第3話 義娘との出会い ※過去編





 時は遡り、契約結婚生活一ヶ月目。


 わたしは毎日、とある難題に頭を抱えていた。



   ~✿~✿~✿~


 リカルド=リキュール伯爵との契約は一年。

 その間、契約妻であるわたしは当然、リキュール伯爵邸にて過ごすことになる。


 そこで問題となるのは、リキュール伯爵の娘であるリーディアだ。


(6歳の娘に『初めまして、1年限りのお義母さんだよ〜!』……)


 歓迎されようとも拒絶されようとも、いい結果にならないことは火を見るより明らかだ。


 という訳で、実は当初、わたしはリーディアとは接触せずに生活することとなっていたのだ。


 貴族の子どもは基本的に8〜9歳頃までは子ども部屋で生活する。食事も大人とは別で、子ども部屋に運ばれていく。

 そうなると、お義理の『奥様』にすぎないわたしと義娘のリーディアは、大した接触もなく過ごすことはできるはず!




 ――というのが、大人の浅知恵であった。




(…………いる……)


 大人しか入れないはずのカフェルームで園芸の本を読んでいたわたしは、斜め後ろからのじっとりとした視線を感じる。


 間違いない。

 犯人はこの家に潜む、幼いスナイパーである。


 しかし、わたしは振り向かない。

 ここで振り向いたら、負けてしまうような気がするのだ。


 だけど見たい。


 可愛いスナイパーがこちらを必死に睨んでいるのだ。視線でこちらを殺しにかかってくる。白銀のサラサラストレートヘアの天使が、ふくふくのお手手を握り締めながら、こちらを熱のある眼差しで見つめている。

 初めて見かけたときは、あまりの破壊力に気絶するかと思った。

 奴は可愛い。

 可愛いのだ……。


 しかしこのままこのティールームにいると、今にも話しかけてきそうな雰囲気だ。

 これはまずい。

 そういえば、三十六計逃げるにしかずと東国では言われているらしい……。


「マーサ、わたしお庭に移動するわ」

「はい、奥さ……ゲフゲフゲフ。それがよろしゅうございますね」


 わたし付きの侍女となった52歳のマーサは、空気を読みながらティーセットを運んでくれる。

 リーディアの前でわたしのことを奥様と呼んではいけない。たとえ仮でも、わたしが彼女の『母』なる存在であることを知られてはならないのだ。


 チラリとマーサを見ると、意を得たりと頷いてくる。

 そういえば、先ほどまでいたもう一人の侍女が姿を消している。

 うむ、今日も抜かりはないようだ。


 わたしとマーサが庭へと移動している間、小さなスナイパーはてちてちとこちらについてきている。

 彼女がこけないように、わたしもマーサも、それはそれはゆっくりと廊下を移動している。

 撒いてはいけない。振り向いてはいけない。拷問タイムである。


(早く……早くきて……!)


 マーサと共に唇を噛み締めながらプルプル震えていると、ようやく待ち望んだ声が廊下に響き渡った。


「まあまあ、お嬢さま! ようやく見つけましたよ、また子ども部屋を抜け出して!」

「あっ、だ、だめなの! 大きな声はだめなのよ、アリス!」

「ほらほら、お部屋に帰りますよー」

「いやいや! いやなの、リーはまだ……ッ、やだぁああー!」


 幼い声が廊下を響き渡る。

 うむ、今日も可愛いスナイパーは排除されたようだ。


 思わず、マーサと顔を見合わせて失笑してしまった。


「ねえ、マーサ。これ、あと11ヶ月続くのよね?」

「そうでございます」

「ちょっと限界じゃないかしら」

「伯爵様にご相談してみてはいかがでしょう」

「そう、ね。そうするわ……」


 リキュール伯爵に相談するのは、正直気が引ける。

 なにしろ、ハニートラップ攻めが止まって数ヶ月、ようやく少し顔色が普通に戻ってきたばかりなのだ。

 あの気の毒な人に、あまり手を煩わせたくはない。


 しかし、何はさておき彼の娘の問題である。

 これは話をしなければならないのだろう。


 わたしは小さなため息を落とした。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る