第3話

 俺は唇を忙しなく舐めた。彼の周りを見る。ルイの友人らしき人物はいない。今なら気兼ねなく声をかけることができる。

 「お、清泉じゃん。一人? 俺のこと、覚えてる? あはは、覚えてないか」。そんな会話を皮切りに、彼と仲良くなりたい。グッと拳を握り締め、横断歩道を渡ろうとする彼の元へ走り寄る。

 途端、何処かからクラクションが鳴り響いた。俺は目を見開き、音の方へ視線を遣る。自動車だ。淡い色をした、小ぶりな自動車。俺の体が、瞬発的に横断歩道に立ったルイの背中を押す。前のめりに倒れたルイが、見開いた瞳で俺を見る。あぁ、彼に見つめられた。その歓喜に包まれた途端、俺は吹き飛ばされた。

 体に鋭い衝撃が走り、道路に叩きつけられた。身体中が熱くなり、呼吸が出来なくなる。ざらりとした道に頬を擦り付け、うつ伏せに倒れた俺は、霞んだ視界の中でこちらへ駆け寄るルイと車から降りた運転手を目で追う。三重にもブレたルイが俺の前で膝を突き、大丈夫ですか、と声をかける。俺は大丈夫だと答えたかった。スッと立ち上がり、彼の手を取り、キメ顔で言いたかった。

 しかし、俺は言えなかった。だって頭は割れているだろうし、肋は折れているだろうし、内臓は損傷しているはずだ。断定は出来ないが、きっと俺は悲惨な状態である。とてもじゃないが、そんな格好つけることを出来ない。

 はぁはぁ。吐き出す息が掠れている。口内に滲んだ血の味が、奇妙なほどに感覚を支配する。もっと言えば、血の味しか感じられない。本当なら体の痛みに苦しんでいるはずなのに、それを感受していない。

 ────俺、ここで終わるんだ。

 確実に、そう思った。俺は、今、死ぬ間際だ。霞がかかった頭の中でその単語がぐるぐると巡る。「早く、早く救急車を呼んでください」。鋭い悲鳴が響き、誰かが俺に触れる。

 ルイだ。ルイが自動車を運転していた男性に叫びかけながら、俺に触れている。あぁ、それだけで俺は今すぐに息を引き取ることができる。幸福だ。彼に心配されているなんて。彼を助けて、心配もしてもらえて、本望だ。「わ、笑ってます? 大丈夫ですよ、すぐに救急車が来ますから。気を確かに」。ルイが俺を見ながら困惑している。察するに俺は笑っているらしい。

 それもそうだろう。何故なら恋焦がれたルイが俺を心配してくれているのだ。そんな幸福な事態で、笑わないはずがない。彼の手に触れたくて、腕を動かそうとする。しかし、微動だにしない。


「ル……」


 掠れた震える声を漏らす。口内で唾液と血が絡まり、喉に引っかかった。うまく声が出せず、ルイの名前を呼ぼうにもそこで途絶えてしまう。「喋らないで」。彼が額に汗を滲ませながら真剣な声音でそう促した。遠くでサイレンの音が聞こえる。これは警察のサイレンだったか、救急車のサイレンだったか。思い出そうにも、痛む後頭部のせいでそれが叶わない。


「早く、来てください、早く!」


 ルイが珍しく大声を張り上げた。怒鳴り声も、焦った様子も可愛いな。歪みゆく意識の中、彼の意外な一面に胸が疼く。こんな場面じゃなかったら、どれだけ良かったか。「ケイトくん、ふざけないでよね」。怒鳴りながら眉を顰める彼が俺を上目遣いに見つめながら怒るシーンを妄想する。

 視界が真っ暗になり、鼓膜に届く音が薄れていく。ゆっくりと瞼を閉じると、気分が安らぐ。ふわりと体が浮くような、しかし鉛が乗り掛かったような感覚が俺を襲った。

 ────ルイ、好きだ。

 伝えられなかった言葉が脳内を駆け巡る。好きだ。好きだ。好きだ。

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