魔法雑貨商の配達人
望丸。
刹那主義的ご機嫌淑女
第1話
私には日記を書くという習慣はありません。
日々を刹那的に生き、
楽観的で
故に私の辞書に
足元の見えないランウェイを歩く時、私の心は常に踊り昂っているのです。時にはしゃがんでみたり、駆けてみたり、座り込んでみたり。そして不意に転ぶと起き上がり
だからなのでしょう。私は突然降って湧いた、我が短き人生初の壁に直面していました。よじ登ることもできなければ、回り込むこともできない。まさしく袋小路ともいうべき人生の岐路。悩み悶えて
事の発端は大学二回生の春、麗らかな日差しの下で見つけた、とあるアルバイトの募集チラシでした。
◇
その日は大学後期最終試験の帰り道でした。今期も無事乗り越えた私は、上機嫌に鼻歌などを垂れ流しながら、ルンルン気分で帰路についていました。その道中、風に乗って一枚のチラシが胸に飛び込んできたのです。
『そこのあなた、アンティークでお洒落な雑貨店で働いてみませんか?服装・髪型自由。給与・休日応相談。みんな笑顔のアットホームな職場です。誰でもお気軽にお越しください!』
そこには飾り気のない無骨なフォントで、そのようなことが書かれていました。チラシの隅には小さく地図が描かれており、「詳細はこちらまで!」とデフォルメされた可愛らしいマスコットが指差しをしています。鼻の低い狐かなにかでしょうか。頬に可愛らしい三本のひげを生やしたそれは、閲覧者足る私へ愛嬌を振りまいています。大変愛らしい。
常人ならば普通、このようなチラシを手にしても、ああなんだごみか、というような無体な思考と共にゴミ箱へぽいと放るのが常でありましょう。
しかし私は常人でも悪徳の信奉者でもありません。
その身は俗世にとっぷりと浸かった
故に私は風に晒され、いくらか皺くちゃになったチラシを綺麗に畳み、宝物を扱うがごとく鞄にしまいます。
実を言うと、私はこの時すでに、この地図に記されたお店に赴くことを決意していました。
恥ずかしながら私は、両親からの仕送りにおんぶにだっこの状態で、特に生活費その他に困ることはなく、更に言うならば社会勉強として少しでも働かねば、などという崇高な考えを持っていたわけでもありません。
しからば何故と問われると、答えはチラシに印刷された、あの可愛らしいマスコットでした。
ライオンにも似た容貌に、しかし更に可愛らしく丸みを帯びた輪郭は、凛々しくも愛らしくある双眸に藍色を湛えて私の心を射止めました。
いわゆる一目惚れでした。ずっきゅんでした。
俗世に
もとより気分が良かった私の機嫌は恋色を知ったことにより鰻登りでありました。テンションあげあげな鰻は川を上り滝を昇り、挙げ句の果てには鯉と一緒に龍に変化する勢いです。嗚呼、このまま有頂天に行っちゃったらどうしようかしら。
ルンルンらんらんな私は思わずお歌なんかを口ずさみつつ、軽快な足取りで帰路につきます。
明日は早速このお店を尋ねましょう。マスコットに惹かれたのは紛れもない事実ですが、労働というものにも些か興味があります。
アンティークでお洒落な雑貨店。なんともよろしい響きです。その空間に私がいるのは些か場違いな気もしますが、そんなものを気にしていては面白おかしく生きることなど、到底できようはずもありません。
己の心に従い、図々しくひたすら前進あるのみです。
口から零れる楽し気なリズムに従い、その場でくるりと回ってみます。なんとも楽しい気持ちになりました。
気付けば陽も沈み、町は澄み渡った紺色にとっぷりと浸かっていました。遥か上空には雲一つありません。
明日は快晴になるに違いありません。試しに私は思い切り足を振りかぶって、靴占いをしてみました。
その結果に満足した私は、もう一度くるりと回りました。
◇
呑んだくれ横丁を横切り、蓮見川に沿うようにして進むと、遥か彼方には
そしてその威光から隠れるように木陰に佇む木造りの扉。僅かな装飾に彩られたそれは、雨風に晒されているにも関わらず、なんとも綺麗な佇まいです。
建物でも何でもない空間に設置された、アヤシゲな扉のドアノブを引いて、私は臆することなくその中へと足を踏み入れました。
その先に広がるは当然、木々の密集する木立――ではなく、薄暗い照明のお洒落な雑貨屋さんでした。
目に飛び込んでくるのは天蓋付近で優雅に吊るされる豪奢なシャンデリア。内装は
壁に沿うように設置された棚の商品も、大仰な装飾が施されたカトラリー、
そして奥のカウンターにはこのお店の店主さん、すなわち私の雇用主がいつもの仏頂面で座っています。眉間に深い皺を刻んで、口元は常に漢数字の一を保ち続ける、イマドキ珍しい職人気質なお方です。
店主さんはこちらを一瞥することなく作業に没頭しているご様子です。
「店主さん、ただいま帰還致しました!
今更ですが、私の業務内容を説明しておきましょう。といっても、その内容はすこぶる簡単です。この店の商品を買い手の下へ届ける、有り体に言ってしまえば配達人です。
あの日、風にもまれたチラシを胸で受け止め、恋色を知った私は即座にバイトの面接に漕ぎ着けました。そして、店長さんとの楽しげなお話の末、見事アルバイトの称号を獲得することとなった次第であります。
ただし、驚くことなかれ。その実態は配達人なれど、ただの配達人じゃござりません。私の勤めるこの雑貨屋「ねこのいえ」は、いわゆる魔法雑貨を取り扱うお店なのです。
古今東西津々浦々、面白きことを求めて各地を練り歩いてきた私ですが、魔法が実在していたと知った時は大変驚きました。まさしく驚天動地の至りです。しかし、今にして思えば、齢二十の小娘がその程度で世間様を知った気になっていたことがお間違いなのです。純真を自称する私はその事実を受け入れ、粛々と業務を遂行するのみなのです。
今回の配達内容はごく簡単で、弊店でオーダーメイドした魔法の肥料を
柳城とは蓮見川に沿って遊歩道を南に二時間ほど下ると見えてくる、柳の森の中にぽつねんと佇む倭城のことです。
外堀の代わりに柳の放つ魔性で敵の侵略を防ごうという時の城主の思惑により生まれたこの奇々怪々なるお城は、今では地元の子供たちの肝試しスポットとして大変重宝されております。また、この血筋は余程柳のことがお好きなのでしょう。
その城主より4代目、すなわち現城主になる柳好氏は、とうとう天守閣を柳に明け渡し、その魔性を
天守閣の天井を突き抜けてさわさわと揺れる柳の迫力は圧巻の一言です。最早狂気の沙汰でありましょう。これではどちらが城主なのかわかったものではありません。
店主さんはこちらを一瞥するとこくりと頷き、次の依頼品を差し出します。
布で丁寧に包まれたそれは、金細工が施された見事な
私は魔法の煙管を斜めがけの配達鞄に大切に仕舞い、ぽんぽんと鞄の表面を優しく叩きます。
これは私が考案した魔法で、名をお届けの魔法といいます。これをすることにより、たとえ火の中水の中大きな
私が煙管を鞄にしまい込むのを見届けると、店主さんは用は済んだとばかりに作業に戻ってしまいました。
何か気の利いたお言葉でもいただけないかしら。そう思ったのも遥か昔。ここに勤めて一週間ほどで店主さんがシャイガイなのは把握しております。なので私はくるりと背中を向けた店主さんの大きな背中に微笑ましい笑みを浮かべるのみです。人は見かけによらないのです。
基本的に私が配達をするのは店主さん自ら手がけたオーダーメイドの品々です。
それらは小さな指輪から一抱えほどもある大きな壺と、まさしく雑貨商という名に恥じない品揃えで、そして全てに共通するのは、冠詞に『魔法の』が着くことでしょう。
魔法の筆、魔法の帽子、魔法の消しゴム、魔法の額縁。変わり種で言えば魔法の琵琶など。
それらを使えばたちまちに摩訶不思議な、それこそ魔法と言わざるを得ない事象が起きるのです。地を裂き、海を割り、天を穿つ――とまではいいませんが、人智を超えた現象がぽわりぽわりと現れるのです。
誠に残念ながら、いまだに私が魔法の使い手となったことはありませんが、確かに私の曇りなき眼はしかと見届けたのです。嗚呼、いつか私も「ビビデバビデブー」と声高々に唱えてみたいものです。
荷物を受け取った私は配達に出かけるべく早速扉へ向かいます。私は勤勉なのです。
私が入ってきたこの扉も魔法雑貨――というには些か大きすぎる気もしますが――で、その効果は行きたい場所にどこへでもすぐさま行くことができるという、大変な優れものなのです。
なんだか未来の香りがする道具ですが、実はそれほど便利なものではなかったりします。なぜなら、例えば私が今から海外に行こうと思っても、目的地たる海外のどこかにこの扉と繋がった扉がないとダメなのです。すなわち、予め現地に赴いて、対応した扉を置いてくる必要があるのです。
その効果を聞いてみると、『行きたい場所どこへでもすぐさま行くことができる』という触れ込みが嘘八百なのが分かりますが、全ては店主さんからの受け売りなので文句はそちらにお願いします。私も純心を弄ばれたのです。どおりでマチュピチュを思い描いて扉を開いても、ワイナ・ピチュの頂きが現れないわけです。
はてさて、お仕事を終えた私は休む間もなく次の仕事に向かいます。
配達先は呑んだくれ横丁に住まう萎び鯉というお方。萎びた鯉とは、絵面にしても言葉遊びにしてもあまり良い響きではありません。一体全体どのようなお方なのでしょう。
言葉とは裏腹に、私は非常にわくわくとした面持ちでドアノブを握ります。私は、この瞬間がたまらなく楽しくて、とても大好きなのでありました。
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