梅花こぼれる

閑古路倫

第1話 尋常ならざる父子

 睦月の冴えた空気の中、金五郎は、勤番明けの一日に、同輩である朝比奈伸一郎あさひなしんいちろうを訪ね。水府の城下を、実家から西に向かって歩いていた。今朝も、日の出前からの朝稽古を、明け六つのお城の鐘と共に終え。濡れ手拭いを絞り、汗を拭った。そのままに、朝餉あさげ

、菜の味噌汁、干し魚、香の物を五部づきの飯で頂いた。干し魚は下男の幸七の実家から届けられた。何時には無い贅沢と言えた。それから、衣服を改めて家を出たのは、五つを幾らか過ぎたあたりだろう。

 金五郎の父、和田平助正勝は、新田宮流しんたみやりゅう居合術いあいじゅつの達人として名を成していた。

 金五郎の祖父の代から先様に使え始め、今の殿様により厚く遇され御書院番組頭の職を持ち、居合抜刀指南役をも兼務していた。

 その嫡男として、金五郎も周りの期待の目に応えるべく、日頃の人外の術とも呼ぶべき常軌を逸した父の薫陶にも十二分に耐えてみせた。人外の術とは如何なるものかと言えば、金五郎の父、和田平助の成し得たこと。過日の御前試合にて、恨みを買った平助が泥酔した帰り道で、待ち伏せられ鉄砲を構えた相手を、夢現ゆめうつつの間に斬り伏せた、と言うものであった。この話は、藩内と云わず水府の御城下、江戸表まで知らぬ者はいない程の話として広まっていた。

 平助は、嫡男である金五郎にも同等の力を求め、授けようとした。従って、平助の指南は常軌を逸したものとなっていた。通常の稽古に加えて、静から動に移る汀を勝機とする居合術に於いては。心の“動かざる”ことを平助は重く観て、座禅を良くしせがれにもさせた。更には、日頃の動作、飯を食う、寝る、挙句には小便の時ですら隙を窺い、得物で打った。得物も鼻は扇子などの軽い物であったが竹光と成り、遂には刃を落とした小太刀と成った。刃を落としてある、と、言っても達人である平助が振るえば、良くても骨折、悪くすれば、その身を切り裂きかねない恐さがあった。

 金五郎は、良く耐え大過無く、これまでの日々を過ごすことを得た。

 平助は「倅も、まだまだでは御座るが、親の欲目には、筋が良い様に思えるのですよ」などと言っては、相好を崩し乍ら好物の酒を煽った。

 平助の酒は、呑まれるに近い飲み方で、飲み始めるとりが無い。悪酔いして迷惑などはかけた事はないが、泥酔いする迄、止めなかった。

 金五郎の母親は、金五郎が10歳になるかと云う頃に、病を得て儚くなってしまった。平助の指南が段々と常軌を逸したものになったのには、これも原因の一つと言えた。止める者がいなくなった事と、片割れを無くした為に忘形見を一人前にしなくては!との思いが重なった故のことと言えよう。それでも、金五郎が上手く捌けなければ、ここ迄続くこともなかったであろう。

 さて、金五郎の鍛錬の尋常ならざるは、上っ方のお耳にも届き、金五郎、数えで十五の歳より、お小姓役として、お城に登る様になった。

 平助も、これを喜び一安心とばかりに、愛妾を囲う等したものの、指南の手は緩むことは、なかった。

 さて、金五郎も数えで十八歳と成り、お小姓役を解かれ、大番組に回る事となった。

 先に、お小姓組から大番組に回っていた、朝比奈伸一郎に挨拶がてらに旧交を暖めようと伺いを立て今日の日に尋ねる事となった。

 伸一郎は、金五郎より2歳ほど年嵩で、今年二十歳になる、気安い男で剣の腕もなかなかに立つ、何より平助の指南を受ける新田宮流居合術の兄弟弟子であった。道場では、屡々しばしば顔を合わせたが、語り合うほどの時間は取れなかった。

 金五郎は、自分のことを、無口で面白味のない男であると思っていた。比べて我が父は、新田宮流居合術の創始者にして、達人の名は藩内を超え将軍家の膝下に迄、響いていた。それでいながら酒を好み大飲みし酔いながらも敵を斬る等、豪快でありながら何処か人間味を感じさせる逸話でもあった。また、父自身には厳しいだけで無く、気安さを感じさせる処が確かにあった。だからと云って、それが為に自ら酒を呑もうとは考えなかった。あんな物より、団子をお茶の供に愉しむが、自分には合っていると思っていた。剣術者として、達人和田平助に強い憧れを感じながらも。「俺にしても、その達人に致命傷を戴かない程度には、出来ている」と、密かな自負を持っていた。そして、それは疑うべくも無い金五郎の実力であった。金五郎は、若いに似合わぬ見識の持ち主であり、自他の優劣を正しく判断できるおとこであった。一人で漫ろ歩くこと、四半刻あまり。

 金五郎は、朝比奈邸に向かう四辻へとたどり着いた。此処を、右に折れ10間程先には板塀に囲われた朝比奈の屋敷が見えた。

 四辻を右に曲がり暫し歩いた金五郎は、微かに気配を感じて、右手の屋敷の生垣から覗く中庭に眼をやった。不躾で有り、平素には有り得ないことではあったが。その屋敷から感じられる、微かな殺気ともつかぬ剣呑な気配を無視できなかった。「御免くだされ」金五郎は、中庭に向かいながら声を掛けて、背の低い生垣の上から中庭を見た。納屋の前に八尺程の立派な梅の樹が生えており、その前には五尺に届かぬ女の童が、蕾をつけた細い枝を睨む様に見つめているのが見えた。

 金五郎は、その少女の立ち姿の凛とした様に目が離せなくなった。ここで、漸くに金五郎の視線に気付いた少女が声を掛けてきた。

「何方様でしょうか?父上に御用の向きでも御座いましょうか?」鈴を転がすとは、良く聞くものの、まさにその様に弾む様な響きが嬉しげに金五郎の耳に届いた。

 「不躾に申し訳ない、用向きでは有りません」「御息女、如何いたしましたのか?」「その梅の、枝を睨んで、おった様だが?」 「まぁ、恥ずかしい処を!」「いえ、あの梅の枝を欲しく思ったのですが、如何様にも、手の届くとこでは無い為に、口惜しく見上げておりました」「はしたない処を、見れれてしまいました」 「嫌々、此方こそ武辺者で、気の利いた言い回しの一つも言えれば良いのだが」「あの枝が欲しいのであれば、私が切ってあげても良いのだが?」 「まぁ、それでしたら、是非にもお願い致します、父も兄も本日は、ご出仕になられていて」「では、木戸口までお回りくださいませ」 「あぁ、失礼いたします」金五郎が木戸口まで回ると、娘は戸を開けて待っていた。これ程の屋敷に、下男も、下女も居らぬのか?金五郎が不審に思うと、それに応える様に娘が告げる、「下男は、父上の命により本家へお届け物を届けに行っております」

 「下女は我が母の御薬を、お医者様のもとへと、取りに行っております」 「そうか、では、貴女だけで留守居の最中、であれば早々に枝を落として退散いたしますか!」 

 「いえ、急ぐ訳でもないのに、貴方様に御頼み致しましたは、私の不安な心持ちのせいです」「御優しい、お言葉に甘えてしまいました」  「いや、此方こそ、貴女の立ち姿に、放っては置けず、声を掛けてしまいました」二人話しながら、梅の樹の下へと着いた。金五郎は、ぐっと踏み込むと見る間も無く小太刀を抜き放ち払った。梅の小枝は、狙った様に娘の手に落ちた。娘の驚いた顔が可愛く見えた。「これにて、御免いたす」 「有難う御座います」「あの、“うめ”と申します」 「.......はっ...」 「また、端ない事を言ってしまいました、私の名です」娘は真っ直ぐに金五郎を睨む様に見つめた。「あぁ、私は、金五郎、和田金五郎と申す」「今日は、この先の。朝比奈源五右衛門様の御屋敷を訪ねて参った」「御嫡男が、私の同輩でして」 「私の父は、御納戸組頭、梶木忠平と申します」 「相分かり申した、これにて失礼!」金五郎は、気恥ずかしく思い逃げるようにその屋敷を離れた。振り向きもしないで。さて、あの娘は、あの梅の枝を如何様にするのやら?その事だけが頭をよぎった。

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