ワープ 05 ~タイムマシーン~

かわごえともぞう

第1話 ジュリーの再婚

 「おい、どうしたんだよ。最近元気ないぞ」

 渡辺は、その原因を分かっていながらあえて聞く。

「分かっているでしょ。隠しはしないわよ。もう切なくて切なくて死んでしまいたいくらいよ」

 ジュリーは、そう言うと顔を手でぬぐい、机に突っ伏した。小さな嗚咽おえつが聞こえる。泣いているのだ。

「こりゃかなり重症だ。病、膏盲こうもうに入るって奴だな」

 渡辺はジュリーの姿を見てあきれ返っている。

「なによ、その、やまい、肛門に入るってのは? 言っとくけど、私、痔じゃないわよ」

「馬鹿か、肛門じゃなくて、こうもうだ。病気が回復不可能な状態の事を云うのじゃ。よく覚えとけ」

「そうね、そのとおりよ。この恋の病はもうこうもんだわ。どうしようもないわ」

「こうもんじゃなくて、こうもうだ」


 ジュリーは、中華料理屋の主人、山岡竜一に一方的に恋心を抱いており、その思いがこのところつのりりに募って何も手が付けられない状態になっている。講義はジュリーAに任せ、自分は一人研究室にもって、日がなうつろな目で何をするでもなく過ごす日が続いているのだ。

「そこまで想ってるんなら、さっさっと告っちまえばいいじゃないか。今時の若い奴らなんて女の方から告白する方が多いって話だぜ」

「何度もしようと思ったわよ。でも、いざとなると体が固まって口が動かないのよ。ああもういや、こんなに辛いとは…、本当に胸が痛くなっちゃうのよ」

 ジュリーは、また手で顔を覆い、しくしく泣き始めた。


「このみやぎな王朝文化の伝統を持つ我が大和の国には、こういう場合、とっておきの方法がある。何なら教えてやってもいいぞ」

 渡辺の言葉にジュリーは素早く反応した。顔を覆った手の指を広げて渡辺を見る。

「何でもいいわ。お願い、教えて」

「恋文を送るのよ」

「恋文? 何がとっておきの方法よ、ラブレターなんて夢見る乙女じゃあるまいし」

「これだからダメなんだな。建国二百年余りの野蛮国は。恋文の文は和歌の事じゃ。短歌を送るのよ。ポエムを送るのよ。アイ・ラブ・ユーなんてちんけな口説き文句送ったって相手には伝わらんぞ。ポエムじゃ、詩を送るのじゃ」

 ジュリーは、顔から手を除けて立ち上がり、そして、

「素敵だわ、そう、ポエムを送るのよ」

 と叫ぶと、両手を握りしめて、宙の一点を見続けている。

「ところで、短歌って何? おひけぇなすってとかのあれ?」

「それは啖呵たんか。時代劇の見すぎじゃねぇのか。俺の言ってるのは短歌じゃ」

「そう、で、どんなポエム?」

「五・七・五・七・七の字数で作る日本伝統の詩よ。女から男に想いを打ち明けるときは、今でもこの短歌を用いるのが大和撫子やまとなでしこたしなみと言っても過言ではないな」

(きょう日、そんな女は探してもいないが……)

 ジュリーは、大乗り気だ。詩で想いを打ち明けるというところに、ほとんど枯れ尽きていた乙女心がよみがえったのだ。

「短歌教えてよ。たとえばどんな短歌があるの?」

「たとえばだ。忍ぶれど 色にいでにけり わが恋は ものや思うと 人の問うまで」

 渡辺は朗々と歌い上げる。

「どういう意味?」

「これか、これは、恋しい心を隠していたが、自然と出てしまったのか、物思いでもしているのかと人に聞かれてしまった。とかいう意味だったかな」

 渡辺はもう一つ自信はない。文化系の科目は全く苦手なのだ。高校生の頃、俳句を作れと言われ、提出したのが、「牡蠣かき食えば 腹が鳴るなり 雪隠寺せっちんじ」という句で、まじめ一徹の国語の教師の逆鱗に触れ、二時間正座させられたこともある。

「これは、世界三大美女の一人、小野小町の歌だ」

「それって、わたしにぴったりじゃないの。美女ってつらいのよね。美人過ぎると男たちはかえって遠慮して寄り付かないのよ。小野小町の気持ち、痛いほど分かるわ」

「・・・・・」

 渡辺はあきれてものが言えない。相手をするのも阿呆らしくなっては来たが、乗り出した舟、ここで引き返す訳にもいかない。

東風こち吹かば 想い起せよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」

 また、朗々と歌い上げた。渡辺の知っている有名な和歌は、以上二つで仕舞いだ。

「どういう意味?」

「これか、これは、亭主がいなくなったとしても、梅の花が咲いたなら、匂いだけでも東風に乗せて送り届けてくれ、なんて意味だったかな。な・・・そ、の部分が強い否定を表すとかで、試験によく出るなどと教えられた記憶だけは残っているな」

「分かったわ。私も和歌を作るわ。和歌で想いを伝えるなんてロマンチック。私にぴったり」

 ジュリーは、すでに自分の世界に入っている。こんなに見事にはまるものかと渡辺は驚きつつも、これからの成り行きが楽しみでたまらない。


 その次の週末、中華料理屋の山竜飯店の山岡竜一が、研究室のドアを半開きにして中を覗いている。

「あのーー」

 山岡の声に渡辺は振り向いた。

「何ですか。今日は出前頼んでませんよ」

「いえ、それではなくて、ちょっとご相談が・・」

 渡辺は、もしやとは思ったが、知らん顔で対応する。

「実は、ジュリー先生からこれが届きまして。私は無学なもんで何の意味かよく分らんのです」

 山岡は一通の封筒を差し出した。ハート形の切手にハート形の封印が貼ってある。

(早速やったか…あの馬鹿女、それにしても軽い奴だな)

「中を出してもいいですか」

「ええ、どうぞ」

中からは三つ折りにされたレポート用紙が出て来た。

(レポート用紙か・・・せめて和紙の便箋びんせんぐらいは使えよ)

レポート用紙には、

『忍ぶれど 色に出にけり わが恋は 主なしとて 春な忘れそ』

の和歌がしたためられている。隅には赤いキスマークまである。

 (なんじゃこりゃ、この前の二つの和歌をつなぎあわせただけじゃねえか・・・)

「あのう、これはどういう意味か教えていただけないでしょうか」

 山岡は、真顔で聞いてくる。

「これはですな、いわゆるラブレターという奴ですな。意味はと申しますと、あなた様を好きになり、恥ずかしくて忍んで忍んでいたけれども、根がスケベな私はどうしてもその心が表に出てしまう。私は前の亭主と分かれ、主人を持つ身ではないけれど、私のこのスケベな心と体は、まだまだ春の最中であることを忘れないでくださいましな・・・てな処でしょうか」

「どういうことでしょうか?」

「これはですな、付き合ってくれとないか、出来れば結婚してくれないかという事ですな。ですが大将、やめといたほうがいい。あの女、生意気なんてもんじゃない。結婚なんかしたら、大将が不幸になるのは見えているようなもの。やめときなさい、やめときなさい。破ってゴミ箱にでもポイっと捨てとくのが一番でっせ」

「そうでしょうか?」

 山岡は、そう言うと、しばらく窓の外を見ていたが黙って出て行った。

 

 その週に小学校の修学旅行があった。六年生になったカレンと平太は京都に行っている。竜一は、バラの花束を持ってジュリーの家の玄関の前に立った。

 翌日の朝、二人はベッドルームでジュリーの点てたコーヒーを飲んだ。

(小生、ラブシーンを書くのは不得手でございまして、ここは割愛させていただきます。皆様のご想像にお任せする次第であります)

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