第5話
「――あれ? あんなところにお店がある」
鳥居をくぐり、外へと出てきた矢先、愛稀は言った。車道を挟んで向かい右側に、屋台風の小さなお店がある。傍らでは、“かき氷”と書かれたのぼりが風になびいていた。
「あんなのあったっけ?」
「さあ、あったんじゃないか」
「ふーん?」
確かに、先ほどの木の枝同様、お店は元々あったもので、それに気づかなかっただけと考えた方が自然だ。彼女は即座に気持ちを切り替え、凜に言った。
「かき氷食べよう」
「いいよ」と凜は短く答えた。愛稀は嬉しそうに笑った。
かの屋台は、もちろん突然現れたわけではなく、最初からそこにあったものである。しかし、その店に行きたいというのは、彼女の意思だけとはいえないかもしれなかった。
神は参拝に来た二人を引き留めることはできなかった。しかし、神は彼なりにその不満を少しでも解消すべく、代替案を思いついたのだ。この二人、特に女子の方には、神秘に触れられるような力が備わっていた。それは逆にいうと、聖なる者の側から、彼女にアプローチすることもできるということである。
神が当初望んでいたこと。それは、暑さを紛らわせてくれる冷たいものが食べたいということだった。そこで、その思いを遂げるべく神は動いた。女子が鳥居を出て、去り切ってしまうその直前。彼は彼女の身体に同化することに成功した。言ってしまえば、憑りついたのである。
店先の陰ができているところに、丸椅子があった。そこに座って、愛稀は凜が買ってくれたイチゴのかき氷を先端がスプーン型になったストローで掬って口に放り込む。氷の塊からシロップが口内へと沁み出し、人工的な甘さが広がった。冷たさが口から喉を通って、全身に広がっていくようである。彼女の隣に座る凜が持つ紙カップには、対照的にブルーの山ができていた。
「美味しいね~」
愛稀は楽しげに言った。
「買って正解だったでしょ?」
「まあね」
凜は少し不愛想に応えた。元々甘味がさほど好きではない凜は、自分の分は買うつもりはなかったのだ。けれど、店先で注文する際、愛稀に「凜くんも食べなきゃダメ」と言われてしまった。
「お金を払うのは僕なんだぞ」
とさすがに文句を言ったが、愛稀は一緒に食べるのだと聞かない。結局、かき氷を2つ、買うことになったのだった。
しかし、彼は彼女のそんな奔放なところも、なぜか憎めないのだ。思い出をシェアしたいという気持ちは分からなくもない。それに、凜は自分の興味関心の幅が狭いことを自覚していた。愛稀がいなければ、先ほどの神社に立ち寄ることも、この屋台に気づくこともなかったかもしれない。いや、そもそもこの地に降り立つことさえなかっただろう。一人では見られない世界を見せてくれる。それは凜にとって、ある意味彼女に感謝すべきことかもしれなかった。
そんなやり取りをしているカップルの傍で、神もご満悦だった。女子の身体を通じて、久々にかき氷を堪能できた。二人のやりとりも、何だかんだで仲の良さが感じられて、どことなく心地よい。はるか昔、己の正義を貫くため、懸命に戦った。その先に、こんな幸せな二人が過ごせる未来があったと考えたら、自分のやって来たことも無駄ではなかったとも思える。願わくば、この平和が未来永劫続いて欲しいものだ――と彼は願うのだった。
「さて、そろそろこやつの身体から離れんと……」
この二人は、もうこの町を発つのだろう。冷たいものを食べたくて彼女に憑りついたものの、ずっとその身体を占領するつもりはなかった。彼女には彼女の未来がある。神として、現在を生きる者たちの人生を尊重する意志が、彼にはあった。それに、自分はこの町に根付く神なのである。持ち場を離れてしまうわけにはいかなかった。
「さて、名残惜しいが、これでおさらばじゃな」
神はそう呟く。ふいに愛稀が言った。
「あ、凜くん、ちょっと待って」
凜が車を止めた場所へと戻るべく、歩き出した矢先のことである。
「どうした?」
凜は立ち止まり、彼女に訊いた。
「すぐ戻るから、ちょっと待ってて」
愛稀はそう言うと、さっさと先ほど参った神社の方へと駆けてゆく。車道を横断して、やや小高いところにある神社の鳥居の前に立つと、ちょこんとそこでお辞儀をした。神はそんな彼女をやや驚いた顔で見ていた。
「こやつ、わしに気づいておったのか」
自分を住処に送り届けてくれたらしい。もっとも、そんなことをしなくても、神はこの女子から離れれば、即座に社の中に戻れた。つまり、この女子の行動は、本来する必要のないことではある。だが、要不要に関係なく、この行為が心からのものであったことは、神にも分かった。
彼女が下げていた頭を上げると、互いに対面するかのような形になる。おそらく、こちらの姿は見えていないのだろう。しかし、彼女はくしゃりと少女らしい笑みを浮かべてみせた。そして、ちょこんと再び頭を下げると、元の場所へと戻っていった。
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