第10話
◇
泥の匂いが鼻腔をくすぐる。同時に雨音が鼓膜を撫でた。瞼を開けると、古びた焦茶色の天井が目に入る。瞳を彷徨わせ、目頭を抑えた。
────腹が、痛い。
先ほどイザベラに刺された部分が痛みを帯びる。しかし、それは徐々に消えていった。深呼吸を繰り返し、もう一度目を開ける。そこには天蓋カーテンもなければ、天井に描かれた優雅な絵もない。
体を起こすと、柔らかいベッドもない。代わりに、草臥れた布切れが一枚置かれているだけだ。
ふと、視線を自分の体へ向ける。まるで雑巾のような見窄らしい服を着ている。
────これ、野良着っていうんだっけ。
昔話に出てくる農民が着るような服を何度か撫でた。先ほどとはまるで違う質感である。
爪に泥が詰まっている。乾いたそれは指を動かすたびにパラパラと落ちた。指先を擦り合わせながらぐるりと部屋を見た。真ん中には囲炉裏があり、火はついていない。
────なんか、古臭い家だな。
戦場、中世と飛ばされた俺は不思議と驚かなかった。また別の夢を見ているんだなとかぶりを振る。
「おはよう」
開きっぱなしの家の戸から、ヒョイと顔を出したのはルイだ。頬に泥がついている。「急に雨が降ってきて、びっくりしちゃった」。そう独り言を呟きながら草履を脱ぎ捨て俺の元へ近づいた。
「頭を強く打ったんだ。もう少し寝てたら?」
座り込んだルイが微笑む。身につけている着物がはだけ、肩と胸元が露出していた。「ヒィ」と顔を紅潮させ悲鳴を漏らした俺を見て、ルイが不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
「え、エッチだ……」
「え……?」
心底理解できないと言いたげなルイが俺の後頭部をさする。「打ちどころが悪かったのかなぁ」とひとりごちる彼の素肌が目の前にあり、思わず唾液を嚥下する。
────あまりにも刺激的すぎる!
俺は勃ちそうになるナニを抑えるため、体を前屈みにさせた。「今度はお腹が痛いの?」と腹へ手を伸ばそうとするルイに向かい「やめないか!」と叫んだ。
「え? な、ど、どうしたの?」
「やめないか! こんなの暴力に近い!」
「僕なにもしてないけど……」
「無意識か! もっとタチが悪い!」
叫ぶ俺に、ルイがシィと指先を唇へ押し付けた。今度はなんだと固まっていると、ルイが真面目な顔をしていた。
「静かにしなきゃ。僕らは、追われている身なんだ」
唇に押し付けられた皮膚の感触にドキドキと胸が高鳴った。しかし、彼の言葉でそれが跡形もなく消え去る。
追われている? 誰が? 俺たちが? そう聞き返すまえにルイが息を漏らした。
「他の人たちはみんな殺されてしまった。けれど、僕らだけでも生き延びなきゃ」
真っ直ぐな眼差しに見つめられ、体が強張る。「他の人たちはみんな殺されてしまった」。その単語がぐるぐると頭の中を駆け巡る。
「……ごめん、俺。頭を強く打ちつけたみたいで、記憶が曖昧なんだ……詳しく教えてくれ」
ルイが、眉を八の字にした。「本当に大丈夫?」と心配しつつ、言葉を続ける。
「僕らはただの農民で、一揆の首謀者」
朧げな記憶だが、一揆という単語は聞いたことがある。確か上の人間たちに歯向かうために、下の人間が手を取り合い暴動を起こす行為────。その首謀者が俺たちだって?
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