俺が吹き飛ぶと桶屋がもうかる

お前の水夫

第1話 盲腸

 日本の某地方にあるM県呑舞どんまい市の中心地である呑舞どんまいの街は、これといった産業も観光地としての魅力も無い上に交通の便も悪く、何故か県庁所在地より人口が多いという妙な街だった。


 呑舞どんまいという所は、中心市街にビルが建ち並ぶものの、その周辺は田畑や果樹園が広がっており、さらに外側を山に囲まれていて、ついでに海側にも土地が開けている自然が一杯と言って良い土地である。

 市街地にはネズミと猫が多く、カラスもいるのは都会もそうなのだが、通りにはガマガエルやマムシ、鷹などの猛禽もうきん類、さらにはカワウソとシカとイノシシが普通に出てくるという、ある意味において無法地帯という様相ようそうていしていた。


 そんな土地で、もう 惟秀これひで(30歳)は15歳の頃からずっと生きてきたのである。 


「アミー先輩、それじゃワタシはお先に失礼しますね。お疲れ様ですー」


 もう 惟秀これひでは、そう言って元気よく退社して行く後輩女子を見送った。

 彼がアミー先輩と呼ばれているのは、苗字である『もう』をもじったものであろう。

 実のところ彼は、15歳の頃にこの土地に来る前からこの渾名あだなで呼ばれ続けていた。別にいじめられていたわけでもないが、良い歳になっても彼はずっと皆んなにとってはアミーだったのだ。ほんの一時期だけアミーゴになったことはあるが、それは大学卒業と同時に元に戻ることになった。


「さて、俺はもうちょっと頑張るか……」


 惟秀これひでは仕事が好きというわけではないが、今やっている集計作業や書類の作成は終わらせてしまおうと、他の者が帰る中で残業の決意をしたのだ。

 それで若いにも関わらず、日頃の不摂生ふせっせいのツケが一気に襲いかかったのだろう。


「ウウッ、痛たたたた。何だこれ……物凄く痛いぞ。なんだか笑いたくなってきた」


 人間は洒落抜きで痛い場合に、叫ぶのではなく笑いたくなることがある。痛む腹を片手で押さえながら、惟秀これひでは急に来たピンチにどうしようか悩んだ。

 自分で救急車を呼ぶ必要が生じると、財布と保険証の場所が気になり出したのである。


「おい、アミー。お前、顔色が酷いことになってるぞ。トイレ……じゃなさそうだな。痛いのか? もう、どうして声をかけないんだよ。誰か! 救急車を呼んでくれ!」


 こういう時、職場に人が残ってくれていると本当にありがたいな、と惟秀これひでは他人事のように考えていた。

 この時の惟秀これひでは冷静に見えて、実は意識が無くなりかけており、病院に搬送はんそうされてから手術室に行くまで、それほど時間はかからないという状態になっていた。

 彼の病名は平たく言えば急性虫垂炎ちゅうすいえんで、盲腸もうちょうとか呼ばれる例のアレだった。






もうさん。いや……この際だから、私もアミーと呼ばせてもらうよ。アミー、君は自分の身体について無頓着むとんちゃく過ぎる。普通はこうなる前に、病院の受付でうちの看護師に泣きついてると思うぞ」


 消化器外科の医師は人情味のある人物だったが、惟秀これひでのことを昔から知っていて、呑気な様子の彼を心配しながらクソミソに言ってくれた。

 惟秀これひでとしては、彼が居てくれなかったら死んでたろうな、という意識もあった所為せいか大人しくそれを聞いていた。

 惟秀これひではその後12日間も入院して、ようやく元の生活に戻ることが出来たのである。普通は長くても7日から10日だというにだ。


 彼が病気から回復して仕事に復帰する頃には、彼の周辺でも意外な変化があったように見受けられた。

 彼の勤め先は、地元のケーブルテレビ会社で『株式会社マンマーTV』という。

 その近所に、国内大手の重工業系企業が工場を建設する計画を立てた。呑舞どんまいの街では近年にない明るいニュースだった。最新の廃棄物処理設備さえ備えたそこは、環境のことを考えた地元の人々も黙らせる代物だったのだ。


 さらには近所の商店街が民放のニュースでクローズアップされ、客足が増えると同時に空き店舗が全部埋まるということが、彼が入院していた12日の間に起こっていた。


「何か賑やかになってきたなぁ……。ここもその内、人が増えて、お客さんも増えてくれるかもしれない」


 惟秀これひでがそう思うぐらいには、それは良い変化であるように見えた。それは彼が、ある事態に不安をいだくまでは続いたのである。



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