番外編
番外編 最強のアイドル(終)
リカルドの本当の妻となって暫く経ったときのこと。
わたしは子ども部屋で、リーディアの乳母アリスと何気なく話をしていた。
(そうだわ、あのことを聞いてみようかしら)
実は、少し気になっていたことがあるのだ。
ちょうどリーディアがお花摘みで席を外していたので、わたしは思い切って、彼女に聞いてみた。
「アリスさん。以前、このリキュール伯爵邸に、リカルド目的の使用人が入り込んでいたのよね?」
「はい。ヨンナのことですね」
乳母アリスの言葉に、わたしは頷く。
その不埒な輩は、実はリーディア付きの侍女として入り込んでいたのだ。そして、ヨンナがリカルド目的で入り込んでいたことに気がついたのは、アリスなのだという。
「どうやって気がついたの?」
「怪しいそぶりがあったのですけれど、決め手は、その」
「その?」
「……」
「アリスさん?」
「ヨンナの歌が、なくて」
「え?」
歌?
目を彷徨わせながら言葉を濁すアリスに、わたしは首を傾げる。
「奥様も、いつかご覧になられるかと」
「うん?」
「私から申し上げられるのは、ここまでです」
「アリスさん、あのね」
「だめです」
「アリスさん……」
「私はお嬢様びいきなので、だめです」
乳母アリスはつれない素ぶりだ。
わたしがしょんぼりしていると、アリスはふと扉の方を見た。
「そういえば、お嬢様、お戻りが遅いですね」
「あら、そうね」
今日は何かを企む様子がなかったので、侍女に追跡してもらっていないのだけれども、お願いした方がよかっただろうか。
思案しながらふと横を見ると、乳母アリスも何やら考え込んでいる様子だ。
「アリスさん?」
「奥様。お嬢様を迎えに行かれてはいかがですか?」
「え?」
「ほらほら、行きましょう、行ってみましょう」
「ええ?」
「こっそり迎えに行ってあげてください。こっそりですよ」
にっこり微笑むアリスに、わたしは何故か、子ども部屋から押し出されてしまった。
一体なんだというのだろう。
仕方がないので、わたしは廊下をふたつ曲がった端にあるトイレに向かって歩を進める。
そして、一つ目の角を曲がろうとしたところで、微かに可愛い声が聞こえてきた。
「……リーはサーシャが大好き〜、だから最強なの〜。るるるー」
……うん?
「るるるー。リーは最強〜。アリスはリーが大好き〜、リーはアリスが大好き〜。だからリーは最強なの〜。るるるー」
(こ、これは……!)
なんと、お花摘み帰りの銀色アイドルが、廊下で歌って踊っているではないか!
人目がないという開放感からなのか、かなり上機嫌の様子である。サラサラの銀髪を揺らし、リズムをとりながら、小声で熱唱中である。
たまに鼻歌を歌っているときはあったけれども、こんなふうにオリジナルソングを熱く歌っている姿を見るのは初めてのことだ。
「るるるー。リーは最強〜。魔法使いさんはリーが大好き〜、リーは魔法使いさんが大好き〜。だからリーは最強なの〜。るるるー」
なるほど、どうやら歌に出てくる登場人物は入れ替え可能な仕様らしい。これは、魔法使いさん――
柔軟性のある歌詞にわたしが感心していると、「るるるー」のところで歩きながらの回転が入った。勢いよくクルリと回ったリーディアは、平衡感覚を失い、よたよた、と壁に当たりそうになっている。それはそれで可愛いのだけれど、わたしは彼女が壁にぶつからないか、心配で仕方がない。
「るるるー。リーは最強〜。パパはリーが大好き〜、リーはパパが大好き〜。だからリーは最強なの〜。いあいあ」
今度は「いあいあ」のところで、手を上下に動かす振り付けが入った。可愛い。めちゃくちゃ可愛い。そして、そろそろ小声ではない。興が乗っているのだろう。
しかし、これはあれだ。
……他人が見てはいけない姿なのでは?
『こっそり迎えに行ってあげてください。こっそりですよ』
(アリスさん、こここれ、こういうこと!?)
我に返ったわたしは慌てて隠れようとして、青くなった。
ここは廊下だ、隠れる場所がない!
リーディアは何も知らずに、子ども部屋に戻るべく、リズミカルに歩みを進めている。
目の前の角を曲がるとリーディア、後方には子ども部屋の扉。
今から子ども部屋に駆け込んでも、間に合わない――。
「るるるー。リーは最強〜。ママはリーが大好き〜、リーはママが大好き〜。だからリーは最強……な、の……」
「…………」
パチリと、紫色の宝石と視線がかち合った。
銀色アイドルは、大きく目を見開き、石像のように固まった。
「…………」
「…………」
静まり返る伯爵邸の廊下。
最高に気まずい空気が渦巻いている。
見てしまった。見られてしまった。
しかもだ。もしかして、一番聞いてはいけない歌詞のときに、目が合ってしまったのではないだろうか。
ええと、正解は。
この場合の、正解はどこなの!
えーと、えーと。
「……最強、なの?」
銀色アイドルの顔が、ブワッと赤く染まった。
「やぁあああーーーー!!」
リーディアは、脱兎の如く走り出した。
「リーディア! ま、待って!」
「やぁああー!」
追い縋ったけれども、そのまま子ウサギリーディアは廊下を走り抜け、トイレに駆け込む。
そしてそこから三十分ほど、リーディアは個室から出てこなかった。
わたしが扉越しに「か、可愛かったわよ?」と慰めても、「やぁああぁ……」と声が聞こえるのみで、可愛いお顔を見せてくれないのだ。
その後、ようやくトイレから出てきたリーディアは、一時間に一回くらいの頻度で蹲って頭をプルプル横に振っていた。
乳母アリスによると、あれはやはり、リーディアが一人きりのときにだけ行われる秘密の儀式だったらしい。結構な頻度で行われる単独ライブは、実は使用人達に目撃されまくっていたのだけれども、目撃者達はお嬢様の気持ちを斟酌し、素知らぬふりをしていたのだとか。
「最強の歌が出るということは、今のお嬢様は絶好調です」
「そ、そうなの?」
「はい。最強の歌は、最強の精神状態のときしか嗜まれないので……本当に、お幸せそうで何よりです」
「ええっと、そうね……?」
乳母アリスとヒソヒソ話をしていたわたしは、近くでウサギのぬいぐるみに抱きついて羞恥に悶えるリーディアに視線を向ける。
……多分、何も言わない方がいいのだろう。
わたしは、心の中で「ごめんね」と謝り、耳まで真っ赤になっている可愛い娘のサラサラの銀糸を撫でた。
ちなみにその日の夕方、帰ってきたリカルドが何気なく「ただいま。リーディアは今日も最強に可愛いな」と言ったところ、最強の銀色アイドルは「やぁああ……」と顔を真っ赤にして悶えていた。
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