5窓非推奨

壱原 一

 

活かし時はそうありませんが、5人位までの声なら同時に聞き分けられます。


幼少期から読み聞かせが好きでした。故に聴覚が発達したのか、はたまたそもそも耳が良いから聞くのを好んだのか、その辺りは我が事ながら杳として知れません。ともあれそうした質なので、良い歳になった後も朗読動画を楽しんでいました。


動画投稿サイトに寄せられた作品の中から、心惹かれたそれぞれを複数画面に並行展開させ、次々に再生するあんばいです。


複数動画の同時再生は、再生に利用するインターネットブラウザの画面をウィンドウ(窓)と呼ぶ事から、スラングで「n窓再生」(nは自然数)と表すようです。


この流儀に沿えば、その日、当方は赴くままに選んだ朗読動画を5窓再生しました。初老男性の旅行の話、中年男性の仕事の話、若い男性の恋愛の話、中年女性の飼い猫の話、若い女性の闘病の話です。


テーブルにタブレットを置き、気に入りの椅子に座ってイヤホンを付けて目を閉じます。それぞれの読み手の声が各々の話を紡ぎ、半ばの盛り上がりを迎えた頃です。


ある声がたっぷり間を設け、またある声が細切れに区切り、そこへ他の声の息継ぎと幕間が重なり、最後の声が追い付いて…という具合に、5動画の音声が、一瞬、申し合わせた風に途絶え、次には一斉に再開しました。


音の流れが途絶えたため、耳が無防備に続きの音声を待ち呆け、一挙に訪れた5人分の様々な時や場所や物事を語る声に思い掛けず圧倒されました。


明所で瞳孔が縮むようにきゅうっと頭が竦んで、軽い貧血を催したのか俄かに平衡感覚が揺らぎ、椅子に座り目を閉じた状態で眩暈にふらつきました。


長年5窓再生を続けて初めての体験だったので、物珍しく興味深い感慨が過ったのも束の間、突如視界に突っ込んできて俊敏に飛び回る虫に意図せず視線が釘付けになってしまう時のように、再開した5つの声の中に、当方の耳がもう1つ、別の声を聞き分けていると気付きました。


その声が述べている情報を聞き取ろうと、真剣に耳を傾けて集中していると気付きました。


それは発条ぜんまいによる回転が衰え鳴り止む寸前のオルゴールのような、一区切りごとに反響が遠のくのを待つ屋外のスピーカー放送のような、もったりと間延びした、少々こもって低まった、ぼんやりとろけた声でした。


は…はあー…は、は、はあぁー…はあ、は、は…


くしゃみが出そうで出ないのか。笑い過ぎて息が乱れているのか。泣いて吃逆しゃっくりが止まらないのか。いずれにせよ意味はなさそうな、恐らく世代や性別や体格が当方に等しい人の声のように聞こえました。


再生を開始する時は、窓を切り替えてボタンを押してと動画毎に操作が生じますから、徒競走や試験のように揃って開始とはなりません。


たまたま選んだ5つの動画を無作為に再生したタイミングによって、一拍の空白が生じただけでなく、揃い踏みで再開し、こんな風に聞き取れる音の波形が作られるなんて、もう各動画の話よりも、この不思議な、発話者のいない音の方に関心が高じてしまい、夢中で聞き耳を立てました。


あまりに集中したせいで、凭れていた椅子から軽く身を乗り出し、閉じていた瞼をなお強く瞑って、心なし息を詰めて両手を軽く握っていました。


その手をそっと包まれた時の驚きときたら、外聞なく濁音の喚声を上げ、両腕をじたばたさせて椅子から転げ落ちました。


生温かく湿った成人の手の感触でした。


壁沿いのデスクにタブレットを置いて正面で椅子に座っていたんです。デスクに乗せていた両手を真向いから包める訳がありませんし、当時は家に独りでした。


もちろん目を瞑っていたので、身じろぎで生じた静電気とか、ごく弱い隙間風の揺らぎを誤解したのかもしれません。


けれど手の甲にしっとりと感じた当方と同じ歳の頃の肌の張りや、当方の手に沿って曲げられた指先の力の加減などが、その手を辿って腕から肩に至りこちらを覗き込む顔まで如実に思い描けてしまいそうな個人性を帯びており、すっかり意気を削がれました。


そこで動画を一旦とめて、キッチンでお茶でも飲もうと床から立ち上がりました。


瞬間、ぐるっと目が回り、両手を突く間も無く床へ倒れ、追って頭が猛烈に熱くすうすうしだしたので、これはまずいと戦慄しました。


気に入りの椅子のひじ掛けに側頭部を打っていました。中身が流れ出て皮膚を濡らし、気化熱で体温が放たれる涼しさが、こめかみを経て伏せた頬を過ぎ首から胸へとどんどん広がってゆきました。


脳をやった立ち眩みだったようで、体が動かせませんでした。


焦ってはあはあ息が上がり、取り敢えず大声で助けを呼ぼうと、思うように開かない口をぶるぶる開いて叫びました。


は…はあー…は、は、はあぁー…はあ、は、は…


あーーーこれ聞いた声だよと物凄い冷や汗を掻きました。


もしかしたら聞いた時すでに脳が異常を来たしていて、自分でも気付かない内に自分で発した声を聞いていたのかもしれません。


今まで生きてきた中で断トツに厭な体験です。今でもあの時ぶつけた頭がずきずきと痛みます。


そうそう起こり得ないでしょうが、現に当方の例があるので、記憶の片隅にでも留めていただければと思います。


複数動画の同時視聴、特に5窓は非推奨です。


記憶に留めていただいて、どなたかの助けになれば、当方も浮かばれると言うものです。



終.

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5窓非推奨 壱原 一 @Hajime1HARA

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