共感神経

小狸

短編


 角本かどもとつのるに私が相談をしたのは、丁度夏と秋の季節の変わり目の頃であった。角本とは、大学で同じ学部の同級生である。彼は一浪しているから、年齢は一つ違うのだが。多少ひねくれてはいるものの、彼の一風変わった考え方は、多様性と同調圧力に流されてきた私にとっては、大変良い刺激になっていた。


 今回の相談内容は、「人の気持ちが分かるのか」である。


 まあ、いつになっても女子同士の人間関係というのは面倒臭いという話である。

「私はさ、人より人の気持ちが分かるんだよね、とても。だから、私ばっかりがいつも損な役回りを任じられているような気がしてさ。女子グループってそういうものなんだよね。どうしたら良いと思う? 角本」


「おいおいおい、それはさあ、明日あすはら


 大学構内の、七号館食堂の話である。彼――角本は野菜カレーを食べるのを一時中断し、私の方に向き直って、こう言った。


「他人の気持ちが分かるはずがないだろう」


「え? でも私、分かるよ」


「それは明日原、傲慢だろう」


「傲慢って......言ってくれるじゃん」


「いや、冗談抜きで、だよ。まずさ、他人の気持ちが分かるなんて、一体どんな傲慢なんだよと思ってしまうわけだよ。だって、他人の気持ちなんて、


「分かるよ。だって私、痛いときは痛いんだろうなって思うし、辛いときには辛いんだろうなって思うよ? 映画とかドラマとかでも、共感して良く泣くよ」


「それは、他人の気持ちではなく、。その気持ちというのは、どこかに表示されているのか。どこかに書かれているのか。違うだろう。表情、仕草、経験などから、お前が類推している感想に過ぎない。


「それは――」


「ああ。確かにお前は、その類推、推測、憶測が人より上手いんだろうさ。アンテナが人より過敏なんだ。でも、それは決して読心術にけているという訳じゃないんだろう。今のお前は、その類推の結果を本物だと信じて、勝手に引いたり、勝手に押したりしているだけだ。その人間関係で起こり得るであろう事件や事象を勝手に想像して、ほぼ無意識に回避する行動を取っているだけだ」


「……それは、確かにそうかもしれないけれど、じゃあどうすればいいの?」


「他人の気持ちなんて分からない、と思うのが、良いんじゃないのか」


「ええ? それって超冷酷人間ってことにならない?」


「そうでもないだろう。むしろ元から分からないものを分かると思っているから、そういうことが起こるんだ。何も相手に配慮や遠慮をするなって言ってるわけじゃないんだよ。ただ、相手だって人間なんだから、当たり前のように自分の想像の外側に行くし、自分の想定の範囲外で動き得る――全てが予測可能だと思うのを止めたらいいんじゃないか」


「なるほど――分かったような分からないような、そんな気分」


「ほら、分からないだろう。今僕は、敢えてぼかした表現をしてお前に伝えている。人の気持ちが分かるのなら、元からコミュニケーションなんていらねえんだよ。他人の気持ちは分からない。それを肝に銘じて生きてみるんだな。まあ、そう簡単にゃいかないだろうが」


「…………」


 そう言って、角本は食事を再開した。


 その日の夜、自宅で湯船に浸かりながら、私は角本の言葉を頭の中で反芻した。


「他人の気持ちは分からない、か」


 今まで分かっていたと思っていたものは、私の中にあった、私だけの感情で。


 誰かの感情ではなかった、ということか。


 ならば角本が傲慢だと言ったのも、説明が付く。


 お風呂から上がって寝間着に着替えて、LINEラインを見た。


 通知が一件入っていた。

 

 今回問題の発端になった、私とは真逆の、「人の気持ちを考えない」子からである。


『この間は嫌な言い方になっちゃってごめんね。』


「…………」


 成程、確かに。


 他人の気持ちは、分からないものかもしれない。


 それでも――は続けよう。


 そう思って、私は笑った。




(「共感神経」――了)

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共感神経 小狸 @segen_gen

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