保科くんは心配性・後編



「瞳子」


「保科くん……!」


 予期せぬ保科くんの姿に、胸が高鳴った。


「どうしたの?」


「一瞬でも瞳子の顔が見たくて、講習の前に寄っちゃった」


「……うれしい。ありがとう」


 こうして、わたしのために、貴重な時間を少しでも割いてくれることが。


「コーヒー、一杯だけ飲んでいくよね? 今、お湯……」


「ところでさ、瞳子」


 コーヒーの準備をしようとしたら、本題に入るような口調で、保科くんが何かを切り出そうとしている。


「うん。何?」


「響くん、来てないよね? さっき、駅で見かけた気がしたんだよね」


「来てくれたよ。つい、さっき」


 そうだ。ここで保科くんに相談できて、ちょうどいい。約束の場所に、わたしなんかが一人で行くのも気が引けるけれど、そうかと言って、何も連絡せずに行かないというのも、申し訳ない気持ちになるから。


「やっぱり、響くんだったの? 何しに来たの? そうか、あれの件? この前、瞳子と類くんを会わせる機会を作るとか言ってたけど」


「違う、違う」


 目の色を変えた保科くんに、笑って首を振った。そういえば、そんな話を前回していたけど、覚えてもいない感じだった。


「あんなの、冗談だよ。わたしも保科くんも、からかわれただけだよ。響さんに」


 響さんにしてみたら、わたしたちなんて、子供同然だもん。


「なら、響くんは何の目的で来たの?」


 保科くんの目が真剣。心配してくれるのは、うれしいけれど。


「響さんが処分するつもりの本の中で、わたしがほしいものがあったらって、わざわざ持ってきてもらえたの」


「本?」


「感激しちゃった。見て? これ全部」


「…………」


 複雑そうな表情で、保科くんが本の入った袋を見下ろしている。


「ふうん。それだけ?」


「あ、それで」


 話を聞いてほしいのは、ここから。


「今度の日曜、神保町の古本屋さんを案内してもらえるって」


「え? 何? それ」


 予想をはるかに超える、嫌そうな反応。


「どういうこと? 瞳子だけで?」


「あ、ううん……!」


 誤解のないように、首を振る。


「わたしを誘えば、保科くんも一緒に来ると思ったんじゃないかな。でも、わたしが保科くんの日曜講習のことを伝える前に、響さんが出て行っちゃって。待ち合わせの日時まで決めてもらっちゃったから、どうしようと思ってたところ」


「……これか」


 カウンターの上のメモを取り上げて、舌打ちをした、保科くん。


「結局、瞳子をねらってるのは自分かよ?あの、前髪パッツン腐れK大学医学部生エロ男」


「ちょっと、保科くん」


 あれだけ、お世話になっている人に、何ということを……!


「かばう余地もない。ちょうど、昨日電話で話したからね。次の日曜、響くんに誘われた展示があったけど、さすがに講習の方を優先するって、断ったところだから。ふざけんな。油断も隙もない」


「あ……そうだったんだ」


 保科くんの熱い勢いに気圧けおされながら、相づちを打ったけれど。


「でも、響さんは面倒見のいい、優しい人なだけじゃない? 保科くんだって、可愛がってもらってるでしょ? 他意なんて、ないんだよ」


 そもそも、こんなわたしに、変な下心なんかあるわけがないのに。


「瞳子、洗脳されてるんだよ。そうか。俺の真の敵は類くんじゃなくて、響くんだったのか」


「保科くんってば」


 どうして、そんなふうになっちゃうの?


「今から、響くんに電話する。瞳子をたぶらかすなって」


「お願いだから、落ち着いて」


 そんなの、わたしが困っちゃう。


「ね? お願い。保科くんがそう言うなら、日曜のことはあきらめるから。その代わり、普通に響さんに伝えてくれる? わたしの都合が悪くなったから、その日は行けなくなったって」


「あきらめる? そっか。瞳子は行きたかったのか」


「だって……興味はあったから」


 そう思ってしまう気持ちがあるのは、しかたがないよね。


「……うん。わかった。俺も行く」


「えっ?」


 驚いて、声を上げた。


「だって、大事な集中講義があるのに」


「瞳子の楽しみを奪うのは嫌だけど、響くんと二人で出かけさせたら、どうせ何も頭に入らないし」


「いいよ……!」


 保科くんの勉強の邪魔だけは、したくない。


「本当に。古書街のことなら、あとで自分でも調べてみるから」


「だめ。中途半端な断り方しても、また響くんが誘いにくるかもしれないし。瞳子だけを誘い出そうとしても無駄だって、ちゃんとわからせないと」


「でも」


 まさか、こんな大げさな展開になるなんて。


「いいから。いくら響くんでも……いや、響くんだからこそ、だよ。とにかく、決めたから」


 こうなってしまうと、保科くんは絶対に意志を曲げない。


「……ごめんね」


「ごめん、じゃないよ。悪いのは全部、響くん」


 ただただ、保科くんにも響さんにも申し訳ない気持ちで、わたしは当日を待つことになった。







「遅いな」


 日曜日の十一時に、神保町のA3出口。そこで、約束の時間を十分ほど過ぎた頃、イライラした調子で保科くんがつぶやいた。


「べつに、このくらい」


「響くん、いつも時間には正確なんだよ。むしろ、かなり早めに着いて、待ってる方」


 もう一度、保科くんが今の時間を確認してから、辺りを見回す。


「おかしい。響くん、離れたところから俺がいるのに気づいて、帰っちゃったんじゃないかな。


「響さん、そんなことをするような人じゃないと思う」


 いろいろ勘繰っているようすの保科くんに、わたしが何を言っても聞く耳を持たなそうだけれど。


「瞳子、もっと危機感を覚えなきゃだめだよ。あの代は海老名さんを筆頭に、やばい人しかいないから。全然、信用できな……」


 と、そこで。


「遅くなって、ごめんなさい!」


 地下鉄からの階段を駆け上がってきて、息を切らしながら、わたしたちに謝ってきた女の人が。


「えっ? あの……?」


 全く見覚えのない大学生くらいの人。動きやすそうな格好に、大きめなトートバッグを持って、わたしが働かせてもらっている店にも来そうな雰囲気。


「はじめまして。瞳子ちゃんですね? 立原璃子です。今日は全力でおすすめの店を紹介するので、よろしくね。保科くんも、ここまでお疲れ様でした」


「あ、えっと」


 状況がつかめない。助けを求めるように保科くんの方を見ると、居心地悪そうに大きなため息をついていた。


「そういうことか。響くんじゃなくって、璃子さんが瞳子を案内してくれるってことだったんですね」


「うん。日曜日は神保町で古書店巡りをするって、ちょっと前に響くんに話してあったの。それで、保科くんの彼女の瞳子ちゃんも行きたがってたと響くんに聞いて、この運びとなりました。微力ながら、お役に立てるかと」


「そ、そうでしたか。ありがとうございます」


 あわてて、頭を下げる。思い出した。璃子さんって、類さんの彼女だ……!


「待って。俺の方が、よくわからない」


 横で、保科くんが頭を押さえていた。


「響くん、俺が来ると思ってなかったでしょ? 瞳子と璃子さん、面識がないのに、どうするつもりだったの? 璃子さん、響くんに瞳子の背格好とか説明されてたの?」


「たしかに……」


 言われてみると、不安な要素があった計画だと思ったんだけれど。


「へっ?」


 璃子さんは、きょとんとしてる。


「わたし、響くんから、保科くんも来るって聞いてたよ。瞳子ちゃんを待ち合わせ場所まで送り届けて、それから予備校の講習に行くだろうって」


「…………」


「すごいですね、響さん」


 わたしと保科くんの行動、全て響さんの予測どおり。


「あ。よかったら、保科くんも参加する?」


「いえ……けっこうです。おとなしく、僕は勉学に励んできます。瞳子のこと、よろしくお願いします。瞳子、楽しんできて」


「あ、うん。ありがとう。保科くんも頑張ってきてね」


 よろよろと階段を下りていく保科くんを見送りながら、考える。わたしばっかり、保科くんのことを好きな気がしてたけど、それほど心配しなくても大丈夫……なのかな?


「わざわざ、ここまで送り届けてくれるなんて、保科くんは優しいんだね。でも、わかるなあ。瞳子ちゃんが可愛いから、心配なんだね。遊佐くんも言ってたもん。生まれ変わったら、瞳子ちゃんみたいな子とつき合いたいって」


「ええっ?」


「よけいなことを瞳子に言うの、やめてください!」


 去り際の保科くんの叫び。保科くんは、相当な心配性のようです。







保科くんは心配性


      END



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