殻破の霹靂

吉越 晶

殻破の霹靂

 私は、酷く小心者でした。

 生まれは氷の大陸。一面氷が張ってあり、いや、氷というよりは、雪と言った方が良いのでしょうか、しかしそこは、氷のように寒く、冷たい土地でもあって、とにかく、そんな一面氷景色のような場所で生まれ、今日まで、恥ずかしながら生きてまいりました。

 父と母は、私をたいそう可愛がって育てており、飯を求めて泣けば、取ってきた魚をくれ、酷く寒く、吹雪が荒れる夜には、身を挺して、温めてくれました。そんな環境にいたからでしょうか、やはり私も居心地が良く、周りのものとは、馴染む必要性など感じず、ただ親の足元でぬくぬくと、惰性を貪り尽くしておりました。

 しかし、生きるということは、なんとも大層辛いことで、私も、体が大きくなるにつれて、やはり、独り立ちせねばばらぬのかと、悶々とした、何とも言えぬ、漠然とした不安が、纏わりつくようになりました。飯を食べ、眠り、それ以外の時間では、何か気難しそうな顔をしながら、その実、何も考えていないような、はたまた、親の背中が黒いのは、生きることが、重く、辛く、ストレスなどをその身に一身に浴びて、現実に焼かれたためにできあがり、しかし正面が白いのは、そんな世の中でも、まだどこか希望を感じているような、そう思わなければ生きていけないような、どこか悲しい面持ちなのだろうかなど、くだらないことに、頭を働かせる毎日ではありました。

 時間が経過すると、次第に、同じく共に遊んでいた友人たちは、1人でも生きていけるように、熱心に親の言うことを聞き、実践して、少しずつでも成長しようと、なかなか躍起になっていたのですが、しかし私はと言うと、どうもそう言ったことにも気乗りがせず、やはり親の足元で、ぬくぬくと時間を浪費し、またくだらないことに頭を使って、しかしそんな私のことを心配してでしょうか、親も私の背中を、その嘴(くちばし)でつんつんと突いてきて、ああ、時間というのは何と残酷なのだろう、などと、全く身にもならない、ありきたりなことを考えて、しかし、そんな現実に逆らう気も甚だ起きず、かといって、真剣に取り組もうとも思わず、ただその場その場を誤魔化すために、やはり、無駄な時間を浪費しては、くだらない妄想に耽り、悶々とした日々を謳歌しておりました。しかし、生きるということは不思議なことで、最初はどこか、不安を持っていた現状も、時間の経過と共に、過去のこととなっていき、次第に、1人の時間が増えていった自分にも、平気になり、そればかりか、どこか満足するようにさえなっていきました。

 類は友を呼ぶ。

 そんな翌る日、私は、やはりまたどうでも良いことに頭を悩ませて、空を眺めていたのですが、そんな折、私と同じように、どうにも無気力で、口を開けているような、昼行灯な者を見つけて、やけに気になってしまったので、普段は積極的に関わりを持とうとしないのですが、その時だけは、ここで逃してはならぬと、獲物を捕まえる心構えのような、虫の知らせのような、何とも奇妙な強迫観念に駆られて、その者に声をかけてみたのです。するとその者は、なんともまあ、どこか馬鹿にしているような、心底周りを下に見ているような目を向けて、「やあ、君も、周りと同じ、つまらない顔をしているね」などと、初対面にも関わらず、口先から飛ばしてきたので、「ああ、君も、期待はずれだな」なんて、柄にもなく、つい言い返してしまいました。しかし、そう言わなければ、そう強い言葉を使って、言い返さなければ、きっと私は、この者にたちまち、自分の酷く弱い、矮小な姿を見抜かれてしまうと、どこか危機感を覚えたのも、事実なのです。ですが、そんな切迫感とは裏腹に、この無礼気まわりない、性根の腐った者に対して、シンパシーを感じたのもまた事実で、やれ毎日毎日、その者がどこかにいないかと気になって、右を向き、左を向き、しかし周りにそれを気づかれたくはないので、目線だけを動かして(おそらく、生涯で一番目を酷使したのは、その時でしょう)、いざその者を見つけては、やはり間の抜けた顔をしていると、どこか見下すような考えをして、そんな自分に嫌気がさしながらも、しかし、無駄な時間を過ごしていることに、どこか心地の良いものを感じていましたが、転機が起こったのは、ちょうどこの頃であった気がします。


「やあ、やあ、君に話しかけているんだ。耳がついていないのか?」


 吃驚仰天。この男は、私に突然、声をかけてきたのです。


「なあ、君は、何で一言余計なんだ」

「余計で何が悪いんだ。世の中、余計なことばかりじゃないか」

「ああ、いい。君と話していると、僕は無性に嫌な気持ちになる。その達観した顔が、まるで僕を責め立てているような気持ちにさせるんだ」

「ははは。なんだ、君も意外と、捻くれてるじゃないか」


 恐ろしい男である。こいつは、私のことを碌に知りもしないのに、まるで全部わかっているぞと言わんばかりに、どこか太い、芯の通ったような声を出す。詐欺師だ。私は、こういう、なぜだか碌に生きてもいないのに、周りを下に見るような物言いをする奴が、心底嫌いなのだ。こんな男のために、必死こいて頭を動かしていたかと思うと、私は非常にやりきれない気持ちになり、やはり、時間は浪費してなんぼなのだと、無視を決め込もうと思った次第です。


「なあ、無視をするのは構わないが、少しだけ、話を聞いてくれないか。なに、同じ捻くれ者の、戯言だと思ってくれて良い」

「僕は、捻くれ者ではない」

「そういうとこだ」

「ああ、嫌だ。僕なんかに構わず、他に声をかければいいだろう?」

「いや、他の奴らじゃダメだ。あいつらは、あまりにも頭が弱い。君じゃないとダメなんだ」


 この男、やはりクズだ。無駄な時間を浪費して、どこか、高尚な物言いでもするのかと考えたが、やはりクズだ。一体、何故こいつは、他者様に物申すほど、偉くなったと酔っているのだろうか。心底気持ちが悪い。しかしそれでも、必要と言われただけで嬉しく感じてしまう私も、やはり気持ち悪い。


「何だ。話というのは」

「なあ君。大人が狩りをするところを、見たことはあるかい?」

「いや」

「あれはね、いや、私は見たことあるんだが、実に醜いものだったよ。海面に敵がいないかを確認して、誰が先に飛び込むのかと、みんなでおしくらまんじゅうをしながら、誰かに押し付けようとしているんだ。寒い時に、みんなで生き延びようとやるまんじゅうを、彼らは餌を取る時には、誰かを殺すためにやるんだよ」

「寒い時にやるまんじゅうだって、あれは一番外にいる奴は、死ぬ可能性があるじゃないか。おしくらまんじゅうなんだ。出された奴は、その時点で負けなんだ」

「なら、今爪弾き者となっている私たちも、負けということになるのかな」

「つまらない。君は、僕の言葉尻を取って、言い負かすために来たのか?実にくだらない。そんなことをしたって、無駄に時間を過ごすだけだ」

「なんだ。君はてっきり、時間を無駄に過ごすのが好きなのだと思ったが、そうじゃないのか?」

「君よりは、生産的な時間だ」

「なんだ。やっぱり私たちは、仲良くなれそうじゃないか」


 嫌な奴に気に入られたが、しかし人生とは、なんとも性格の悪い者で、私がこいつから離れようと、探さなくなった途端、こいつと一緒にいる時間が増えました。そしてその度に、やれ、世の中は退屈だの、無駄こそが一番充足しているなど、なんともまあ、腑抜けたことを言い聞かせてきて、私はその、酷く中身の無い詭弁を聞かされる度に、生きねばならぬと、どこか身が引き締まる感じがして、ああ、いつからか、周りが私に構わなくなったのは、私のことを、どうしようもない奴だと見限ったのではなく、反面教師にしようと、わざと蔓延らせていたのかと、どこか辛い気持ちになりながら、しかし頑張ろうと、私は珍しく、必死に狩りの仕方を覚えようと動きました。親も驚いたような顔をして、その嘴(くちばし)と頭を動かしながら、熱心に私に指導してくださって、おかげで私も、大人になる直前で、なんとか、半人前程度には、狩りができるようになりました。しかし、子供目線では、親というのは不器用で、いや、子供目線ではなくとも、やはり、他者の様子がおかしいというのは、周りの目にはよく映るようで、私は、親がどこか、小さな子供を褒めるような、爆発物に触るように、慎重に言葉を選ぶその姿勢が、やけに強く印象に残ってしまい、一度逃げた者は、例え親子の縁で結ばれようと、簡単に見限られてしまうのだと、私は、遂に誰からも、期待も見向きもされないのだなと、再び頭を悩まして、やはり、1人考える時間が増えました。その頃には、私の背中も、見事に真っ黒になってしまい、ああ、これが世の中の業か、などと偉そうなこと思っては、世間に八つ当たりをする自分に辟易とし、やはり空を、見上げてしまうのです。しかし、背中が黒くなったのは分かったとして、では正面が白いのは、何故なのだろう。私は、それほど世の中に、期待したことはないはずなのだが……。

 覚えているのは、キラキラと輝く、陽の光。あれは、一体なんだっただろうか。

 それからしばらくして、私はついに、初めて狩りをすることになったのです。大人たちが一同に集まり、子供の頃は、大層大きな存在だと思いましたが、いざ自分がなってみると、周りも大したなさそうに見え、私と同じ、小心者になってしまったのかと、くだらない事を、想いながら、そういう私は、幼い頃、捻くれていた自分を知っている者がいるのではないかと、内心怯えながらも、周りの行進に足並みを揃えては、海の方へと向かっていきました。


「やあ、やあ、君に話しかけているんだ。耳が聞こえないのか?」


 本当に、生きることは恐ろしいことです。昔の知り合いに怯えていたら、不意打ちをかけるように、的確に急所を当てて、違う刃物で切ってくる。お天道様というのは、何故こうも、嫌がらせが上手いのでしょうか。


「君は、本当に一言余計だな」

「良いじゃないか。生きることは、余計なものを積み上げることなのだから」


 この男は、何も変わってはいない。私が直向きに努力していた間も、きっとこの男は、変わらず、中身の無いことを考えていたに違いないのだ。


「なあ、君は何故、今から死にに行くような、この行進に並んでいるんだ?」

「死ぬ気はない。当然だ。独り立ちして、子供を持ち、親孝行するんだ」

「子供とは、君は、いつの間にか不幸の中にいることが、好きになってしまったのか」

「子を持つことが不幸だなんて、滅多なこと言うな」

「いや、失礼。確かに、生きると言うことは、そうした幸せの連続だ。幸せの、そこから落ちてゆくだけの生涯……」

「君は、何を言いたいんだ。嫉妬か」

「実に、私たちらしいと言いたいんだ。幸福とは、実に儚く消えるもので、睾丸を触って、絶頂に達したような、その瞬間は、何も考えられぬほどに幸せだが、しかし、そこから先は落ちゆくだけ。自己嫌悪に駆られて、沈んでいく」


 この男は、気が狂ったのだろうか。いつまでも、自分の殻に閉じこもり、外へと出て行こうと思わないのは、やはり、生きる上で罪なのかもしれない。


「そういう君は、なんでこの行進に並んでいる。君も、結局は世間の圧に、負けたということなのではないか」

「いや、私は終わらせにきたんだ」

「何をだ」

「何もかもだ。そうして、今度こそ、飛ぶんだ」

「飛べるはずないだろう。僕たちは、水中で泳ぐのが、使命なんだ」

「昔の、私たちの先祖は、空を飛んでいたらしい」

「昔と今は違う」

「分かっている。それでも、決して切ることのできない繋がりが、過去なのだ」


 瞬間、そいつは勢いよく走り出した。無遠慮に、前にいる者たちを押し除けて、時にはお腹を地面につけ、見事に滑ってみせながら、その両の手を目一杯に広げて、風を切るように、進み続ける。周りは、そんな彼に奇怪な目を向けて、ふれぬが仏、と言わんばかりに、道を譲っていく。しかし、その先は海。世の中のように、表面は青く、太陽の光を反射して、キラキラと輝いていようとも、その実、中は真っ暗で、深く行けば行くほどに、何も見えなくなってしまう。彼は、結局、落ちるのだ。誰も、この波には逆らえない。


「飛ぶのだ。私は、もう、終わりにする」


 その言葉は、彼にしては珍しく、とても透き通って、私の耳まで届いてきた。そして目を向ければ、彼は見事に、飛んでいた。そうだ!飛んでいた!泳ぐことしか、そのルールに従うことしかできない私たちに、彼は確かに示したのだ!私たちならばできると!暗い海に、光を灯してくれたのだ!周りは、彼の行動にざわついている。いきなり飛び出し、そして海面へと落ちた彼に、面を食らったような顔で、その場にたち尽くしている。その中で、私だけは、確かに見たのです。いつも見ているその空へと、高く飛んだその勇姿を!

 ああ、やはり、私たちは似ていない。お互いに社会を蔑み、逃げて、下に見ることだけが、誠意一杯の抵抗だった。しかし、私は小心者ですから、最後には、世の中へと屈して、今までの自分を否定して、頭を下げました。だが、彼は違った。最後まで抵抗し、そして飛んだ!世の不条理に、彼は最後の瞬間に、一杯、食わしてやったのだ!

 私は、酷く小心者でありました。もう、小心者でいるのはやめよう。いや、その小心者という、肩書きさえ、私は逃げの理由にしていた。思い出したのだ。あの日見た、キラキラと輝く、陽の光。そうだ、あれは、私が生まれた時だ!卵の殻を突き破って、顔を出した時、まだ、目も開けられない、半開きのその瞳で、見た景色。世界が、祝福してくれた。あの瞬間が、私の、絶頂。そこから先は、落ちるだけ。小心者でいるのはやめよう。今、彼は道を開けた。私の正面に続く、一直線の白い道を、今こそ、私は駆けて行く。海面に潜ったのなら、上がれば良いのだ。悶々とした、なんとも言えぬ不安があるなら、それらを脱げば良いのだ!これ以上、恥を重ねるのは、もうやめだ!小心者でいるのはやめよう!私は飛ぶ!今日、彼の後に続いて、自分の殻を破るのだ!さあ、今だ、お腹を滑らせて、その手を広げて、そうだ、その手は、何のためにあるんだ、水を切るためか、空を切るためだ!高く上げろ!空は見てきた!いつだって、私は彼を探していた!今度もきっと、見つけられる!そうでなくとも、お天道様が、側につけてくれる!今度こそ、私は、彼の隣に立つのだ!そうして、いつの間にか、牙を折られた獣のように、すっかり、小心者になってしまった者たちに、示すのだ!生きることは、素晴らしい!さあ!もうすぐだ!すぐそこだ!目の前に広がる、大海原!私は今日、世の中から、飛び立って行く!両手を広げて、小さな足で、大地を蹴って、さあ!ほら!今だ!飛んだ!!広がる!青い、どこまでも青い!どれだけ上がろうと!変わらない!これが!飛ぶ!飛ぶ感覚!落ちてるように、錯覚さえしてしまう!そうだ!太陽にいこう!さんさんと照り輝く、あの光のもとへ!さあ、いくぞ!今だ!もう一度!さあ!今度こそ!違う!落ちてる!ああ!何故!私は何故!間違えた!何故!飛ぼうなどと考えた!無理だ!逃げねば!早く!うわっ!


―――――――――――――――


「やあ、今日は、随分と騒がしいね」

「ああ、本当、たまげたよ。突然、一羽走り出したと思ったら、続けてもう一羽、走り出した」

「勇敢だ。そいつらは、どこにいるんだい?」

「アザラシたちに、食われたよ」

「そうか、実に残念だ。そのような、勇敢な者たちの顔を、一度でいいから、見ておきたかった」

「勇敢は、まやかしだよ。悪魔の囁きさ」

「しかし、その光がなければ、私たちは、この真っ暗な世の中で、前を見て、生きることも、難しいだろう」

「眩しすぎる光は、かえって何も、見えなくなる。盲目だ。危険にさえ、気付けない」

「だがまあ、今だけは、犠牲が2羽で済んだことを、嬉しく思おう」

「ああ、そうだな。やはり、生きる上で大事なのは、自分を大きく見せようとせず、小心者であることだ」


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