練習が必要

 ひとしきり笑ったミアが、ガイアスの脇腹に手を添えてコショコショとくすぐる。

「あれ? ガイアス何も感じないの?」

「ああ、俺は何ともない」

 さっきまでの甘いムードが嘘のようだ。

 今、体勢はさっきと同じくミアをベッドに押し倒している形だが、ミアがくすぐってくるのを、ガイアスがポカンと見ている。

「キスより気持ちいいとか言って俺を騙して、ガイアスって悪い奴」

 ミアの顔は、セリフとは裏腹に愉快そうだ。

 何と返して良いか分からず、ガイアスは身体を起こしながら考える。

(ミアは俺が思っている以上に……そういう知識がない)

「ミアはくすぐったがりなんだな」

「うん。だから誰かがくすぐろうとしてくると、すぐに分かるんだ」

 へへっと得意げなミアの身体を起こし、変な気が起こらないよう座ったまま話をした。


 その後、昂ぶりが落ち着いてきたガイアスが帰りの時間を尋ねると、そのまま泊まりたいと言うミア。

 もちろん嬉しい申し出だったが、今のガイアスには少しキツいものがあった。

「おやすみ、ガイアス」

 結局、ガイアスに後ろから抱きしめられる形で話をしながら眠っていったミア。

 ガイアスは、天国と地獄を両方体験しているような、複雑な夜を過ごした。


 拷問のような夜が明け、ガイアスはフワッとした白い耳が顎に当たって目を覚ました。

 夜中は、ミアの体温を感じながら『何もできない』という苦痛を味わったが、明け方ミアが安心しきって仰向けで眠っている姿を見ると、そんなモヤモヤも晴れてしまった。

「今夜も来ていい?」

「ああ、もちろんだ」

 ミアがシーバに帰る前に尋ねた。

 もちろんだと頷くと、ミアは嬉しそうに微笑んだ。


 そして今、ミアは昨晩と同じ時間にガイアスの自室へとやってきた。その手には大きな袋。

「これ、冷たい菓子なんだ。屋敷の人達の分もあるよ」

「わざわざ手土産まで、悪いな」

「ううん。俺が食べたかったんだ」

「渡してくるから、好きにくつろいでいてくれ」

 自室の扉を開けて出ていくガイアスを見送り、ミアは改めて部屋を見渡した。

 机の端には、あの日見た便箋の束がある。

(これを見て、嫉妬したんだよなぁ)

 あの時見た『会いたい』の文字が自分に向けられたものであると分かる今では、練習した文字も愛しい。ミアはクスッと笑って、可愛い恋人をソファで待った。

 しばらくすると、ガイアスとティーセットを抱えた執事が部屋に入ってくる。

「ロナウドさん遅くにすみません。おじゃましてます」

 ロナウドも一緒とは思わず、ミアは慌てて立ち上がって軽く挨拶をする。

「ミア様、ようこそいらっしゃいました」

「こんな格好で、すみません」

 夜でもかっちりと制服を着こなしているロナウドと比べて、ミアは寝間着姿だ。

「いえいえ、お気になさらず。ミア様、先程は私達にまでお心遣いありがとうございます。皆喜んでおりまして、直接お礼を申し上げたいとのことです」

 嬉しそうに執事が告げる。

「では、また改めて挨拶に来ます」

「お待ちしております」

 執事はにっこりとした顔で会釈をすると、ミアが持ってきた菓子を手早く準備した。

「失礼いたします」

 下がっていく執事を見送って、ミアが菓子をガイアスに手渡す。

「これ、俺が好きなお菓子なんだ。食べてみて」

 ミアが持ってきたのは、白いバニラアイスにたくさんのフルーツが入った冷たい菓子だった。料理長の計らいで冷やされたガラスの容器に入っている。

「美味いな」

 ソファに並んで座り菓子を楽しむ。ガイアスは見た目よりあっさりとしたその味に驚いていた。

「これ、王宮近くの店で出してるんだけど、持ち帰りはすぐ売り切れちゃうんだ。今日お昼に行ったらまだあったから買ってきた」

 ラッキーだったとニコニコ笑うミアの頭を優しく撫でる。

「わざわざミアが買いに行ったのか?」

「うん。俺、王子だけど、買い物くらい自分でするよ」

 ソファをパシパシと叩く尻尾と、えっへんと言いたげな表情に、思わず笑みが溢れた。

 菓子から話が膨らみ、シーバ国のことや狼、そして人間について教え合う。そしてガイアスは、一番聞きたかった話題に触れた。

「ミア、失礼なことを聞くかもしれないが……」

「ん?」

「ミアは性教育を受けたことがあるか?」

 ミアはなぜ急にそんなことを聞いてきたのか分からず首を傾げたが、聞かれたことに対して事実を伝える。

「うん、受けたよ」

「なに⁈」

「え、サバルでは勉強しないの?」

「いや、習うが……」

 堂々と『学んだ』と言うミアに、その内容を詳しく聞く。

「えーっと、子供の作り方は知ってるよ。性器同士を繋げる必要があるでしょ?」

 ミアは習ったことを思い出しつつ説明する。

「そのために精液が必要だってのも分かる。あとは、雄は精液が溜まるから、朝ときどき夢精をする」

『これが全てだ!』と言わんばかりのミアの態度に、ガイアスは頭を抱える。

「ミアの言うことは全て合っている。だが足りない部分もある」

「え、そうなの? イリヤが教え忘れたのかな?」

 ミアはそう言うが、ガイアスは過保護なカルバンが関係している線が妥当だろうと考えた。

「ミアは性交に関しての知識はあるが、その行為がどんな意味を持つかを習ってないんだな」

「子供を作るんだよね?」

「それ以外にも目的がある」

「え、何だろ?」

 ミアは顎に手を置いて考える。

「性器を繋げて、うーん……」

「繋げる……それをセックスと言う」

「あぁ~、学校で聞いたことあるよ! 性行為のオシャレな言い方だろ?」

「まぁ、そうだな。それは恋人同士でもする行為だ」

「うん」

 結婚してからの間違いでは……と思いつつ、ミアが頷く。

「子どもを作るという目的がなくても、するんだ」

「ええ? 何のために?」

 ミアは興味津々とばかりに目を見開いてガイアスを凝視する。

「恋人同士がより愛し合うために、だな」

 説明しながらガイアスも気恥ずかしくなってきた。喋っていて耳が熱くなる。

「なんでそれが愛し合うことになるの?」

「その、行為をするには、お互い裸になるだろ? 肌を合わせると相手をより近くに感じることができる」

「あぁ~なるほど」

 ミアはワクワクと新しい知識を得ることに胸を躍らせている。純粋な目で見られて、ガイアスは少しドギマギしながら続ける。

「そして、セックスはすごく気持ちがいいんだ。だからそれを二人で共有する」

「え、気持ちいいの? キスより?」

「ああ、はるかに気持ちいい……と、聞いたことがある」

『聞いた』というのは、ガイアスは誰ともそういう関係になったことがないからだ。

 学校は自衛隊クラス。生徒のほとんどは男であり、剣に夢中だったガイアスは他人との交際やセックスにまるで興味がなかった。

 入隊してからは仕事に慣れるまで忙しく、その後もみるみるうちに副隊長、隊長へと出世。そのまま遠征で二年間飛び回っていたため、そういったことに関心を持つ暇がなかった。

 隊員時代も遠征中も、行為をするチャンスが無いわけではなかった。

 ガイアスはその男らしさや隊長という肩書きから、今までも多くの人間が近寄ってきたが、誰に対しても『親しくなりたい』と思うことはなかった。

 ガイアスが唯一興味を持ったのは、今まででミアただ一人だ。

「へぇ~。でも俺達には関係ないね。雄同士だか、」

「できる」

 少し食い気味にガイアスが被せる。

「男同士でもできるんだ。そして俺は、ミアとセックスをしたいと思っている」

 そういうことは流れで始まるものだと思っていたガイアスだったが、ミアが理解していないままに強要するのは良くない。

 恥ずかしい気持ちを押し殺して、ミアに自分の思いを伝えた。

「ただ、ミアは今それを知ったばかりだ。だから、急がなくても良いし、無理もしてほしくない」

 ガイアスの言葉に、ぽかんとしていたミアだったが、ブンブンと首を横に振った。

「俺、今は分かるよ! 俺もガイアスと愛し合いたい。セックスしよう!」

 ミアがガイアスを押し倒す勢いで抱き着く。急な展開に驚きつつ、ミアの身体を受け止める。

「よし、今からしよう。それってベッドに寝っ転がってやるんでしょ?」

「待て待て! 気持ちは嬉しいが今日はしない。というより、できないんだ」

「え……?」

 耳がへにょんと垂れた残念そうな顔が、ガイアスを見つめる。

「男同士だと準備がいるんだ。あとはミアの気持ちがセックスを気持ちいいと思える段階じゃない」

 ミアは垂れている尻尾を少し左右に振って、拗ねた声色で聞く。

「じゃあ、いつするの?」

「少しずつ触れることに慣れていって、ミアが身体のいろんなところで気持ちいいと感じるようになったらしよう」

「それじゃ時間がかかっちゃうよ。俺、予習してくる!」

 予習という単語を聞いて少し不安がよぎるが、心の準備があった方が良いだろう。頷くと、ミアは、よーし!と張り切って拳を握っていた。

 ガイアスは興奮するミアをベッドへ連れていく。

「明日に備えて、今日はもう寝よう」

「うん!」

 明日はミアの実家に交際の挨拶に行く日だ。

(無事で済めばいいが……)

 ガイアスは、カルバンによって殴られるであろう頬を少しだけ心配しつつ、小さい身体を抱いて眠った。

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