第2話 浮浪者

 真琴が向かいのベンチの女性のクロッキーをしている時だった。

 構内の奥から何か感じた。

 上手く言えないが、”気”みたいなモノを感じていた。


 真琴は、ゆっくりとその方向に顔を向け見つめた。

 何か、こちらに向かってくる。

 音なのか、匂いなのか、わからない。

 何者かの体から発せられる波動なのか?

 真琴の目が本能的にその方向に向けられる。


 何だ。


 安全なモノか、それとも危険なモノか、真琴の身体中のセンサーがそこに集中する。


 浮浪者だ。


 そこに現れたのは、大柄な浮浪者だった。

 季節感の無い膝まである汚れたコートをまとい、穴だらけのジーンズ。

 手袋替わりだろうか、手には白い布がバンテージに用に巻かれている。

 白いぼそぼその髪は、肩まで伸びている。

 髭も生え放題で、全く表情がわからない。

 だが、目だけがギラギラとしていて、周りの者を威嚇していた。

 野獣のように。


 人々は、そんな浮浪者に道を開ける。

 誰の目にもこの人物は「ヤバイ」と思わせる雰囲気がある。

 通行人は通路の端により、道を譲る。


 だが、道を開けないヤツもいた。

 グレーの大きめのパーカー、ダブダブのスエット、一流メーカのスニーカー。

 そして、黒のラッパーキャップに大き目の金のピアス。

 そんな男が、浮浪者の前に立ちはだかった。


 体格は、浮浪者よりも一回り小さかった。

 このヤンチャ坊主は、浮浪者と一戦やるつもりらしい。

 面白いとニヤついている。


 ヤンチャ坊主が、浮浪者と顔を突き合わせている。

 ポケットに手を突っ込んで余裕をかましていた。


「くっせぇー、おっちゃん。くせいぜー」浮浪者は、足を止めない。

「ガン無視かよ。待てよこらぁー」

 胸ぐらを掴んだが、浮浪者は止まらない。引きずられている。

 

「てめ―」


 ヤンチャ坊主が、浮浪者を殴った。

 だが、痛がっているのはヤンチャ坊主の方だった。

 続けて前蹴りを見舞うが、浮浪者はビクともしない。

 その時、浮浪者の右手がヤンチャ坊主のこめかみを鷲掴みにした。

 まさに鷲が獲物を掴む早さだった。

 そして、ヤンチャ坊主を天井高く持ち上げた。


 右手はヤンチャ坊主の顔に食い込んでいる。


 血が飛び散り、悲鳴が響き渡る。

 浮浪者は、右から左へと弧を描くようにヤンチャ坊主を壁に向かって投げ捨てた。


 周りの人たちはパニックになり、逃げ惑う。

 浮浪者は、ゆっくりとした足取りでこちらの方に歩いてくる。


 どうしょう、逃げるか。


 正直言って、こういうモノに関わり合いになりたくない。

 いいことなんて、全くと言っていいほどないのだ。

 逃げよう。


 しかし、浮浪者の動きが早かった。

 逃げるチャンスを失ってしまった真琴。

 仕方なく身構えた。


 浮浪者は、何かブツブツとしゃべっている。

 よく聞き取れない。

 真琴は、ただ、何事もなく通りすぎるのを祈るだけだ。


 祈る?

 誰に祈る?

 誰でもいい、叶えてくれるなら。


 浮浪者を近くで見ると、身体の大きさに圧倒される。

 アメコミの『ハルク』のようだ。

 真琴の頭の中で『ハルク』が暴れまわる。

 向かう所敵なしだ。

 こんなのを相手にできるはずがない。


 待てよ。


 『ハルク』は、いい人じゃないか?

 真琴は、『ハルク』から、目を離さずにいた。

 離せる訳がない。


 丁度、真琴の前に来たときに、ポケットのスマホが鳴った。


 こんな時に何の用だ。


 電話をかけてくる人はこちらの状態なんかわかるはずもないのは、知っている。

 知っているが、よりによってこんな時にかけてくるなんて。

 急いでスマホを切って頭を上げた。

 すると、浮浪者の動きが止まっていた。

 真琴の前でだ。


 簡便してほしい……トラブルなんかまっぴらだ。


 真琴は、刺激しないようにとゆっくりと浮浪者に目を移した。

 真琴の体を恐怖が駆け巡る。

 身体中から危険だと言うオーラが発せられるのを感じる。

 浮浪者の動きが止まり、眼だけが真琴を見ている。

 蛇に睨まれたカエルは、こんな気持ちなのだろうか?


 その二人も間に一人の青年が割って入ってきた。

 浮浪者よりも体は小さいが、筋肉質の青年だった。

 マンガの”刃牙”みたいな。

 真琴は、丁度その青年の影に隠れた。


 浮浪者は、ブツブツ独り言をいうとホーム方へ歩き始めた。

 青年は、振り向きざまに真琴に微笑むと浮浪者の後に付いていった。


 何も起こらなかった。

 肩の力を抜く。


 あの浮浪者は、何だったのだろう。

 そして、あの青年も。


 真琴は、見えなくなった浮浪者の方を見つめていた。

 

 ヤバイ。そっちには、絢音が居る。


 真琴は、その後を追った。

 真琴は、改札を抜け絢音を探した。

 もう、ピアノの周りには、誰も居ない。


 一点透視で描けそうな真っ直ぐのホームの先に人が見えた。

 人々がホームの端に寄り固まっている。

 なんだ?様子が変だ。

 真琴は、目を凝らした。

 みんな、恐怖で固まっているんだ。


 ヤツが居るんだ。


 真琴は、全力で走り続けた。

 浮浪者の後姿が見える。

 やはり、でかい。

 二メートル越えのプロレスラーのようだ。

 悲鳴が聞こえる。

 逃げる魚の群れのように人が浮浪者の行く手を開けていた。

 その時、浮浪者の前に一人の子どもが取り残された。


 大人たちは、浮浪者に目を取られ、腰が引いている。

 子どもに手が届かない。


 浮浪者は子どもにゆっくり近づいていく。

 ギラギラした目を首を傾げながら一歩一歩近づいていき、子どもの顔を覗き込む。

「よし」と覚悟を決めた母親が浮浪者と子どもの間に入った。

 浮浪者はいとも簡単に母親を払いのけた。

 

 一番ホームの掲示板には、”電車は次の駅を出ました”とオレンジ色の文字が表示されていた。

 遠くから聞こえる。ゴーという電車のタイヤの音。


 この街では、車輪ではなくタイヤを使用していたのだ。

 音は、徐々に大きくなる。


 真琴が人をかき分けてやっとの思いで浮浪者の前に来た時、大きなものが真琴の方に飛んできていた。


 ……人?


 真琴は、咄嗟に腕を広げ抱きとめようとしたが、重さに耐え切れずに一緒に後方へと転がった。


「サンキュ」


 投げられた人は、そいうとすぐに立ち上がった。

 彼は、鼻血を右手の親指で拭った。

 浮浪者をじっと見据える。

 真琴は、その姿に見入ってしまった。

 180センチ超えの身長と引き締まった身体。


 キョウスケ。


 真琴の頭の中にこの名前が広がる。


 こいつが、あの響介?……絢音の言っていた響介。


「やめなさいよ!」


 思わず声の方を向いた。

 絢音の声だ。

 絢音が浮浪者と子供の間に割って入る。


「やめろぉ、絢音ぇー!」


 浮浪者の動きは早く、あっという間に絢音の胸倉を捕まえ高々と持ち上げた。


「逃げろ!」


 真琴が叫ぶと、浮浪者が真琴の方を見た。

 浮浪者の顔が変わった。

 浮浪者は、目を見開き、ふわっと喜びが体中から湧き上がるのを感じた。


「イタァー。ミツケタァー」


 と声を上げると絢音をほおり投げ、真琴の方に向かってきた。

 絢音は、緩い弧を描いて二番ホームの線路に飛ばされていた。


 その反対側のホームにアナウンスが流れる。


 ピンポン。

『間もなく二番ホームに快速屯田行きが到着します。

 この列車は乗車できません。ご注意ください・・・・・・。』 

 ピンポン。


 タイヤの音が大きく聞こえる。


 絢音は放物線を描き飛んでいく。 

 ホームドアを超える高さだ。このままでは、線路に落ちてしまう。

 その時、香月響介はバスケで鍛えられた身体が自然に反応していた。

 その流れるような速さとジャンプ力は、空中に止まっているかのようだ。

 そして、空中で絢音をキャッチし背を丸くして絢音を包み込む。

 だが、放物線の軌跡は変わらない。

 線路に落ちてしまう。

 既に、電車が両方のホームに入って来ていた。


「絢音ぇー!」


 真琴は、二人が線路に飛ばされるのを見ていたが、間に合わないのは分かっていた。

 その瞬間、真琴は怒りで頭の中が真っ白になった。


『一番ホームの電車は、真駒内行きです。

 降りる人が済むまで、ドアの前を広く開けておまちください・・・・・・』

 ピンポン。電車が止まり、扉が開く。


「ふざけるなぁー!」


 真琴は、奥歯がカタカタなり、カッと見開いた眼、体中のリミッターが音を立てて外れていくようだった。

 こんなに、こんなに興奮するなんてと、遠くで見つめるもう一人の自分は、それを許していた。

「ヤレ、奴を破壊しろ!」と。


 体が勝手に浮浪者に飛びかっていた。

 かなわなくてもどうでもよかった。

 ただ、この怒りをぶつけたかった。

 浮浪者は、片手で真琴を払った。

 真琴は、発車待ちの電車の扉まで吹っ飛ばされた。

 浮浪者は、真琴を追ってきた。


『17時2分発、真駒内行きが発射します・・・・・・ 』


 アナウンスが流れる。

 プーッ。

 扉が閉まり始める。

 真琴は、咄嗟的に車両に転がりこんだ。

 浮浪者は、真琴を追って車内に入ってきた。

 扉が閉まった。


 入り口付近の乗客は別の車両に逃げた。


 捕まる……


 浮浪者と真琴の間に前に遭った青年が居た。

 近くでみるとガッチリとした鍛えられた身体だ。

 格闘家のような筋肉の彫が深い身体は芸術作品の様だ。

 浮浪者へパンチを繰り出す。

 パンチは浮浪者の身体に食い込んだ。

 が、”効かないな”とニヤッと笑うと後ずさりし、ラクビーのタックルの構えをした。


「やばっ」


 青年は、振り向きドアに両手をつき、真琴を守る空間を作った。

 背中に力を入れる。背中の筋肉が隆起し鬼の顔の様だ。

 奇声を上げて、浮浪者が青年の背中に向けてタックルする。


ドフゥー。


 青年は、背中で浮浪者を抑えた。

 青年の顎から、ギリギリと食いしばる音が聞こえるようだ。

 青年のポケットからスマホが落ちた。


 スマホの画面にボイスメモの様なアプリが表示されている。

 波形グラフが流れている。

 浮浪者がしゃべると波形グラフが震える。

 画面の下に、メッセージが表示される。


『見つけたぁ、見つけたぜ、捕まえろ!』


 これは、浮浪者の言葉?


 青年は、ただじっと耐えている。


「ウォー!」浮浪者が叫びながらタックルしてくる。


 青年の体を押し、真琴の体を押す。


 だめだ、潰される。


 真琴は、その圧力からふっと解放されていた。


 振り向くと電車の閉じられた扉があり、扉の窓に浮浪者が張り付いている。

 電車が走り出す。

 青年が真琴と目が合うと微笑んだ。


「何ともないか?」


 青年が真琴にを手を差し出し、ヒョイと起こしてくれた。

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