第45話 現実に戻る

 新田義貞は、夜の静けさの中で深いため息をついた。鎌倉幕府を滅ぼし、鬼丸国綱を手に入れた栄光の日々は遠い昔のように感じられた。彼の心には、戦いの勝利よりも重くのしかかるものがあった――それは、3人の妻の死だ。


「儂のせいじゃ…」義貞は自らに言い聞かせるように呟いた。


 最初の妻、則子。彼女は戦乱の最中に病に倒れ、義貞のもとを去った。義貞は自分が戦に出ていたため、最期に立ち会えなかったことを後悔していた。もしもそばにいてやれたなら、彼女の死を防げたかもしれないという思いが胸を締め付けた。


 次に失ったのは、彼を信じ続けた梨花。彼女は戦乱で捕らえられ、敵の手によって処刑された。義貞はその知らせを受けたとき、怒りと悲しみに打ちひしがれた。自らの戦いが、愛する者を危険に晒し、最悪の結果を招いたのだと感じた。


 最後の妻、麗美は、義貞が鎌倉を陥落させた後、つかの間の平穏をともに過ごしたが、彼女もまた不運な運命に巻き込まれた。北条家の残党による復讐で、命を落とした。義貞が鬼丸国綱を手にした瞬間、彼女の命は失われた。


「儂が戦に明け暮れたせいで、皆が苦しんだ…」義貞は手のひらを見つめた。その手は数多くの敵を斬り、数多くの戦場を駆け抜けたが、守るべきものを守りきれなかった。


 彼は立ち上がり、鬼丸国綱を手に取る。冷たい刃に映る自分の姿が、まるで自分を責めているように見えた。


「この剣を手にして、何を成したのだろう…」


 義貞の心には、戦いに勝つことで得られるものと、失ったものの重みが、痛いほど突き刺さっていた。彼は深く傷つき、これから進むべき道に迷いを感じ始めていた。戦の勝者として歴史に名を刻むことはできても、愛する者を失った傷は癒えることがない。それでも義貞は、進み続けなければならない宿命に囚われていた。


 義貞は一時期、記憶を失い夢の中を彷徨い、記憶が曖昧になった。

新田義貞は、夢と現実の狭間を彷徨う中で、かつての栄光と悲しみに囚われたまま、記憶の中で亡き妻たちの姿が幾度も浮かび上がってきた。彼女たちの笑顔、温かな声、そして最後に交わした言葉が、義貞の心に重くのしかかっていた。


夢の中、彼は不思議な場所に立っていた。薄暗い霧が立ち込める草原で、前方には古びた小屋がぽつんと佇んでいた。義貞は本能的にその小屋へと足を向け、戸を開けた。中に入ると、そこには3人の女性が背を向けて座っていた。


「…麗美? 梨花? 則子?」


義貞がその名を呼ぶと、3人はゆっくりと振り返った。だが彼女たちの顔は、薄暗くぼやけていて表情が読み取れなかった。ただ、静かに彼を見つめている。義貞は彼女たちの前に立ち、言葉が詰まった。謝罪の言葉を口にしようとしたが、何も言えなかった。


「義貞様…」最初に口を開いたのは、優しい声であった。


それは則子だった。彼女は静かに立ち上がり、義貞に近づいた。「貴方は貴方の道を進むべきでした。それは私も理解している…」


次に梨花が立ち上がり、言葉を続けた。「私たちはあなたのことを恨んではいない。戦は避けられぬものだったわ…」


麗美もまた、義貞に近づき、微笑みを浮かべながらこう言った。「貴方が成し遂げたことは無駄ではなかった。だが、貴方が今抱えている痛みは、私たちが背負うものではなく、貴方自身の戦いだわ。」


義貞は、涙が止めどなく流れ出るのを感じた。「儂は…儂は、お前たちを守れなかった。それが儂の罪だ。」


則子は優しく彼の手を取り、静かに首を振った。「それが貴方の罪ではありません。生きる者には皆、それぞれの運命があるのです。」


梨花が続けて、彼の肩に手を置いた。「自らを責めるのではなく、これからの貴方の道を見つけなさい。」


麗美もそっと微笑んで言った。「私たちはいつも貴方と共にいます。だから、もう迷わないで…」


義貞は涙に滲んだ目で彼女たちの姿を見つめ、深い安堵と共に、胸に重くのしかかっていた感情が少しだけ軽くなった気がした。


その瞬間、夢の世界はゆっくりと崩れ去り、義貞は目を覚ました。現実に戻った彼は、冷たい風が頬を撫でる中、静かに鬼丸国綱を握りしめた。


「これからは…この剣に頼らず、自分の道を探す時が来たのかもしれぬ…」


義貞は立ち上がり、かつてのような戦いの道ではなく、新たな道を歩む決意を固めた。それは、過去の罪と痛みを背負いつつも、未来を見据えるための第一歩だった。


彼の心には今も深い傷が残っていたが、妻たちの言葉が彼に新たな力を与え、前へ進む勇気を取り戻していた。



 

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