を貢ぎ、勝手に夢想し勝手に落ち込む。

最悪、逆恨みして想いが届かないことを理由に犯罪を犯す始末、手に負えない救いようのないゴミ。

経済を回してくれるという意味では資本主義的に見て良い存在ではあるが、最も忌み嫌う生物の類である。

なんにせよ、こんな表現でも彼女にこちらの好意的な気持ちが伝わっていれば。

そしてそれに彼女が喜んでくれさえすれば。

期待して、右ポケットに入った、俺のメールアドレスと電話番号が書かれた紙を取り出そうとしたが、手を止めた。

彼女は笑顔を保ったまま言葉の刃で俺の心臓を切り裂いた。


「いつでもいらしてください」

――ファンて、やばいなこいつ。店長呼んで警察呼んでもらお。


両方とも、彼女の声だった。表と裏の声。

心臓に冷たいものが突き抜ける感覚を覚え、喉が詰まる。

両手はテーブルの下で、せわしなくすり合わせるが、目は彼女の顔からそむけることさえ忘れてしまう。

目の前の現実から目を背ける以前に、その現実を理解できず、脳がフリーズしてしまったのだ。


――無職なんだろうなぁ。他にすることないのかよ。


続けざまに放たれた刃で、僕の両目が映す画面は真っ暗になった。


――――


気が付いたら自宅までの帰路にいた。

太陽は沈み、暗くなった通りに灯る街灯をぼんやりと眺めながら歩いていた。

早く家に帰りたいはずの俺の両足はなぜか、遠回りの道を選択してしまっている。

夕方までの高い気温と打って変わって涼しげで、住宅街は透き通ったような静けさだった。

仕事を探そう。

そうすれば、またあのファミレスに行けるかもしれない。

フッとほくそ笑んでしまった。

きもいなぁ俺、こりゃ引かれるわ。

おそらく粘着質なのだ、俺は。

スーッと大きく息を吸い込み、吐き出した。

夏の夜というのは、独特のいい匂いがする。

祭りの前の、何かが始まり、動き出すような、ぞくぞくとさせる匂いがする。

そうか、学生は、そろそろ夏休みなんだな。

……ん?

ただ何の気なしにポケットに手を入れると、中から幾重にも折りたたまれて小さくなった便せんが入っていた。

『あなたは、良い就職先に巡り合うでしょう』

たった一言、優しい文字でそう綴ってあった。

便箋からは、ほのかにオレンジの匂いがした。


――――


「びっくりした~。こばっちに怒り出したと思ったらいきなりウチにファン制限だったから事態がコロコロして頭がついていかなかったよー。さっきの人なんだったんだろうね」


リトルボーイのウェイター雛森イチゴは広げた両手をひらひらさせ、キッチンで野菜を切る小早川にジェスチャーをもって伝えた。


あの男はここ数か月の間、夕方から雛森がシフトからあがる夜の22時くらいまでドリンクかポテトでずっと居座る問題客だった。

雛森本人は気にしていないが、見た目と風貌、挙動を鑑みて店長が、その男は怪しく健全な客とは思えないと判断し、その男を、波風立てることなく上手くリトルボーイから追い出すようにと小早川が指示を受けていた。もちろん魔法のことは店長と、ある例外のバイトを除いて伏せてあり、今回の件の内情を雛森は一切知らない。


小早川は自分が魔法を使ったなんてことはおくびにも出さず、いつも通り変化の乏しい表情のまま、雛森に聞いた。

「気持ち悪かったでしょ。」

「ううん、全然?」

え、と一瞬目を見開いた小早川に、雛森は本気のクエスチョンを浮かべた。


「だって、人から好意を向けられるって気持ちがいいじゃん。自信になるし、なんか褒められた感じする」

計算の入ってなさそうな、ふわふわした雛森の素直でシンプルな感想に、小早川は野菜を切る手を止める。もしかしたら、あの魔法をあの男にかける必要はなかったかもしれない。


あの男と雛森は両想いだったかもしれない。自分は余計なことをしてしまっただろうか。

小早川のそんな心配は、5秒と立たず杞憂に変わった。

「じゃああの人に告白されたら付き合う?」

「付き合うわけないじゃん。気持ち悪い」

間髪入れず返事が返ってきた。


それとこれとは別。好意は嬉しいだけ。彼氏は隣に連れて歩く人だもん。サッカー部の主将とか学年トップの生徒会長とかじゃないと!恥ずかしいじゃん!」

「なるほどね......」

天然というのは素直で聞こえはいいが、無自覚に人を傷つけ、それに対して悪意が全くない点で小早川は返事に窮した。


雛森にとって彼氏というのはアクセサリーであり、自分の品位を司る大きな要素の一つとして捉えているようだった。それを臆さず隠さずはっきり言うところが雛森らしいと小早川は軽くため息をついたのだったが。


「でも、髪をもう少し短くすれば、マシに見えたかな」


そんな雛森の一言に、小早川は言葉をニコッと、本日初めての笑顔を向けた。

魔法を使ったこと自体は悪いことじゃなかったのかもしれない。


『精神感応、錯覚の魔法。自分の内心や隠した気持ちを表に引きづりだす魔法。それを他人の内心だと錯覚させる魔法。』

合わせ鏡。あの男が聴いた他人の『声』は、全て自分の心の奥底にしまった自分の声。合わせ鏡のように声は反射して自分を映し出す。ありのままの自分を。


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火曜AM勤務シフト

××・××

夕方勤務シフト

雛森・小早川

深夜勤務シフト

四木・店長

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