弟の悩み

「ふぅ、ガイアスお疲れ様」

 ガイアスの屋敷の前、転移してすぐにミアが申し訳なさそうな声を出す。

「ガイアス、今日はごめんね。兄様、いつもはあんなんじゃないんだ。ちょっと弟妹に執着してるだけで……嫌なこと言われて傷つかなかった?」

「俺は大丈夫だ」

「でも……」

「俺にも弟がいるから気持ちは分かる。身内の恋人となると、そうすぐには認めたくないものだ」

『ミアは王族であることを隠したい』のだと勘違いしていたガイアスは、今まで家族に関しての話を避けていた。

 初めて家族について口にしたガイアスに、ミアが驚いた顔で質問する。

「ガイアス、弟がいるの?」

「ああ。年は八つ程離れている」

「そうなんだ……」

 ガイアスの事をまだまだ知らない自分に落ち込む。

 というのも、雑談の時にガイアスの口から出てくるのは祖父の話ばかり。ミアは、ガイアスと他の家族はあまり仲がよくないのかもしれないと考え、家族の話題を振らないようにしていた。

「俺、ガイアスの家の事もっと知りたい」

「そうだな。次会う時に話そう」

 嬉しそうに言うガイアスの表情を見て、家族とは良好な関係だと分かったミアは、頭に浮かんだことを尋ねる。

「俺も挨拶に行かなきゃいけないよね?」

「それは、まだ先でいい。俺にはカルバン様みたいに心配してくれる兄はいないからな」

 そう言ってミアの頭を撫でる大きな手。

 お互いの事をこれから知っていく嬉しさが溢れ、ミアはぎゅっとガイアスの手を両手で握った。

「そういえば、ミアは俺にキスしたいんだったな」

「なっ……! あれはイリヤが勝手に言っただけ!」

「違うのか? 俺は、したい」

 ガイアスがそう言ってミアの顎に指を添える。ミアはドキドキとしながら、自分の気持ちを正直に伝えた。

「……俺も」

 顎に掛けた指に優しく上を向かされ、ミアはぎゅっと目をつぶる。

 ちゅ、

 ガイアスは軽く唇を重ねて、フッと笑った。

「力を抜け」

「……ッん、」

 ガイアスはそのまま、ミアのうなじから後頭部を大きな手で包み込むと、角度を変えて舌を入れる。

「む、……んん、」

 びっくりしたミアは逃げるように腰を引くが、ガイアスの片手ががっちりと頭を固定していて動けない。

 熱い舌は、ミアを誘い出そうと先の方をつついている。

「ふっ、……ん、ガイァ、」

 ちゅぽ……ッ

 深いキスに応えようと、ミアがおずおずと舌を出したところで、ガイアスが唇を離した。

「ぇ……なんでぇ?」

 とろんとした表情のミアと目が合う。薄く涙が張ったはちみつ色の瞳は、今にも溶けてしまいそうだ。

「そろそろ時間だ」

「あ……ああ! そ、そうだね、十分経った、ね」

 カァアアと赤くなった頬をガイアスが撫でる。

「続きは明日だな」

「わ、分かった! またね!」

 そう言ってパッと腕輪で転移したミアは、顔を真っ赤にしたまま兄の待つ部屋へと走って行った。


 ◇◇◇


 コンコン

「はーい」

 控えめなノックの音に気づいたミアが、返事をする。

 夜の十一時であり、このような夜遅くに訪ねてくるのはイリヤくらいだ。何か小言を言われるのかと少し焦る。

「ミア、ちょっといい?」

「リース? うん、もちろん」

 ミアが安心した声で返事をすると、リースが静かに中へ入ってくる。

「どうしたどうした?」

 ミアがリースに駆け寄る。

 普段であれば、リースはとっくに寝ている時間だ。ミアが夜中にリースの部屋へ突撃することは多いが、その逆は珍しい。

「もしかして、寝るところだった?」

「ううん。剣を磨いてたんだ」

 窓辺に置いた椅子に立てかけてある剣を指差して答えると、リースは安心して本題に入る。

「ちょっと話したいことがあって……」

「浮かない顔だね。ベッドで待ってて」

 姿をパッと消したミアは、両手にマグカップを持って部屋へ帰ってきた。

「調理場でホットミルクもらってきた」

「ありがとう、ミア」


 二人はベッドに上がり、ふーふーとマグカップの湯気を吹いている。

「あのさ、父上が昨日ジハード様と話し合いをしたみたいなんだけど」

「ああ、ただの飲み会でしょ?」

 アイバンが昨夜、意気揚々とサバル国に『会議』に出かけて行ったのは、この宮殿の皆が知っている。

「フフッ……それで、頼み事をされたんだって」

「ふーん」

(どうせ『今度はシーバで飲みたい』とかだろうな……)

 ミアはホットミルクをすすりながら続きを待つ。

「僕にどうしても会いたい人がいるから、謁見依頼を受けて欲しいって」

 思ってもみなかった頼み事に、ミアは驚いてミルクを吹き出しそうになった。

「え! そんなのいちいち聞いてたらダメだって! ちゃんと断った?」

「いや、どうしてもって父上に言われて……」

「何か弱みでも握られてるのかな? いつ会うの?」

 アイバンが酒の席で、何度もジハードに迷惑をかけていることは知っている。ミアは、弟がその人と会うことは避けられないのだと、ため息をついた。

「明日の午前」

「え、急すぎない?」

「昨日の時点で、いいよって言っちゃったらしくて」

 酔っ払う父の姿が目に浮かぶ。調子良く承諾してしまったのだろう。

「その人、自衛隊の人なんだ」

「え! 自衛隊?」

 その単語に、ガイアスの顔が思い浮かぶ。

「ジェン・ウォルターって名前の男の人。まだ届いてないんだけど、僕に謁見希望の手紙を出したみたい」

「その人、会って大丈夫……?」

 以前、手紙の整理をしていた時に見た、おぞましい愛のメッセージの数々を思い出してゾッとするミア。

(あんなのがリースのとこにも大量に来てるんだよなぁ)

 可哀想に……と弟を見る。不安そうに俯くリースが本当に気の毒だ。

「ガイアスさんのことは、ミアの話を聞いて会ってみたいと思えるんだけど、自衛隊の人って大きくて強いイメージだから、少し怖くて」

「とりあえず会ってみて、嫌だったら用事あるって言って帰したらいいんだよ」

 ミアと違って慎重派で誠実なリース。そういうのは適当でいいんだとアドバイスをしておいた。

「いいのかな?」

「いいよ。俺が許す!」

 ミアの言葉に、笑ってベッドに寝転がるリース。

「明日、話聞いてほしいな。その人、午前中には帰ると思うから」

「じゃあ、剣の練習終わって帰ってきたら、お昼一緒に食べよう」

「ごめんね。ガイアスさんとの時間奪っちゃって」

 リースは申し訳なさそうに眉を下げた。

「何言ってんの! リースはいつも俺の相談乗ってくれるでしょ」

 寝転がるリースの横にバフッと倒れたミアがはっきりと言う。

「きっと良い人だと思うよ。ガイアス、自衛隊の人達の話する時いつも楽しそうだから」

「うん、ありがとミア」

 それからベッドの中で話をしていたが、珍しくリースが先に寝息を立て始めた。

「おやすみ」

 いつも頼りになる弟が、不安げに眉を下げて眠っている。

 その頭を軽く撫でて、ミアは部屋の明かりを消した。


 ◇◇◇


「そのまま、もう一度同じ型をしてみろ」

「はい!」

 翌日の朝、ガイアスとミアは剣の練習のためにいつもの森にいた。

 剣舞の型を本格的に習うようになったミアは、ガイアスの指導のおかげで、どんどん技を身に着けていった。

「そこまで!」

 掛け声とともに剣を振り下ろし、軽く払いながら納める。

「前より振り幅が大きくなっている。よく学んでいるな」

「はぁ、あ、ありがと……ございます……ッ」

 相変わらず剣の指導の直後は息が上がるミアだったが、王宮で自主的にトレーニングを続けていることもあり、数分で息が整うようになった。

「休憩しよう」

 二人は湖の近くに行くと、向かい合うようにして座った。


「今日、リースが自衛隊の人と王宮で会うみたいなんだ」

 休憩のティータイムも終わり、食器を片付けながらミアが告げた。

「自衛隊? 名前は分かるか?」

 同じ職場の者がミアの弟と会うと知り、ガイアスは畳もうとしていたランチマットを草の上に置く。

「ジェン・ウォルターって人だよ」

「ジェン?」

 部下であり友人でもあるジェンが、まさかミアの弟と会う約束をしていたとは知らなかったガイアス。

 自衛隊第七隊副隊長であるジェンと数名の隊員は現在、別の棟に出勤している。

 次の長期遠征に第六隊の隊長・副隊長が同時に参加することが決定し、一時的に第七隊を離れているのだ。

 上司がいない間の連携や、身の振り方などを教えることが目的であり、指導中は第六隊所属となる。

 棟が異なる部隊にいるため顔を合わせることもなく、ガイアスは気づけば陛下の恩賜の式以来、ジェンの姿を見ていなかった。


「ガイアスの知り合い?」

「……ああ」

 ミアの話を聞くに、シーバ国の学校に通い王宮で過ごすリースが、人間のジェンと出会う可能性はかなり低い。

(ジェンがなぜリース様と?)

 考えるガイアスだったが、どういった繋がりがあるのか分からない。

「リース、どんな人が来るんだろうって心配してたんだ。変な人じゃないよね?」

「彼は誠実で信頼できる。おそらくリース様とも話が合うだろう」

 ジェンは誰に対しても物腰が柔らく、リースを怖がらせる心配はない。そして、お互い自宅に研究室があるほど植物に関心がある。話題にも困らないはずだ。

「ガイアスがそう言ってくれて安心した」

 ホッとした顔でミアが肩を撫でおろす。

「それでさ、今日はリースの話を聞かないといけないから、このまま帰るつもりなんだ」

「そうか」

 いつも通り落ち着いた返事を返すガイアスだが、ミアはその眉が少しだけ下がったのを見てしまった。

「もしかして、寂しい?」

「はは、少しな」

 笑って答えるガイアスは、スッと手を上げミアの耳の近くを撫でた。

「だが今日は弟を優先してくれ。俺は、今度甘えることにしよう」

 そう言って微笑むガイアスが可愛くて、ミアはガイアスの頬に手を寄せると、ゆっくり顔を近づけた。

 手をガイアスの膝におき、下から唇を寄せる。

「ガイアス。目、閉じて」

 お互いの息がかかるまで近づいても、ガイアスは目を閉じない。

「見ていたら駄目なのか?」

「……だめ」

 恥ずかしくて視線を逸らしたミアの身体が、ふわりと浮く。ガイアスは抱き上げた狼を自分の膝に乗せた。

(ガイアスの目、凄く綺麗)

 深い緑の瞳にミアの金色の光が映っている。吸い込まれるような美しさにもっと近づきたくて、ミアは自然と顔を寄せた。

 ちゅっ

 音が鳴り、ミアは少し顔を離す。

 新緑のような瞳がミアを見つめる……こんなに綺麗な色が自分のものだなんて信じられない。

 ミアはガイアスの瞼を指でなぞり、またキスをした。

 ちゅ……ちゅ……

 ついばむようなキスが続く。

 その感触の気持ちよさに我慢のできなくなったガイアスは、舌を小さな唇の間に差し込もうと口を開いた。

 しかし、ミアがガイアスの胸を軽く押し、それは叶わなかった。

「ミア……?」

 目元をトロンとさせつつも、口元に手を置いてこれ以上は駄目だと示すミア。

「俺、もう帰らなきゃいけないから」

「そうだったな」

 このままキスを続けては、リースとの約束に間に合わなくなるだろう。ミアは自分を律して帰る意思をガイアスに伝えた。

 ガイアスも熱が籠り始めた自身を無視して、努めて冷静に答える。

「あの、早く練習したいね」

「練習?」

 ガイアスはミアの言葉の意味が分からず、今終わったばかりの剣に視線をやる。

「えっと、いろんなとこで……気持ちよくなる練習」

「……っ!」

 ガイアスは、その一言で身体がブワッと高ぶるのを感じた。腕には鳥肌が立ち、下半身は緩く立ち上がろうとしている。

(わざと言ってるんじゃないだろうな……?)

 毎回ミアは、そういう行為を出来ない時に限って煽るような台詞を口にする。

「あ、もうお昼だ。じゃあ俺、父上と兄様に来週のこと伝えとくね!」

「あ、ああ……頼む」

 二回目の挨拶について言及し、ミアは明るく手を振った。


 ミアが完全に消え、ガイアスは、はぁ……と息を吐く。

(俺も、早く『練習』がしたい)

 ガイアスは、側に置いてある剣を持つとスッと立ち上がり、気持ちが落ち着くまで素振りをした。

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