ハッピー・ハッピー・バースデー
「響くん、いらっしゃ……わあ!」
玄関前の廊下で、後ろから駆けてきた花に突き飛ばされるように、ひっくり返ってしまった。
「花、ずっと待ってたの。お誕生日おめでとう、響くん」
そんなわたしが全く目に入らないようすで、花が響くんに抱きつく。響くんは、というと。
「花もね。今日の服、似合ってるね。可愛い」
やっぱり、わたしには目もくれず、満面の笑みの花に、響くんらしからぬ優しい表情を向ける。わかってるけど、いいんだけど、でもさ。
「何? その顔」
花を抱き上げながら、わたしを見下ろす響くん。
「……何でもないもん」
もう、何年も名古屋に住んでる響くんと会えるのは、年に数回。花だけじゃなくて、わたしも響くんと会えるのを楽しみにしてたのに。
「毎回飽きもせず、よくそんな同じような出迎え方ができるよな」
「だ、だって、遊佐くん……!」
花も響くんも、わたしの扱いが雑なんだもん。
「類も、ひさしぶり。あれ? 保科は、いないんだ? 来たがってたのに」
わたしを相手にしてくれないまま、響くんは遊佐くんに視線を移す。
「ああ。花が、せっかく響が来るから、保科は呼ぶなって」
「へえ。花、保科好きじゃないの?」
まあ、いっか。どうせ、いつものことだし。あきらめて、みんなの分のグラスを用意しながら、話を聞くことにする。
「うん。花、保科くんは好きじゃない」
「え? あんなに可愛がってもらってるのに。響と璃子で、花に何か吹き込んでないか?」
「ひ、人聞きが悪いよ……! 変なこと言わないで、遊佐くん。ね? 花」
わたしだって、いい大人なんだから。花の方を見ると、あきれたような表情で、ため息をついていた。
「花?」
「全然、わかってないなあ。パパは」
「あ?」
大人げなく、遊佐くんが顔をしかめると。
「保科くんが花を可愛がってくれるのは、花がパパの子どもだから。それだけだもん」
花から返ってきたのは、そんな言葉。
「響は、違うっていうことか?」
「そうだよ。響くんは、ちゃんと花のことを見て、考えてくれてるから。響くんと保科くん、一緒にしないで」
「…………」
ぽかんとして、遊佐くんが花を見ていた。響くんは満足げに笑ってる。
「それに、保科くん、花と結婚したいとか言うでしょ? 瞳子ちゃんがいるのに。花、そういう適当な嘘つく人も嫌い。どっちかというと、パパも保科くんと同じタイプだよね?」
「そ、そっか。びっくりしちゃった。花って、いろいろ考えてるんだね」
まだ、小学生だというのに、わたしの子とは思えない。遊佐くんは面白くなさそうに、ムキになり出してしまった。
「でも、花も言ってたよな。『ひびきくんとけっこんする』って、ずっと。それは、響に騙されてたってことだろ?」
「……あのね、パパ」
いよいよ、げんなりとした表情になってきた、花。
「それは、花が勝手に思ってただけ。そうなったらいいなって。花ね、響くんが名古屋に行っちゃう前、手紙書いたんだよ。花と結婚してって」
「何だよ? それ」
「ちょ、ちょっと、遊佐くん」
お願いだから、落ち着いてね。
「話してもいい? 響くん」
「いいよ、べつに。花がいいなら」
心が通じ合ってるようすの、花と響くん。
「そのとき、響くんはちゃんとお返事くれたんだよ。花にも、パパとママみたいに、この人しかいないっていう相手が現れるって。でも、それは響くんじゃないって」
「ええっ? そんな、いい話があったの?」
なんだか、泣きそうになっちゃうよ……!
「その響の手紙を読んで、花はどう思ったんだよ?」
「悲しかったけど、響くんのことが、もっともっと好きになった」
「響……おまえ、どうしてくれるんだよ? 花が、おまえ以外の男を好きになれなくなったら」
遊佐くんは、本気で取り乱し始めちゃったけど。
「相変わらず、狂ってるね。花は、そんなバカじゃないよ。それがわかってたから、そういう返事を書いたんだし」
「そうだよ。バカなのは、パパだよ。何にもわかってない」
「…………」
何も返せなくなる、遊佐くん。ちょっと、かわいそう。
「花ね、響くんの気持ちがわかったから、ちゃんと他の人を見つけるよ。響くんみたいに、絶対に嘘をつかない人」
「あ? 響なんか、嘘をつきまくってきたんだからな。やっぱり、花は騙されてる」
「うん。普通に、嘘はついてきたね」
「そうなの? 響くん。花にも?」
遊佐くんの言葉に冷静に応えた響くんを、花が泣きそうな表情で見上げた。たしかに、響くんの言うことは、どこまで本気に取っていいのかわからないところもあるけど……。
「花には、ついてないよ。ついて後悔するような嘘は、二度とつきたくないと思ってたから」
「よかった。花、心配になっちゃった」
今の。なんとなく、過去に一度だけ、そういう嘘をついたことがあるように聞こえたような。
「寝ちゃったよ」
花の部屋のドアを閉めて、リビングの時計を見上げると、まだ9時前。今日が楽しみすぎて、昨日はよく眠れなかったみたいだもんね。
「誰に似たんだよ? 花は」
「ね。あんなふうに、遊佐くんを言い負かしちゃうなんてね」
生まれた瞬間から、顔は遊佐くんにそっくりなんだけど。
「何言ってんの? 外は類、中身は璃子そのものじゃん。さっきなんて、璃子と話してるみたいだったよ」
「ええっ?」
「ああ、そういえば……」
何やら、考えているようすの遊佐くん。
「昔、璃子に同じようなこと言われた記憶があるような気がする。俺は、嘘をつかないところがいいとか」
「そうだったかも」
いつかは忘れたけど、言った覚えがある。
「好きになると、正常な判断ができなくなるんだろうね。嘘だらけでも、嘘がない人間に見えるっていう。花も気をつけた方がいいかもね。変なのに引っかからないように」
「なんか、俺が嘘だらけで、変な人間みたいな言い方だな」
「自分の胸に手を当てて、考えてみなよ」
「あ? とにかく、よかったよ。花がうれしそうで……あ、悪い。多分、明日の打ち合わせの件」
そこで、着信音の鳴った iPhone を手に取って、遊佐くんがごまかすように寝室に引っ込んでしまった。なんとなく、息をついたところで、わたしからも改めて、今日のお礼を言わなきゃ。
「本当、ありがとね、響くん。花、プレゼントもすごくよろこんでたし。可愛い表紙の楽譜だったね。何ていう曲だっけ」
「ドビュッシーの『子供の領分』。花なら、弾けると思うよ。いつかプレゼントにしようと思ってたら、ちょうど初版の復刻版が出てて」
「そうだったんだ」
花がピアノを頑張ってるのも、響くんのおかげなんだろうなあ。
「あ。そうだ」
さっき、花が寝る前にしてた会話を思い出した。
「ねえ、響くん」
「何?」
何を聞かれるのかを察したように、面倒そうな表情になった、響くん。
「今日、“ついて後悔するような嘘” がどうとか、言ってたでしょ? 過去に、何かあったのかなと思って」
気になっちゃうよね、どうしても。
「ああ、あれ。ずいぶん前の話だよ」
「ずいぶん前? いつ頃の……や、ごめん! 何でもない。何でもなかった」
途中で、思い直した。あまり踏み込みすぎるのは、よくないことかも。
「……いいよ。自分の中だけに残しておくような話でもないから。璃子にだよ。璃子についた嘘」
「ええっ? わたしに?」
そうなってくると、話は別。でも、見当もつかない。
「うん。あのときだけは、本当に自分が嫌になって、引きずった」
「いったい、どんな話なの?」
まさか、わたしが関係していたとは。
「どうせ、覚えてないだろうけどね。嘘じゃないのに、嘘だって言ったことがある」
「嘘じゃないのに、嘘? それだけじゃあ、いつのことなのか、思い出せないよ。どんな内容の話だったの?」
「やっぱり、面倒くさいな……でも、言いかけたのは俺の方だしね。高校三年の秋頃、新宿で偶然会ったの、覚えてる?」
「ん? あ、わかったかも。響くん、綺麗な女の人と一緒だったよね。あれは友達のお姉さんなんだけど、ホテルに泊まってきた帰りだとか、響くんが嘘をついて」
最初、信じちゃって、ショックを受けた記憶が。
「それ。嘘じゃなくて、本当」
「そ、そうだったの? や、でも」
当時の心境を思い起こす。
「結果的に、嘘ついてくれて、よかったよ。本当のことを聞いてたら、動揺しちゃって、受験勉強に差し支えがあったと思うもん。響くんの優しさだったんでしょ?」
「そういう問題じゃなくて、俺の中で気持ち悪さが残ってたってだけ。とにかく、そういうこと。なんだ。もっと早くに話しとけばよかった。なんか、すっきりした」
「あれ? でも、だったら、最初から黙ってればよかっただけなんじゃ……ちょっと、響くん? どういうこと?」
逆に、意味がわからなくなった。わたしの方が、どうにもこうにも、もやもやした状態で気持ち悪いよ。
「お願い、響くん。もっと、ちゃんと教えて」
「えー。いいよ、もう。この話題、飽きた」
「そんな勝手に飽きられたら、わたしが困るってば。お願いだから、飽きないで」
と、そこで。
「また、響にまとわりついてるのかよ? 飽きないで? 何だ? それ」
「ゆ、遊佐くん」
仕事の電話を終えて、こっちに戻ってきた遊佐くん。
「もう、璃子持って帰っていいよ、響。で、飽きられるまで、璃子は響といろよ」
「違うの。遊佐くんってば」
今のは、そういうんじゃなくって。
「璃子なんて、いらない。持ち帰るなら、花がいい」
「そんなの、だめに決まってるだろ?」
「遊佐くん……!」
いつかみたいな、“璃子は渡さない” を、もう一度お願いします。
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