第18話 草原と、ルビエール辺境伯の帰還


 このルビエール辺境伯領について知るためには、その北側にある草原地帯のことを知るのは必須だ。


 エタノール王国の北端に位置するこのルビエール辺境伯領の歴史は、草原の民との闘いの歴史でもある。

 この北部草原には、優に五十を超える部族が存在している。

 彼らの多くは、馬で草原を駆け、羊やヤギを飼い、狩猟をしながら生活している。

 草原の水場に村を作り、畑を耕し、わたし達エタノール王国民に近い暮らしをしている部族もある。

 ただ、共通して言えるのは、彼らは一様に誇り高く、エタノール王国とは違う、独自の共通文化を形成しているということだ。

 それを取りまとめるのが、最も強い部族の首領。草原の王である。


 そして今、草原の王を担うのは、タラバンテ族の首領、ケメス=テオス=タラバンテであった。



   ~✿~✿~✿~


 わたし達がこのルビエール辺境伯領に来てから、一週間以上が経過した。


 毎日、街に降りて様々な場所を観光したり、ルビエールの家族と団欒したり、キャベツ会を開いたり、それはもう充実した日々であった。


 特に、リーディアは、同じ年の娘であるエルヴィラという友人を得た。

 毎日毎日、大好きなエルヴィラとのことを語る彼女は、満面の笑みである。


「もう。リーディアったら、毎日こんなにニコニコして。可愛すぎるでしょ? ほっぺが筋肉痛になっちゃうでしょ?」

「ママ! 旅行、楽しいの!」

「ふふ、よかった」


 可愛い銀色娘のもちもちほっぺを両手でフニフニしながら、なんだかんだわたしも毎日が笑顔である。

 朝食が終わり、愛娘と戯れているわたしに、朝から最高に美しい夫は、けだるげな様子で声をかけてきた。


「マリア。今日はライアン叔父上が帰ってくるから」

「ええ、分かったわ」


 今日はようやく、この辺境伯邸の主人である、ライアン=ルビエール辺境伯が戻るのだ。

 彼はここ数週間、草原の民の王、ケメス=テオス=タラバンテと共に、草原の部族の訪問をするために出払っていたらしい。


「リーディア。今日はわたしもナタリーさんも一緒にいられないから、エルヴィラちゃんと子ども部屋にいてね。ライアン閣下がお戻りになったら、挨拶のために呼びに行くから」

「わかったの! じゃあね、ママ、こっちを向きなさいなの」

「うん?」


 わたしがソファの上、隣に座るリーディアの方を見ると、リーディアは紅葉のようなお手手で、わたしの頭を撫でてきた。


「ママはいっぱい可愛いのよ。すぐに攫われちゃうの。だからね、リーの傍を離れるときは、たくさん気をつけるの。リーとの約束よ?」


 ええー!?と赤くなるわたしに、リカルドはくつくつ笑っている。


「リーディア、それはどうしたんだ?」

「あのね。魔法使いさんが……はっ」

「お義父さんが?」

「なんでもないの。リーは、なんにも知らないの」


 慌てて自分の口を塞ぐリーディアに、わたしはずももも、と背後に修羅を背負う。


 お父さん、リーディアに何を入れ知恵したのかしら!?


 しかしまぁ、当の本人はここに居ないので、致し方ない。

 わたしはため息をつくと、侍女のサーシャの方を向いた。


「サーシャさんも、よろしくね」

「はい、奥様!」


 わたしは、リキュール伯爵邸からついてきてくれた彼女にリーディアのことをお願いする。


 今回の旅の共に乳母アリスはいないので、リーディア付きの侍女の中から、アリスの代わりとなる侍女を選ばなければならなかった。

 そして、リカルドと相談の上、夜番を主に担当してくれている二十歳の侍女サーシャがその担当に選ばれたのである。


 少し茶目っ気のある彼女のことは、リーディアも気に入っているらしい。こっそり廊下で「サーシャはリーが大好き~♪」とサーシャの歌を歌っていることもあるので、間違いないと思われる。

 なお、この隠れリサイタルをわたしが目撃していたことは、重要機密事項である。


 そうして、ライアン辺境伯とその夫人リリーシェが辺境伯邸に戻ってきた。


 ダークブロンドの髪に、水色の瞳。このルビエールの地を治める領主は、ルシアおばあ様似の、ぱっちりした大きな瞳に鼻筋の通った、優しそうな顔立ちの正統派美丈夫であった。


「ライアン、よく帰ったな」

「父さん、お帰りなさい!」

「うん、ただいま」

「視察はどうでしたか、お義父様」

「よかったよ。草原の部族はやはり活力があるね。特にタラバンテ族は、今は若い男が多くて、競い合うように騎馬の技術を磨いているらしい。見事だったよ」


 侍従にコートを預けながら、ライアン辺境伯もリリーシェ夫人も、柔らかく微笑んでいる。

 リカルドの言ったとおり、どうやら辺境伯は穏やかな人らしい。


「叔父上、お久しぶりです」

「リカルド! 元気にしていたか、心配していたんだぞ」

「ありがとうございます。お陰様で落ち着きました。こちらが、妻のマリアです」

「初めまして、ライアン閣下。リカルドの妻、マリアでございます」

「君がマリアさんか! 遥々よく来てくださいましたね、何もないところですが、ゆっくりしていってください」


 優しい微笑みに、わたしは背筋の緊張を解く。

 どうやら、辺境伯閣下とも、仲良くやっていけそうだ。

 そう思ったところで、思わぬ声がかかった。



「――マリア?」


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