No.24 夜にだけ咲く街


 人は言う。

 思いつく限りの願いそれが叶う場所だと。人間の底しれない欲が生み出した都市だと。


 人は言う。

 辺境の大歓楽街――吹き溜まりの街だと。


『友達は多いよ? でもこの街じゃみんな……独り』


 四百年ほど前になろうか。

 この吹き溜まりが、まだまだ小さな集落だった頃の話だ。


 不治の病に侵された少女の話。


 この不遇な土地に流れ着いたその娘には不思議な力があった。


 己の力を増幅し他者に分け与える事を可能とする、魔法言語やオーラスキルとも違う超常の力が。

 

 人々は少女を頼り敬ったが、次第にその力を利用しようとする者達が現れた。その中の一人――盗賊頭の情婦だった女の名はカルアと言った。


 しかし少女は変わらなかった。

 他者の欲望が少女を脅し、利用し、汚しても。


 少女は構わずに力無き者、明日への希望を見い出せない者に別け隔てなく力を分け与え続けた。まるで、自分の力を撒き散らすかのように。


 そして、いつしか少女の力は枯れてしまい――病だけが残った。


 その姿に涙し、己の行いに懺悔した情婦カルアは少女を保護し、隠した。

 語れない過去を持って流れてくる数多くの女達に仕事を与え、生きていく為の術を示した。


 これが――辺境の大歓楽街ブルスケッタという都市の始まりである。




 そして現代。




 トロンリネージュ国土の最北端に位置するこの街は、大壁を守護する要塞都市ヴァイスブルストより更に山岳側に存在する事から魔人領に最も近い危険な場所である。それ故に納税が免除されており、国家が認める検問などがなく街へは誰でも出入りする事が出来る。誰も他人を詮索しないし誰も取り締まらないが故に成長した無法都市――これがブルスケッタなのである。


「わぁ…こんな遅い時間に人がたくさん」


「凄い所だろ」


「アレは何をしているのでしょうか」


「客引きだろうな」


「服を…着ておられないように思うのですが」


「寒さに強いんだろう」


「何か御病気を患っているのでは? 大丈夫でしょうか」


「二、三人ぐらいは余裕だろうな」

「?」


 服すら着ていない娼婦やら何やらが闊歩するこの都市であるが、”懺悔ザンゲ”という酒場の頭取が裏で全ての店を取り仕切っていた。だから無法者ばかりのこの街にも”無言の法”があり、爪の皮一枚で統率が取れている。


「そのドレスは目立ち過ぎる。これを」


「ユ、ユウィン様の上着…? い、いいのでしょうか」


「古いが丈夫で暖かい。すまんが我慢してくれ」


「真っ黒のお召し物なんてウフフ。お母様が見たら卒倒しそうですね。でも余計に目立つのでは?」


「気にしている奴がいるか?」


「いま…せんね」

「そういう街だ此処は」


 此処の店は夜にしか開いていない。

 街に降り立った時には既に深夜二時を回っていたが人通りは非常に多かった。そして魔法光で彩られたネオンが眩しく、立ち並ぶ店を目まぐるしく照らしており昼のように明るい。


「あっ」

「どうした」

「本当だ」

「ん?」

「…暖かい」

「そうか」

「落ち着く…匂い」


「…………そうか」


「ユウィン様でもそういうお顔されるんですね」


「執事のじーさんにも言われたな」


「私ばっかり格好悪い所見られてるんですから。お返しですよ~だ」


「やれやれ」


 王宮では張り詰めていた彼女が、年相応に小さく舌を出す姿に少し微笑みながらゆっくりと歩みを進めた。この場所の雰囲気もあるのだろう。随分とこわばっていた肩の力というヤツがほぐれてくれているように見える。


 同時に通り過ぎに見える景色は――


 酒を出す酒場。

 武器を出す酒場。

 女を出す酒場。

 男を出す酒場。


 そして非合法の薬を出す酒場までもが所狭しと立ち並ぶ歓楽街――夜の盛り場、男と女の声でごった返す欲望の街だ。


「もう少しで着く」


「はい。でもあのですね、すんなり着いて来ましたけど」


「あぁ解ってるよ」

「解らないで下さいよもうっ」


「緊張してるのが見て取れたからな」


「安い女と思わないで下さいねって言おうとしたのにぃ」


「君が面倒な女だって解っている」

「め、面倒…」


 後ろで「やっぱり私って…」とかブツブツ言っている当国の皇女を尻目に、古き西部を感じさせる一際大きな酒場の扉を開けた。


「「ようこそ”ZANGE(懺悔)”へ♡」」


 やたら看板と従業員の衣装が派手ではあるが、落ち着いた雰囲気のBARだった。一階の酒場から二階のバルコニーでもウエイトレスが手を降っている所を見ると、二階部分は逢い引き用の宿舎になっているようだ。案内係の娘が駆け寄ってく来たと同時に、その特徴的な耳の形にアンリエッタは瞳を輝かかせて前に出た。


「あっ、こんにちわ森人の方ですよね。初めて見ました」


「こちらこそはじめまして人族の可愛いお客様♡ウチは女の子同士もイケる店ですよっ」


「オンナノコドウシ…とは?」


「君は知らんで良い」


「イケる…? 確かエルフの魔法言語は特殊だと聞いた覚えが」

「ボックス席に通してくれ」


 ウエイトレスは皆露出度の高めな衣装である。というか人によっては上も着ていない店員もおり、何とも妖艶な雰囲気を漂わせていたが、意外にもアンリエッタは平然としていた。それどころか興味深く目を煌めかせて周りを見回していた。髪。肌色。種族に至るまで、皆分け隔てなく仕事に勤しんでいる姿に感銘を受けている様子だ。ようするに事が逆に良かったと言える。


「このフリル付きのスカート独創的ですね下着が見えちゃってます。と言いますかこれ下着ですか? あ、凄い、可愛い」


「可愛いでしょ? 此処の制服は四百年くらい前から変わってないみたいですよ♡」


「これがロストキングダムの裁縫技術ですか」

「あ♡コレはエルフ全然関係ないですっ」


「ということは多種多様の種族が一丸となって作り出した技術の結晶なんですね。大変興味深いですこのデザイン…王宮でも採用してみようかな」

「ホットバターラムを二つ頼む」

「はーい♡よろこんでっ」


 微妙に噛み合っていない会話の合間にすかさず注文を入れたユウィンを入店時から視界に入れていた人間がいた。

 

「アンリエッタは呑めるのか?」


「は、はい少しなら」


 ドスン。

 という音は実際には聞こえていないが、一瞬で空気が変わったような気配を感じさせる大きな人影。


「…わ」


 象でも殴り殺せそうな巨体。

 魔人を相手に一歩も退かなかったアンリエッタが愕然とする程に。


「……久しぶりじゃないかリトルボーイ。アンタなら奥のVIP席に通したいんだけどね」


「構わないさカルアママ。変わりないか」


 ユウィン達が席に着いた瞬間に声を掛けてきた女性は色街を取り仕切る”カルアママ”と呼ばれる存在である。無法者達の顔――頭取だ。


「変わり、オオアリだわよ」


「何かあったか」


 ブボッという音がしたかと思えば煙草が一吸いで灰になっていた。吐き出した大量の煙にアンリエッタが咳き込んでいたが、像のような女は気にもしないし見もしない。


「まったく大損害だわよ」


 機嫌も悪そうだ。


「潜らせていたウチのモンの死体が上がった。間違いなく要塞都市から魔人が流れ込んで来ている。大ババから聞いてた四百年前の二の舞いにならないように今防御を固めてるトコだわよ」


 その言葉に、今まで抜けていたアンリエッタの肩が強張った。要塞都市ヴァイツブルスト――トロンリネージュ北部を魔人から守るために作られた砦であるが、今回自分の叔父シャルルとグランボルガ外交官の手引で要塞都市の関を秘密裏に開き、魔人を招き入れたという事は既に調べがついている。口ぶりからして大量の死者が出たこの現実を受け、彼らの陰謀を見抜けなかった自分のせいのように感じたが為に。


「トランリネージュ皇女として謝罪を」

「それなら問題ない」

「あぁん?」


 立ち上がったアンリエッタを遮った男に、酒場にいる全ての人間の視線が集まった。騒がしかった店内が水槽を引っくり返した床のように冷ややかに変わる。


「ユウィン様私は」

「問題ないと言った」

「一応に聞いておこう。リトルボーイ」


 カルアママのブ厚い面が強張った。重力が増したような、場が凍りついたような。陽気で活気のあった店内に巨大な氷が屋根を突き抜けて落下したような沈黙。客はもちろん、ちょっとの事では動じない経験を積んでいる従業員までもがママの威圧感に負け身を震わせている。


「どういう意味さね」


「始末した」


 視線だけで大の男を失神させる二つの瞳がユウィンの=リバーエンドを捉えていた。これが常に危険と隣り合わせである辺境の大都市を一人で牛耳っている手腕と胆力。敵は魔族だけではないからだ。本当に厄介なのは壁で隔てることの出来ない人間種であるから。それらを纏め上げてきた女傑一族が冠する称号――”カルアママ”という肩書きは伊達ではない。


「全部で15体いたらしいじゃないかえぇ?」


 ――ゴクリ。

 注文を取ろうとしていた森人ウエイトレスの喉が鳴る。


「鈍ったか? だろカルアママ」


 森人娘は冷や汗を流しながら平然と軽口を返した男に視線を送った。この視線の意味する所は焦りである。だが、一般人の感じる焦りではない。「勘弁してよ」という意図である。この男は死体になって処分され、隣りにいる女はこの街で死ぬまで客を取らされる事だろう。仲間が増えてしまえば自分の食い扶持が減る上に、指導に時間も取られてしまうからだ。しかしそんな下っ端やアンリエッタすらも見てもいない当の女傑は、パンパンに張った頬を歪めてニンマリと笑っていた。


「マーッハッハッハッハ!!!」


 店内の硝子が全て割れるのではないかという号笑。


「試して悪かったねぇそうかそうか。という事はまたこのブルスケッタはアンタに助けられたというわけだ。流石はリトルボーイいや、魔人殺しだわよ!」


「いい加減その呼び名はヤメろよマリーベル」


「マーッハッハッハなーにを照れる!!? アタシとアンタの仲じゃないさ我が心の友ユウィン=リバーエンド」


「馬鹿力で背中を叩くな一張羅の白シャツが破れる」


 森人娘は注文を取ろうとして待機していた事をこれほど迄に後悔した日はなかった。頭取に此処まで乱暴な軽口を聞ける人間など見たことが無いからだ。いつカルアママが怒り出すかと身を強張らせて汗を流す。


「じゃあ宴だわよ! 今日はアタシのオゴリだ。ウチの綺麗所も入れてパァっとやろうじゃないか!!!」


 パチンと指を鳴らしたと同時に、奥から十を超えるウエイトレスが整列する。心なしか背丈の小さな女性が揃えられている気がしないでもない。


「勝手に盛り上がるなよ営業の邪魔をしに来たんじゃない」


「お前って奴はいつもそうだ。いつになったらウチの娘達に手を出してくれるんだい」


「別に此処の従業員が気に入らない訳じゃない。この店には思い入れがあるから汚したくないだけだ」


「せっかく今回はアンタ好みの童顔巨乳娘を揃えたってのに」


「……へぇ」


 背中から陽炎が上がるアンリエッタに気付かないフリをしつつ。


「今回のはカルアママの為にやったわけじゃない。だから気にするな」


「何言ってんだい水臭い。アタシとアンタの仲だ奢らせてもらわんと筋が立たないだわよ」


「それにな」

「あん?」


「綺麗所なら間に合ってる」


 カルアママは再びニマリと口角を歪めた。ようやく向かいに座るアンリエッタに目を向ける。


「アタシとしたことが読み違えたよアンタが女を連れて来るなんて初めてだったからさ――嬢ちゃん名前は!!?」


 そろそろ大丈夫だろうと安心しかけていた森人娘が尻もちをついた。心なしか床が濡れているようにも見える。カルアママがアンリエッタに向ける視線と声は、ユウィンに語る口調とは明らかに違っていた。裏世界のボスが発する本気の圧。


「あの……えっと」

「なんだいアンタ自分の名前も言えないのかい!!!」

「そうではなく、本名を言って良いものかと……」

「此処をどこだと思ってんだい!! アンタの名前なんか一昨日の朝飯程度のもんだわよさっさと名乗りな!」

「あ、そうなんですねありがとうございます…では」


 齢十八の皇女は、一昨日の朝ご飯くらいにすぐ忘れちまうよ。そう揶揄されたのが何故か少し嬉しかったようで、立ち上がり丁寧に会釈した。


「アンリエッタ=トロンリネージュと申します。ミス・マリーベル」

「……ほぉ」


 体格差はあれど真正面から自分を見据えるアンリエッタに、無法都市の頭取はニヤリと笑った。この巨体を持つ自分を女として尊重し、かつ華麗に挨拶をした姿は感嘆に値する。そしてこの眼…全く恐れがない。威厳と力――双方を併せ持つ覇王の瞳。


「アンリエッタとお呼び下さい」


「気に入ったよアンリエッタお嬢ちゃん」


「わっと…ありがとうございますマリーベル様。え、なんです?」


 長年の友人のようにアンリエッタの肩に極太の腕を回し、カルアママは耳打ちする。


「アンリエッタはリトルボーイがどんな奴か知ってて着いて来たのかい?」


「あ、いえ。あまり良く知ってるとは……」


「じゃあ教えてあげるけどね……この男はウチの大ババの知り合いでね。アタシに毛に生える前の幼女だった頃からずっとこの姿のままさね」

「おいカルアママ」

「そ、そうなんです!?」


 その男が止めに入ったが思いのほか良いリアクションでアンリエッタが喰い付いた為に空気となる。


「話では大ババがピチピチの十代の時既にそのバァ様の知り合いだったらしいからね…不思議な男だろう?」

「一体おいくつなんでしょう聞いても良いんですかね」

「誰も知らないのさ。はぐらかされちまってね」

「あ、ユウィン様ってそういう所ありますよね。ずるいっていうか」

「だからアタシはリトルボーイって呼んでるのさ? マッハッハッハ」


 豪快に笑い、その巨顔をアンリエッタにずずいっと近づけた。


「だからさアンタ!」

「は、はい何です?」


「今晩見るこの男の体がどうなってたか、明日アタシに教えなさいな」


「えっ……と?」


 言葉の意味が解らず困惑する生娘にカルアママは再び豪快に笑っていた。


「おいカルアママ。良い加減に無粋だぞ」


「アタシを袖にしたんだからちょっと位いいじゃないさね。それにアンタが連れて来た娘だったから興味もあったしね……でもまぁ処女みたいだけど大した嬢ちゃんだ。アタシの胆にビビらず言葉を返すとはねぇ」


 照れるアンリエッタとは対象的に森人娘は抜けた腰に鞭打って、尻尾の切れたトカゲのように配膳に戻っていた。カルアママがVIPと認める客に粗相があったら。なんて考えたくもない。


「じゃあ邪魔者は消えるだわよ。まぁ今度来た時は付き合いなよリトルボーイ」


 床のフローリングと巨体を鳴らしながら、カルアママが奥に引っ込む。と同時に飲み物が届いた。


「お、お待たせしました…ホットバターラムでー…す」


 災害のような時が去り、ようやく森人娘は酒をテーブルに置く事が出来たようだ。


「二階の部屋は使いますか?」


「あぁ二部屋で頼む」


「二部屋……?」


「一番奥の二部屋を取っておいてくれ」


「あの部屋で良いんですかぁ?」


「あぁ」


 森人娘は顔をしかめたが無理やり納得したようだ。そのウエイトレス以上に言葉の意味が解らないアンリエッタの頭には「?」が飛んでいたが。



 ◆◇◆◇



 人は言った。

 作物が育たない不毛の土地だと。


 人は言った。

 月の女神にも見放された吹き溜まりだと。


 しかしそんな痩せた大地でも、夜にだけひっそりと咲き誇る小さな花があった。

 太陽がなくても咲く、反逆の花が。


 花の名前はサンディアナ。

 力を使い果たし、枯れて、ただただ男を待ち続けた少女が好きだった花。


 少女の名はマリィ。


 マリィ=サンディアナ


 星となった彼女は今はもう、いない。

 だが今も待ち続けている。

 男が再びその手を、握ってくれるのを。


 東の空に輝く星がある。

 わし座の中央に、ひときわ輝く極星が。


 その星は、この国ではアルタイル。

 西のゼノンでは天涯極星と呼ばれていた。


 夜にだけ咲く花は知っている。

 この街から生まれ、消えゆく人間が辿り着く場所だと。

 

 

 

 



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