はる
1.「すごく楽しみだった、今日」
『生まれてきてくれてありがとう』
そんな声が聞こえてふと振り返った駅構内。
声の主は切り替わるサイネージ画面と共に流れた一瞬の男声だった。
何の宣伝かも判らないまま周囲の雑音に吸い込まれていってしまったそれに再度背を向け、自分の胴体と同じくらい大きく重い、背負える限りの荷物を詰め込んだバックパックを軽く背負い直してひっくり返りそうになりながら頭上を見上げる。
乗る電車これで合ってるよね……。
・・・
「あの」
やっとの思いで辿り着いた目的地。老舗旅館並みの広い玄関口左側、段差を跨ぐ窓口らしきそこに声を掛けた。
視界の中に男の人の上裸体がバァァンと載った表紙の雑誌を読み耽るエプロン姿の四、五十代の女性が居て、その人に向かって声を掛けたのだが此処に辿り着くまでに体力を消耗した非力な自分の声は思ったより出ず、頁を捲る手は止まらず、その表紙の若い男性と目が合う気がして逸らしてしまう。
「
「アラッ」
上がった場所から影に覆われたと思えば、大きな男の子が代わって呼んでくれた。女の人は「あらあらあら」と続けて雑誌を置き、こちらへ向かってくる。
「ま〜可愛い子、おっきな荷物背負って。あなたが噂の新人さん?」
「うわさ……? ぁ、はい。今日からお世話になる
道子さんと呼ばれたその人がちょっと待ってねと手元の名簿らしき物を捲ると同時に隣の男の子が「おまえが噂の!?」と声を荒げ、肩が跳ねる。
段差一つ分上がった位置にいるとはいえ大きな、蛍光色のゼッケンを着た男の子は興奮気味だ。
「ありがとうございました呼んでいただいて」
「いやとりま上がって荷物降ろせば? すげー重そうじゃん」
「さいおんじさいおんじ……」
「靴って」
「あーあっち下駄箱だけど新人ってことはまだねーのかな。置いといたら誰かにパクられ——っておまえ靴ちっちゃくね!? それなら置いといても大丈夫だわ。誰も入んねぇし」
あっちと指された右側を一瞥すると、そこにはいつかTVで特集が組まれていたスパのロッカー並みにズラッと棚が奥まで並んでいて圧巻だった。が、降ろして良いと促されると降ろしたくて仕方なくなっていたボクはよっこらしょと先にバックパックを降ろしてから靴を脱いで上がった。
「あったあった、西園寺
「あ、」
「純! 一年?」
……まぁいいか……。
「二年です」
「だよな。タメ、タメ」
男の子はニィッと笑い、「俺ミナト! さんずいに演奏の奏で湊な」とご丁寧に漢字も教えてくれた。
「湊君」
確認含めて呟くと、「いや堅ぇって、そこはフツー呼び捨てだろ」と小突かれ吹き飛びそうになる。
「うわっ!? 悪ィ、大丈夫?」
「すみません体幹なくて」
そのやり取りを見守っていたのか微笑む道子さんは、「純ちゃんの部屋は二階に上がって、205号室ね。制服も—スラックスにしたのね—届いて、部屋のクローゼットの中に掛けてあるからね。相部屋は」と言い掛けた。
「205! ナルセの所におまえが入るんだもんな〜〜コウキは今絶賛部活中だけど」
“ナルセ” “コウキ”
リアクションの良い湊から二つの名前が出て来て首を傾げるも、話を遮られた道子さんが僅かに顔を寄せて
「湊はサボり〜?」
と睨んだ。
「違ぇよ、忘れ物取りに来たのー。そしたら中坊みたいな奴が背伸びしてたから、もう来年の入寮希望生が見学に来たのかと思ってよ」
ばつが悪そうな横顔。その顳顬には汗が滲んでいることに気付く。
湊も何らかの部活中なのか。
「じゃあ忘れ物ついでに案内してあげて」
「えっいえ、大丈夫です自分で」
「いーよ。俺203号室だから」
鍵を差し出した道子さんが湊に頼んだ理由が判って、湊は微笑んでいて、ちょっと恥ずかしくなった後に道子さんが下駄箱用意できるまで靴預かっておくから、いってらっしゃいと手を振った。
「こっち」
鍵を受け取り再度バックパックを背負って湊についていくも、ふとあることに気が付く。
「……あれ?」
「ん? どした」
「湊は男の子だよね?」
「ええ男の子ですよ」
階段を上る背中が笑みを含んで答える。
寮って——ふつう、男女混合だったっけ?
いやでも、部屋は別れているだろうし、トイレも一緒に行くわけじゃないし、お風呂も別だったら問題ない……のか? 事実一般的なマンションで考えたら、それが“ふつう”だ。
寮=男子寮・女子寮が存在するという固定概念が間違いだろうか。
ボクは、女子——だけど……。
「コウキ、すっっげー楽しみにしてたから。ここ一週間寝不足だとか言ってたわ。
あー俺コウキより先に純に会ったってバレたら怒られちゃうかもなぁ、
第一寮生だもんなぁ」
湊からの嬉しい、優しい情報に意識が攫われた。コウキさん。格好良い名前だな。どんな子だろう。仲良くなれるかな。
その内に立ち止まり、ここ、と示される。
顔を上げて捉えた扉には205の札が掛かっている。右上には“
「今日十八時半には部活終わるから。コウキ、その後風呂直行して飯食うだろーから……あ、純も十九時くらいに食堂来れば」
どうやらこの戸堂の下の名前が“コウキ”さんらしい。それも含めて聞きたいことはまだあったけど忘れ物を取りに来ただけだったのにボクに構って、足止めを喰らっている湊をこれ以上付き合わせるわけにもいかなくて、急いで頭を下げお礼を伝えた。
「……ん? んー?」
親切な湊と別れて早速、開け慣れていないタイプの鍵に苦戦した後部屋の中に入った。
想像以上に—天井が高く吹き抜けているからか幅の割には奥行きがあるからか—広く感じた部屋は向かって左にロフトへと続く階段が在った。
ロフト。何だかソワソワする響きに無い胸を押さえてお邪魔する。小さな正方形の玄関には、既に先住人の物か、チャコールグレーのスリッパが脱ぎ棄てられていて、上がってすぐの丸いローテーブル上の隅には空のペットボトルが無造作に置かれていて。
何だか、今朝、急いで片付けてくれたような。
そんな心遣いを感じずにはいられない、温かみのある部屋だった。
立ち尽くしたまま辺りを見渡し終えたボクは荷物を降ろすことも忘れて、そういえば電気を点けていないなとスイッチの位置を確認、同時に今日は曇りだけど、電気を点けなくてもこんなに明るいのは天井近く、ロフトから設けられた窓のお陰か、と感心した。部屋の突き当たりにはカーテンで仕切られた場所があって、そうっと捲ると整えられたベッドが在った。
そこでやっとバックパックを降ろし、左端の勉強机の麓に置く。
ふう、と無意識に息を吐き出した音に喰い気味でぐーうううう、とお腹が鳴った。
一人でも恥ずかしくなる程の音量。それを紛らわすためにそういえば今何時だろう、と振り返る。玄関脇にある小型冷蔵庫の上に置かれたデジタル時計が16時を回っていることを教えてくれた。
「食堂、もう開いてたりするかな…」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます