第14話 胃潰瘍の戦と心筋梗塞の戦

 静岡の温泉宿で一泊することにした。食事の後、大浴場に入っていると信長一行がやってきた。

「お主も入っていたのか。広い風呂じゃのう。安土の城にもこれほどの風呂は無いわ。今度は作らせねばならぬわ」

 信長の機嫌のよい言葉に安心しつつも、やっとほぐれた心身にまた緊張が走る。

「あつーい、あつーい」

 変な日本語で湯船に入る弥助がいた。前を隠してない。一升瓶いっしょうびんほどはある一物いちもつが左右に揺れる。

「うるさいわ、丁度良ちょうどよ湯加減ゆかげんじゃ、黙って入っておれ」

 信長は、一度温まると湯船ゆぶねを出て脱衣室だついしつに入った。そこには、年寄りが一人椅子いすに座っていた。信長は、その年寄りの腹と胸の傷跡きずあと凝視ぎょうししている。

「御老体、その腹と胸の傷跡きずあと、若かりし頃は、さぞや名のある武将でござったのであろう。いずれのいくさで負うた傷にござるか?」

 年寄りは、突然の問いに、

「名のある武将? そんな大したもんじゃないよ。一等兵よ。終戦の時は軍曹ぐんそうまでなってたがのう」

「一等兵? 軍曹?」

「一等兵はですね、昔で言うところの足軽かな。軍曹は足軽小頭あしがるこがしらってとこかな」

 渡辺が説明した。

「であるか。では、大将の事は何という?」

「大将は、大将ですな」

「であるか。では、その下は?」

「中将ですな」

「中将、公家のくらいの様じゃな。さしづめ、丹羽にわか柴田あたりか。ではその下は?」

「少将ですな」

「少将、これも公家の位か。公家がなるのか?」

「いえ、公家、武家とは関係ございません」

「であるか。さしづめ、羽柴はしばか、滝川たきがわあたりか。ではその下は?」

「大佐ですな」

「大佐か。さしづめ、前田の犬千代いぬちよあたりか」

 信長は、老人の傷を再び見て訊いた。

「では、その傷は?」

「ああ、これか、これは三十年ほど前に胃潰瘍いかいようで、これは二十年ほど前に心筋梗塞しんきんこうそくをやっての・・・」

 老人は答えたが、

「胃潰瘍のいくさと心筋梗塞のいくさでござるか?」

 信長はさらに訊く。

「胃潰瘍は大したことはないわ。いくさと言えば、インパールだのう」

 年寄りは、昔を顧みる様に目を細めて答える。

「インパールとは何処いずこのことでござる?」

 信長の問いに、

「まぁーその、インドの入り口辺りですかね」

 渡辺が答える。

「インド?」

 信長はインドを知らない。

「まあ、昔で言うところの天竺てんじくですな」

 渡辺が答えると、

御老体ごろうたい、天竺にまでも攻め込んだのでござるか?」

「まぁ、そういうこっちゃ。散々の負けいくさやったけんどな」

 老人の言葉に、信長は感動を隠せない。

「全く以って、この上総介信長かずさのすけのぶなが、天竺にまで攻め込んだ事、日乃本ひのもとたみの一人として誇りのきわみでござる」

「散々の負け戦を初めてめられたぞ、ワッハッハ」

 老人はさも愉快そうに笑う。

「して、負け戦とは、無念にござったのう」

「そうよ、はじめは良かったのじゃが、調子に乗って深入りしたのが運の尽き。補給が追い付かず、弾も砲弾も乏しく、食料も無くなって腹が減って戦にならんかった。イギリス軍の反撃にあい、来た道を必死で逃げたのよ」

 老人の言葉に、

「そうでござるのう。阿呆あほな武将の元で戦をする兵たちほど気の毒な者はおらぬ」

「あんた、若いのによく分かってらっしゃる。息絶えた戦友の最後の姿が今でも目に浮かぶ。あのビルマの地で、骨となり風雨にさらされているのかと思うとのう、温泉に入ってええ気持ちになっとる自分が情けのうて」

 老人はそう云うと、また湯船に入って行った。

 


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