第11話 マティーニ男爵領 ※リキュール伯爵視点
エドワード王弟殿下は、私の顔を見るなり、頭を下げた。
「リキュール伯爵。この度のこと、大変申し訳なかった。王族の一人として恥じるべきことだと思う。許して欲しいとは言わないが、まずは謝罪させてほしい」
そう頭を下げる王弟殿下を、私はどこか遠くの世界のことのように見ていた。
「そうですか」とだけいい、そこから俯いて黙ってしまった私に、エドワード王弟殿下は青い顔をしている。
「本当に申し訳ない。私は一月ほど前に、隣国から帰ってきたばかりで、ようやく事情を知ったところなんだ。正直、兄上達がここまでアホだとは思わなかった……」
「エドワード殿下、素が出ていますよ」
「いつになく手厳しいな、マーカス」
「そりゃあそうですよ。だって、あまりにも可哀想じゃありませんか」
穏やかなそのテノールの声に、私はようやく顔を上げた。
そこには、恰幅のいい、人の良さそうな男爵が、ニコニコ笑って座っている。
「どうですか、リキュール伯爵。よかったらしばらく、うちに静養に来ては?」
「……静養?」
「はい。うちはしがない男爵領です。田舎くさくて、のどかで、時計のない場所も多いくらいで。のんびりできると思いますよ」
「……リーディアと、離れる訳には」
「今は離れた方が良いでしょうね」
薄く開かれた目に、私はギクリとして背筋を伸ばす。
「……どこまで」
「失礼ですが、先ほど執事殿に、あなたの状態を聞きました。今のあなたがリーディア様と共にいらっしゃるのは、得策とは思えません」
「しかし、……私は、リーディアの親です。たった一人の……」
「親である前に、一人の人間ですよ。私からしたら、君は息子ぐらいの歳でしかない。そんなに頑張らなくても、大丈夫です」
ハッと顔を上げた私に、マティーニ男爵は微笑んだ。
「うちの名産を知っていますか?」
「トマトと、カボチャと……」
「はい。夏野菜です。特にその二つですね。よくご存知だ」
「隣の領地の話ですから」
「うん、よく勉強なさっておいでだ。本当に勤勉でいらっしゃる」
頷くマティーニ男爵を、私はぼんやりと見つめていた。
なぜだか、彼の言葉は心地よい。そのテノールの声に、私は耳を傾けた。
「私はね、畑が大好きなんですよ。いつも、あの実は今どんなふうに育っているのかとか、こんな品種改良はどうかとか、そんなことばかり考えている。でもね、気になるからといって触りすぎてはいけないんです。植物は手をかけすぎると、根腐れするからです」
「根腐れ……」
「はい。あなたは真面目だ。今のご自分の状況をなんとかしようとして、もがいていらっしゃる。けれども、それで解決していないと言うことは、今のやり方だとほんの少しだけ、あなたの心に手をかけすぎなのでしょうね」
ホロリと熱いものが目からこぼれおちて、けれども私はそれに気が付かなかった。
マティーニ男爵は、そんな私にただ微笑んでいる。
「待つ時間が必要なときもあるんですよ。どうぞ、せっかくお隣ですから。二ヶ月ほど、秘密の視察ということで、どうですかな」
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私は彼の申し出をありがたく受けることにした。
留守を任せることを使用人達に伝えると、意外なことに、全員がホッとしたような顔をしていた。
「旦那様。マティーニ男爵とお話ししました。今までもお付き合いはありましたが……あの方は、なかなかに狸ですね。男爵に収まるような方ではないようにお見受けします」
「うん。王弟殿下もそう言っていたよ。実際、爵位を上げようともしたそうだ。本人が断ったようだが」
聞いてみたところ、マティーニ男爵は、男爵領に『野菜大好き研究隊』なる部隊を発足させ、一致団結して活動をしているらしい。
彼にとって、趣味は畑仕事、本業は畑の研究、男爵領主の仕事は
彼は『野菜大好き研究隊』の中では、海外からの情報を得たり、貴重な種を入手する係で、実は年の三分の一は各国を飛び回っているらしい。そして「男爵よりも爵位が上がったら、野菜大好き研究隊の業務が!」というのが、彼が爵位を上げたがらない理由なのだ。
そんな訳で、王弟殿下は結局彼の爵位を上げるのを諦めたのだとか。そして、「男爵っていうのも、まあ派閥とか関係ないし便利ではあるよな」と言いながら、趣味が長じて国際情報に通じている男爵マーカス=マティーニのことを大変便利に使っているらしい。
そんな話をしていると、ふと、執事が真剣な顔をして、こちらを見ていた。
「旦那様。私どもは、旦那様の留守を何があってもお守りします。ですから、安心して視察に励まれてください」
執事だけではない。使用人達一同は、みな、覚悟を決めた顔をしている。
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実は、あの後、エドワード王弟殿下から恐るべき事実を知らされたのである。
「実はな、リキュール伯爵。この事態、もはや王家にも止められないんだ」
「え?」
「確かに王家は、リキュール伯爵の婚姻を進めようと、女性を差し向けた。リキュール伯爵の婚姻を暗に推奨もした。だが、実は一月ほど前、私が帰ってきてからはそんな馬鹿なことはしないようにと兄上達に言いつけてあるんだ。だから、ここ一ヶ月、王家からリキュール伯爵家に対しては何もしていないはずだ」
「……」
青ざめた私に、エドワード王弟殿下は頷く。
この一ヶ月、ハニートラップ攻めは、特に止まる様子はなかった……。
「その……。リキュール伯爵は、もともと女性に大変人気だっただろう? 王家の促しにより、リキュール伯爵に少しでも懸想している女性はみな、集団意識も相まって、今なら大丈夫と言わんばかりに行動しているようなんだ」
「……」
「もちろん、収束に向けて手配はしている。しかし、政治の力で、全ての女性の気持ちを止めることはできない。しばらくは現状が続くと思うので、申し訳ないが耐えてほしい。そういう状況を考えても、君はしばらく、この領地にいない方がいいと思う」
唖然とする私に、エドワード王弟殿下は再度頭を下げた。
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リキュール伯爵邸に残る使用人達は、こういった事情を全て知っている。
その上で、一致団結して、リキュール伯爵家とリーディアを守ると言ってくれているのだ。
「みな、本当にありがとう。すまないが、あとは任せる」
私がなんとか笑顔を見せると、使用人達はしっかりと微笑んでくれた。
本当にありがたい、かけがえのない忠義者達である。
こうして私は、マティーニ男爵領へ、
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