毒舌系後輩少女とのラブではないコメディ

@huhuhu-888

第1話 後輩と放課後

 俺は平穏が好きだ。波風の立たない日々が好きだ。これといって親しい友人もいないが、誰の目にも留まらず気ままに過ごせる高校生活を気に入っている。昼食時に一人で見上げる空の綺麗さだとか、移動教室の際に気づく廊下の静けさだとか、そんなありふれたものを意識する毎日が好きだ。確かに少し寂しさはあったけれど、俺はそんな生活が好きだった。


 その後輩と出会ったのは、二年に進級したある春の日だった。初めて会ったとき、彼女は人に囲まれ、責め立てられていた。


 それはきっと、ありふれたことだった。多感な学生たちの恋模様が縺れて騒ぎになるのも、無関係なはずの群衆がこぞって一人の少女を非難するのも、そんな雰囲気が気に入らない空気の読めない俺みたいなやつがいるのも、何も不思議なことじゃない。きっと世界を見渡せばどこにでもあるような、ありふれたことなのだ。


 そんなつまらない現実で、囲まれて詰問されている彼女は酷く傷ついているように見えた。


 新入生のその少女が親友から彼氏を奪おうとしたとか、その割には彼女の動揺がまるで濡れ衣を着せられた人のようだったとか、取り合われている二年のイケメンが実は腹黒いやつだとか、そんな直感や周囲の噂なんて実のところどうでもよかった。


 事情は色々あるだろうし、俺には何もわからないが、きっと悪いのはこのイケメンだろうなと思った。というか、そう決めつけた。だって俺はイケメンが嫌いだし、どうせ味方をするならかわいい女の子の味方をしたい。俺は俺の勘を信じることにした。どうせ元より独りぼっちの高校生活なのだ。失うものなんて何もなく、きっと俺にも空気をぶち壊すことくらいはできるだろうから、盛大に逆らってやろうと思った。これといって大切なものや好きなものがないのだから、せめて嫌いなものくらいちゃんと嫌いと言いたかった。


 気づけば、人垣を搔き分けて飛び出していた。やってしまった、と思った。


 俺の平穏な毎日はこの瞬間から崩れ去ったのだと実感して、けど、ずっと俯いていた後輩の少女がこれだけで顔を上げてくれるならそれも悪くないかもな、なんて柄にもなく思ったんだ。


 別に、俺の行動で何かが激変するなんてことはなかった。あったことなんて、俺が物凄く白い目で見られ、その後すぐ白けたように人の群れが散っていったことくらいだ。噂に聞いた限りではその新入生は結局孤立してしまったらしいし、相も変わらず俺に話しかけてくる人もいなかった。イケメンもちやほやされたままである。まったく腹立たしい限りだ。


 まあそんなもんだよな、世界は別に劇的なんかじゃないんだから。


 聞こえてくる陰口を遮断して、そんなことを思いながら俺は窓の外を眺めて過ごしていた。


 ただ、その騒動の日の少し後から変わったことが一つだけあった。俺に一人の知り合いができたのだ。


 それが、毒舌系後輩少女とのラブではないコメディの始まりだった。


◇◇◇◇◇


 十月に入り、帰り道などにも秋が顔を覗かせ始めた頃。放課後の部室でのことだった。


「なあ、鹿波かなみ


「なんです、先輩」


「俺ってこの天文部の部長じゃん?」


「そうですね」


「で、お前は部員じゃないじゃん?」


「そうですね。天文部の部員って先輩一人ですもんね。嫌われてるんですか?」


「俺と同じくらい入り浸ってるくせに……別に、鹿波かなみが入部してくれたっていいんだぞ?」


「嫌ですよ。だって先輩、私が天文部に入ったら喜んで辞めるじゃないですか」


「まあ、俺は先生の頼みで廃部にならないよう籍を置いてるだけだからなぁ」


 緩やかな風を受けてカーテンが膨らむ。開け放たれた窓からは、運動部の掛け声や小気味いいバッティング音、息の合い始めた合奏など、青春を象徴するかのような音が届いていた。長机に頬杖をつき、少し優しい夕の色を帯びた空を眺めながら俺は呟いた。


「それにしたって……青春の無駄遣いだよなぁ」


 窓の外の青春と自分のそれを比べてみると、そう言わざるを得なかった。それもそうだろう。キラキラとした青春を送る人たちに比べて、俺はただ漫然と、このろくに活動のない部室で時間を浪費しているだけなのだから。


 そんな俺のこれ見よがしな感慨を聞いて、心底鬱陶しそうに溜め息をついた後輩――鹿波かなみは、それまで読んでいた文庫本を閉じると、じとっとした目で俺を見た。


「なんですか先輩、私といるのが無駄だって言いたいんですか」


 彼女がこちらを向くと、肩ほどまで伸ばされた黒髪がサラリと揺れる。普段から愛想に欠ける彼女の表情は、心なしかいつもより冷たく見えた。


「いや、別にそういうことじゃなくてね。もっとこう、有意義な高校生活の送り方があるんじゃないかなーって俺は思うんですが、そこのところ鹿波さんはどう思います?」


「さあ。あんまり興味ないです。今の私に普通の高校生活が送れるとは思いませんし、そもそもそんなの送りたくなんてないですから」


 その口振りからすると、俺はきっとナチュラルに普通の範疇から外されてるし、ちょうどいい暇つぶしの相手くらいに思われてるんだろうなぁ。


 既に俺の話に興味がなくなったのか、そもそも端から興味はなかったのか、鹿波はぼんやりと考え事をしている俺の返事を待たず、部室に持ち込んだゲーム機の電源を入れる。そして当たり前のように俺のコントローラーを使い、格ゲーを起動した。


「はい先輩。早くやりますよ、コントローラー持ってください」


 自分が座っているソファの隣をポンポンと叩き、俺にもう一つのコントローラーを渡しながら座るよう促す。補足しておくと、ゲーム機もコントローラーも全て俺が持ってきたものである。部員でもないのに、この後輩は俺よりもこの部室に馴染んでいるくらいだった。


「……いいけど、鹿波さ、俺が勝ったら不機嫌になるじゃん。そのくせゲーム下手だし」


「じゃあ上手に手加減して負けてください。先輩、負けるの得意そうじゃないですか、色々と」


「おい、先輩に向かって失礼だなまったく…………失礼だな」


「悲しくなるので何か反論してください」


「そもそも、ゲームに関して俺が手を抜くわけないだろう。ていうか、ゲームですら勝てなくなったら俺は鹿波に対して何を誇ればいいんだ。自慢じゃないが全ての要素で負けてる気しかしないぞ」


「ほんとに自慢じゃないですね。まあ、大丈夫です先輩。誇れることが何もなくても、先輩に対する私の評価は変わりませんよ」


「物凄くいい笑顔で言ってくれてるけど、それって俺の評価が既に底を突いてるって意味だろ!? 騙されないからな!?」


「む、先輩のくせによく気がつきましたね。褒めてあげます。偉いですよ、先輩」


「お、おう……」


「撫でてあげます」


「いや、それはいいけど」


「照れてるんですか? ふふっ」


 そう言って鹿波は楽しげに小さく笑った。


 この後輩、普段からべらぼうに口が悪いし七色の語彙力で俺を突き刺すことに余念がないけど、たまにこうして優しいから憎めないんだよな……。話してるのも思ったより楽しいし、何より会話の流れで時折笑ってくれたときの横顔が不覚にもかわいいと思ってしまうのだ。今日くらいはゲームで手加減してもいいかもしれない。


「……ちなみに、酷いことを言った後に優しくするのはDVの常套手段らしいですよ」


「……っは!? ふざけるな、俺のときめきを返してくれ!」


「え、先輩こんなのでときめいてたんですか?」


「うぐぐ……」


 何を言っても墓穴を掘ってしまいそうだったので、俺には呻くことしかできなかった。追い詰められた自分の口から出てくるのが「うぐぐ」というダサすぎる単語だなんて知りたくはなかった。


 そんな俺とは裏腹に、くすくすと笑う鹿波はご満悦のようだった。人を揶揄っておいてまあ随分と楽しげである。


 鹿波は、基本的に表情の変化に乏しく無表情だったり取り澄ましたりしているのだが、感情の起伏が薄いというわけではなかった。むしろ、顔や態度に出にくいだけでコロコロと気分が変わるほうであり、ふとした瞬間に彼女はとても自然に笑うのだ。それを見ていると、俺はどうにもこの後輩を嫌いになれなかった。


 端的に言えば、俺は鹿波の笑顔に弱いのだ。


 要領がよくどこか冷めてしまっている彼女がこうして笑ってくれているのは、心を開いてくれている証拠のように思えるのだ。あまり人に懐かない猫が下校中に寄ってきてくれたときの感覚に似ているかもしれない。普段から口は悪いけど俺が本当に傷つくようなことは言わないし、超えてはいけない一線に気を遣っているのも確かに感じるから、あれもコミュニケーションの一種なのだと捉えている。ほら、甘噛みも愛情表現だから……。というか、切実にそうであってほしい。もしあれが甘噛みではなく普通に害意剥き出しの毒舌なのなら俺はかなりショックを受けてしまう。


 ともあれ、春先の一件から何かとストレスもあるだろう鹿波にとって、この部室が一息つける場所になっているなら、この後輩の毒舌だって甘んじて受け入れようと思ってしまうのだ。


「ほら、先輩も早く座ってください。私の隣だからってときめいたりしないでくださいね」


 悪戯っぽく彼女は言う。こちらを舐め腐っている後輩にも仏のように優しい俺は、やれやれと溜め息をつきながらそれでもどこか笑ってしまいそうな心持ちで鹿波の隣に座った。


 ……とりあえず、こいつは今からゲームでボコボコにしよう。


◇◇◇◇◇


 春先の騒動の後、しばらくして一人の新入生が部室を訪ねてきた。顔を合わせるなり物凄く礼儀正しく謝罪を述べ始めたので、そんな彼女をとりあえず宥めつつソファへと座らせた。俺としては彼女がこうしてわざわざ尋ねてきてくれたこと自体が驚きだったので感謝や謝罪がむず痒く、とりあえず気さくなトークスキルを駆使して場を和ませようと思ったのだ。


 しかし、そういえば俺にはそんな気の利いた会話はできないよなと、腰を下ろした後で気づいた。己の力を過信し、策に溺れていたのだ。俺は自分が無能であることを思い出した。


 顔だけは先の件で互いに知っていたが、何せ相手の名前すら知らないような初対面だったので、痛々しいほど会話は盛り上がらなかった。彼女がやけに緊張していたこともあり、そして当然俺は砕けた会話のできない無能だったので、それぞれ言葉を探して口を噤む時間が続き、その日は下校時刻を迎えた。まともに交わせたのは社交辞令くらいのものだった。


 そんなことがあったので、てっきりその後輩はもう来ないものだと思っていたのだけれども、彼女は予想に反して翌日も部室に顔を出した。その次の日も、そのさらに次の日も。


 恩を感じているのに何も返せないままでいるのは申し訳ない、みたいな生真面目な思考が働いたのだと思う。別に、俺はあの一件が起こる前から孤立している悲しい運命を背負った高校生だったので気に病むことはなかったのだが、彼女はとても罪悪感を感じているようだった。


 根本的に律儀で真面目な性格だったのか、彼女は足繁く部室に通った。時には俺より早く部室に着いていることもあった。「あ、先輩。……今日は遅かったですね」なんて言って笑いかけてくるのだ。


 さすがにそうやって時間を重ねているとお互いに慣れてきたこともあり、少しずつ会話は増えていった。好きなものの話をして、身の回りの些細な出来事を話して、ちょっと嫌いなものを共有して。いつの間にか俺たちは少し打ち解けていて、硬い雰囲気もなくなっていた。極端に気を遣っていた様子もなくなり、気を許した証みたいに彼女の毒舌は増えていった。


 そうして季節は過ぎていった。


 どれだけ遅くとも、夏までにはこの後輩の罪悪感も収まって、自分を満足させられたら俺に飽きてどこかへ行くだろうと高を括っていた。けれど、そうはならなかった。春が終わり、夏が来て、夏休みが明けてもその後輩は部室に顔を出した。


 そして、随分とこの時間に馴染んだ様子で、自然と見せるようになった表情で、毒舌系後輩少女は今日も楽しそうに笑うのだった。

 

◇◇◇◇◇


「もういいです、飽きました。先輩が手加減してくれないからですよ、私初心者なのに」


 ゲームを始めてから三十分も経たないうちに、不貞腐れた鹿波はコントローラーを置いて立ち上がった。画面に映るのは燦然と輝く勝利の文字。勝者はもちろん俺である。


「ははは、俺にそんな優しさを期待したのが愚かだったな」


「…………」


「あ、嘘ですごめんなさい。ゲームで勝てて調子に乗ってました。手加減しなかったことは謝るので、無言で人の髪の毛をねじねじするのはやめてください鹿波さん! あっ、いけません鹿波さん、困ります! あっ!?」


 そんな俺の悲鳴も当然の如く無視されてしまい、背後に立った鹿波によって俺の髪の毛は瞬く間にウニのようにされてしまう。


 どうしてゲームに勝っただけで報復を受けているのか、どうして後輩に敬語で謝っているのか、どうしてこの後輩は人の髪の毛をウニとお揃いにしてくるのか、何もかもわからない俺には自分の髪の毛が鋭さを帯びていくのを見ていることしかできなかった。たぶん俺は今頭突きで人を刺し殺せる。


「……先輩、今私のこと面倒な女だって思ってませんか」


 なおも俺の髪をいじりながら鹿波は言った。


 何を言っているんだこいつは、人の頭に鋭利な棘を生やし続けている人間が面倒じゃないわけがないだろ、と思った。しかしそう返したら余計に機嫌を損ねてしまいそうだったので、俺は誤魔化すように言葉を選んだ。


「いやいや、面倒だなんてそんなこと思うわけないだろ。鹿波はかわいくて賢くて気が利く超いい女だと思ってるよ。……オマエ、イイオンナ」


「馬鹿にしてるんですか?」


「すみませんでした」


 つい心の中の優しい怪物が出てきてしまって、鹿波の声はより一層氷のように冷たくなった。気恥ずかしいセリフを言おうとするとどうにも茶化してしまっていけない。


 面倒なところも慣れてしまえばかわいげがあっていいと思う、なんて素直に思っていることを言える柄ではなかった。大切なことほど、伝えたいことほど大事にしようとして口にできなくなる。


 そうしてまだどこか不満そうな鹿波から解放された俺は、めちゃくちゃになった髪を手で直しながら、再びソファに腰を下ろした彼女に訊ねた。


「ていうか、お前はいつもどうしてそんなにゲームにこだわるんだよ。暇つぶしなら他にも沢山あるだろ?」


 少し言葉を選ぶような間が空いた後、いつも落ち着いている彼女にしては珍しく、ほんの少しだけ年相応に拗ねたような顔をして鹿波は言った。


「だって、先輩の趣味らしい趣味ってゲームくらいじゃないですか。私と先輩、あんまり趣味被ってないですし、二人で楽しめるのってこれくらいなので」


 愛嬌も愛想もないその口調で紡がれた言葉の内容は、普段の口の悪さからは考えられないほど萎らしくて、健気で、あまりにいじらしかった。わかりづらいだけで、彼女も捻くれているだけで、その根底にあるのは優しさなのだ。どれだけ口が悪くとも、結局鹿波は優しいのだ。


 それがたとえ罪悪感からくる優しさであったとしても、俺は嬉しかった。


「あのな」


 俺も楽しめるように、なんてそんな理由であれこれ気を配って苦手なゲームをやろうとしていたのだと思うと、微笑ましくてつい笑ってしまった。


「確かに俺はゲームが好きだけど、そんな風に気を遣ってくれなくとも、鹿波といる時間は大抵何してても楽しんでるよ。わざわざ苦手なゲームをやる必要はないんだぞ?」


 俺と目が合うと、鹿波は驚いたように少しだけ目を丸くした。果たして俺はそんなにゲームしか愛せない人間のようにでも見えていたのだろうか。そもそも、一人でもできる暇潰しとして消去法でゲームを選んできただけだ。深い思い入れなんて何もない。だって俺は、半ば押しかけのように現れた後輩のいる現状を、一人でゲームをして過ごしていた時期よりずっと好ましく思っているくらいなのだから。


 鹿波は何も言わず、こちらの真意を図るようにじっと俺の目を見ていた。


 なんだろう、何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか。底の浅い俺には見通したくなるほどの意図なんて何もないはずなのに……。


「な、なんだよ。人が珍しくいいこと言ったってのに……まさか、どんな言葉で俺を揶揄おうか考えてるんじゃないだろうな」


「そんなことは考えてないですけど……そんなに警戒されるとちょっと悲しいです。いつも先輩で遊んでる弊害ですね」


 おいちょっと待て。こいつ、先輩『で』って言ったぞ! 先輩『と』じゃなく、先輩『で』遊んでるって言ったぞ!


「……めんどくさい人間筆頭の先輩が、あんな素直なことを言うなんて思いませんでした」


「あれ、俺いつもそんなにゲームやりたがってたか? 俺からゲームに誘ったことってそんなにないし、普通に本読んでる日とかもあっただろ?」


「そういうことじゃないですけど……まあ、別にいいです。どうせ自分が何言ったかもよくわかってないでしょうし」


 これ見よがしに溜め息をつきながら鹿波は続ける。


「馬鹿で鈍くて、肝心なところでズルいですもんね、先輩。……それじゃ女の子にモテないですよ、一生。まあ別に、先輩がモテなくても私はまったく困りませんけど」


 どこか含みがありそうに鹿波は言った。


「よし、至急俺にモテの作法を教えてくれ」


「嫌です」


 金輪際異性にモテないというあまりにも悲しい運命を告げられた俺はそれどころじゃないため、嫌です、と返した鹿波が最近で一番柔らかな表情をしていることに気づけなかった。


 そして俺は、さりげなく馬鹿で鈍くてズルいと言われたことも聞き逃してはいなかった。


「それとな鹿波、お前は自分の言葉の鋭さに目を向けたことはあるのか? 確実に人を傷つける形をしてるぞ、お前の言葉は」


「先輩専用ですよ」


「嬉しくない! ちっとも嬉しくないぞ!」


「……私がこうして話すの、先輩にだけですよ。嬉しくないですか?」


「あっ、首を傾げて上目遣いで訊かれるとちょっと嬉しいかも」


「先輩ってチョロいですよね。いつか悪い女に騙されそうで私は心配です。……他の女に取られないよう、私がちゃんと絞り取ってあげないと」


「ちょっと待て、聞き捨てならない単語が聞こえたぞ」


「いやですね、独占欲ですよ独占欲」


「お前が独占したいのは俺のお金だろ!?」


「お金も、ですよ」


 一体俺は財産の他に何を搾り取られるのでしょうか。命とか労働力とかだろうか。あんまり怖いことじゃないといいなぁ、と思った。


「……まあ、大丈夫です。先輩がどれだけモテなくても、私は毎日この部室に来てあげるので」


 西日を受けて優しく染まる部室の中で、微笑む鹿波はそう言った。


「それは……ありがたいなぁ」


 この後輩の感じる罪悪感がいつまで保たれるのかはわからなかったが、貴重な高校生活を無為に使ってほしくないと思いつつも、いつか来る終わりの日がほんの少しだけ惜しく思えた。


 そんな放課後だった。


◇◇◇◇◇

 

 そんな風に、ダラダラとゲームやくだらない会話をしているうちに、気づけば下校時刻になっていた。窓の外では、茜色の空の下で運動部の面々がグラウンドの砂を均していた。いつの間にか吹奏楽部の演奏も聴こえなくなっていて、廊下や教室にも静かな夕日の色彩が溢れていた。


「……んじゃ、俺たちも帰るか」


「そうですね」


 荷物を纏めて俺と鹿波も部室を出た。校舎の外れの廊下を二人で歩く。


 ふと、俺がもう少しまともな人間か、鹿波がもう少し素直な人間のままだったら、こんな時間は恋にでも発展していたのだろうか、と思った。そしてすぐ、そんな想像が自分たちには似合わなすぎて馬鹿馬鹿しさに笑ってしまった。


 きっと、俺たちの日常はラブコメなんかじゃない。


 現に俺たちは一緒に下校したりもしないし、この放課後の部室以外では関わることもない。そもそも、この関係だって鹿波のきまぐれみたいなものだ。孤独な者同士が傷を舐め合うように、あるいは責任や罪悪感から償いをするように、俺たちはどこか歪んだまま同じ時間を共有しているだけだ。自分の感じる疎外感をただ誰かにわかってほしいだけで、同じものを感じてほしいだけで、そこにあるのはラブやライクといった綺麗なだけの感情ではなく、不器用な人間と不器用な人間の送る歪な形をした青春なのだ。


 だから、俺たちの日々は決してラブコメなんかじゃない。そんなものよりもっと複雑で、馬鹿らしいくらいに単純なのだ。恋や愛なんて定義に当てはめられたくない面倒な俺たちのこの時間に名前をつけるならば、それはただの。


 毒舌系後輩少女とのラブではないコメディなのだ。

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