第8話 出発と忘れ物
こうして、なんとか旅の準備を終え、ルシアおばあ様の夫であるルイス=ルビエール辺境伯へ、事前に電報を打ち、来たる十一月十五日の三日前、転送大魔法陣の所在するキリシア伯爵領へと向かって旅立つこととなった。
「マリア、リーディア。忘れ物はないか?」
優し気な笑顔でそう言われたわたしは、思わずため息を吐いた。
旅支度をしたリカルドは、本当に本当に格好良かった。
お洒落だけれども格式のあるコートに身を包み、すらりとした長身、鼻筋の通った美しい顔、透明感のある銀髪に紫色の瞳が蠱惑的な美丈夫……。
「リカルドはずるいのよ」
「うん?」
「なんでもないわ」
不満を露わにしつつそっと腕を絡めると、素敵すぎる旦那様はなんと「旅の装いのマリアも新鮮で素敵だ」と耳打ちしてきた。
めちゃくちゃびっくりした。
色っぽいハスキーボイスに、耳から溶けるかと思った。
わたしが片耳を手で押さえながら涙目で睨みつけると、蕩けそうな笑顔が返ってきた。わたしが何を不満に思っているのか、全て分かっていてやっている笑顔である。
最近、こういう夫に、本当に困っているのだ。
今まで、すごく親切で紳士で優しかった彼は、本当の夫婦になってからというもの、こうして少年のようにいたずらを仕掛けてくる。自分の魅力を分かっていて、私をもてあそんでくるのである。そんなふうに甘えた気の置けない様子を見せられたら、もっと好きになってしまうではないか。夫のことを好きになりすぎて、わたしは本当に困っている。彼は悪い男だ。ギルティである。
わたしとリカルドがなんだかんだ新婚夫婦ならではの蜜月モードに入っていると、リーディアとルシアおばあ様の声の困ったような話し声が聞こえてきて、わたし達二人は我に返った。
「リーディアちゃん。ほら、もう行かないと」
「いや! いやなの、ひいおばあちゃま」
「もう出発の時間よ?」
「でもね、忘れ物があるの。アリスを忘れてるの」
乳母アリスのスカートにしがみついたまま、必死に抵抗しているリーディアに、ルシアおばあ様もアリスも困った顔をしている。
~✿~✿~✿~
今回の旅行、アリスは共にルビエール辺境伯領に行かず、伯爵邸で留守番をする予定なのである。
実は今回、転送大魔法陣での移動に伴い、アリスから相談されたのだ。
「そろそろ、第二子を儲けようかと思いまして」
「!」
第二子を作ると、今までのようにリーディアの傍に居られなくなる。
育児休暇も必要だし、復帰したとしても、今までのような勤務形態でリーディアに付き添うことは難しくなるだろう。
だから、母のいない彼女につきっきりで仕事ができるように、今まで第二子のことは考えずにいたらしい。
しかし、リーディアにもわたしという母親ができたので、そろそろ家族を増やしたいと考えているのだそうだ。
いつ相談するか悩む中、旅行に利用する転送魔法は妊婦に良くないという噂もあったため、思い切って相談してくれたらしい。
~✿~✿~✿~
わたしは膝をついてリーディアに目線を合わせながら、アリスのスカートにしがみついている彼女に向き合った。
「リーディア」
「ママ、いやなの」
「リーディアには、ママがいるでしょう?」
「アリスもいるの」
「リーディア」
「アリスもいなきゃだめなの。アリスもいるの……」
ぽろぽろ泣き出してしまった銀色娘に、アリスはその場でしゃがみこむと、彼女をしっかりと抱きしめた。
「お嬢様」
「……」
「お嬢様と私は、ずっと一緒にいましたね。きっと、旦那様よりも、ずっとずっと長く一緒にいたと思います」
「これからも、一緒なの。一緒に来てくれなきゃ、いやなの」
「これからもずっと一緒ですよ。だけど、リーディアお嬢様は、沢山大きくなられました」
涙の止まらない銀色娘を、アリスは優しい笑顔で見つめる。
「あんなにお小さくていらっしゃったのに。この腕の中に抱えるくらい、お小さくていらっしゃったのに、今はこんなふうに遠出ができるくらい、立派なレディになられました」
「まだよ。まだ、リーは小さいもん。アリスがいなきゃだめなのよ」
「あら。いつも私はお姉さんだっておっしゃるのに、今日は小さなリーディア様なのですか?」
「アリスがいてくれるなら、小さくていいの。リーはちっちゃい子なの」
「お嬢様。アリスはお嬢様を、そんなふうにお育てした覚えはありませんよ」
リーディアは、ハッとしたように顔を上げる。
「アリスと一緒に過ごしてきたお嬢様は、強くて素敵なレディのはずです」
「素敵な……」
「そうです。知りたいことがあったら、自分から調べに行きます。求めるものがあったら、自分から手を伸ばします。後ろを振り向いたりしない、強くて立派な、伯爵令嬢です。そんなリーディアお嬢様だから、天使様を捕まえることができましたね?」
パッとわたしを見て、その後すぐにアリスを見るリーディアに、アリスは目に涙を浮かべながら、笑顔を返す。
「沢山、冒険をしてきてください。これからもずっと、立派に育っていくリーディアお嬢様を、私に見せてください。アリスはここで待っていますから」
「アリス」
「お土産話を沢山集めてきてください。大丈夫。お嬢様には、素敵なお父様とお母様がいますから、できますよ」
そう言うと、アリスはそっと、可愛い銀色娘をわたしの方に押し出した。
声もなく泣いている彼女を、わたしはしっかり受け止め、アリスの方を見る。
ただ微笑んでくれる彼女に、わたしは深く深く、頭を下げた。
リーディアをこれほどまでに慈しんでくれる人が、わたしを信用して、彼女を預けてくれている。
なんてありがたいことなんだろう。
こうして、わたし達一家は、初めての旅行のため、我が家を出立したのである。
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