最近、小生意気な後輩と話すようになった。

桜井日高

第1話 先輩、遅い

 最近、よく話すようになった後輩がいる。


先輩せんぱい、遅い」


 昼休み。弁当片手に訪れた旧校舎の非常階段の上で、小さく頬を膨らませながら彼女は言った。


 彼女の名前は、一色ひとしき緋鞠ひまり


 ウェーブがかかった白茶色に染まるセミロング。

 きめ細やかな肌に、端正な顔立ち。睫毛が長く、ナチュラルギャルメイクと着崩した制服姿が印象的な美少女。

 細身で華奢な体躯ながら胸は大きい。


 高校入学当初から瞬く間に学年問わず「かわいい」と話題に上がった女子生徒である。


「むっ、わたしを見る先輩の視線がいやらしい。……なんですか、昼間っからかわいい後輩に欲情しちゃいましたか? ……この変態」


 ジロリ。両腕で胸元を隠しながら、こちらを睨む一色ひとしき


 一歩身を引き口を捲し立てる後輩に、俺は小さなため息をく。


「妄想乙」


 はんっ。鼻で笑いつつ、俺は彼女に対して言葉を返した。


 ――俺、大神おおがみ高等学校2年生五十嵐いがらし雄助ゆうすけが一色緋鞠と話すようになったきっかけは、遡ること四月中旬。


 昼休み、生徒があまり寄りつかない穴場である旧校舎の非常階段へと辿り着いた視線の先に一色の姿があった。


「ちっ。……消しゴム一つ拾ったくらいで告白とか……まじでうざ――――あっ」


 なんて、後輩の愚痴を耳にしてしまった俺は、不意に彼女と目が合ったことが最初である。


 ……引き返すか。


 逃げるように踵を返す俺の肩を一色はがっつりと掴んだ。


 にこっと笑みを浮かべる一色の目は笑っていない。


 ……ひっ。逃さないと彼女の目は言っていた。


「少し、わたしとお話しません?」

「しません」


 ぶんぶんかぶりを振る俺の言葉を軽く無視して、笑みを絶やすことなく、まあまあ――と連呼する一色に腕を引かれた。


 この日を機に俺は彼女の愚痴を聞く羽目になった。


 ――それは今日こんにちも続いている。


「ちょっと先輩、わたしの話ちゃんと聞いてます?」

「勿論。聞き流してる」


 言って、ぱくり。白米を一口食べる。


 隣に腰掛ける後輩が不服そうに、俺の肩に向けてポコスカ叩く。


 ……ええい、鬱陶しい邪魔くさいかわいい。


「隙あり」


 他人ひとの弁当から甘い卵焼きを強奪する後輩。


 卵焼きを頬張りながら、一色は美味しい――と言って破顔する。


「わたし、先輩の弁当の中で一番卵焼きが好きです♡」


 知らん。返せ俺の貴重なタンパク質。


「先輩の弁当っていつも誰が作ってるんですか?」

「……従姉妹いとこ

「妄想乙」


 笑みを絶やすことなく一色は言った。

 いや、妄想じゃないんだが……。


 ――放課後。


 昇降口にてローファーに履き替える。


 うっ。背中に衝撃が走った。

 なんじゃい!


「……遅い」


 あら、不機嫌。不貞腐れた表情と共に言う彼女の名前は、五十嵐いがらし彩花さいか


 青みがかった黒髪ショート。顔立ち容姿共に端麗な美少女。


 ――小学生の頃から同じ屋根の下で暮らす、歳が一つ離れた従姉妹である。


 あの生意気な後輩は清々しい笑顔で、妄想乙――なんて吐き捨てたけども。


 俺は彩花さいかと共にすたすた昇降口を後にした。


「昼休み、雄助ゆうすけのクラスに行ったけど、雄助は居なかった」


 どうやら彩花は昼休み、わざわざ2年C組の教室まで足を運んだらしい。スマホでメッセージを送ってくれたら、すぐにでも返信したのに。


「クラスの男子に雄助が何処に行ったか聞いたら、五十嵐……誰? って返されたんだけど?」

「……嘘だろおい」


 待て待て待って? クラス替えがあった始業式に2年C組のクラスメイト全員、出席番号順に軽く自己紹介したよね。


「で、結局昼休みは何処どこに居たの?」


 ジト目を向けつつ問うた彩花の言葉に、苦笑気味に口を開いた。


「えっと、旧校舎の方に行きました」

「何で?」

「いつも旧校舎の方で弁当を食べてるから」

「一人?」

「いや、最近は後輩と一緒に弁当食べてる」

「……ふーん」

「ひょっとして、昼休み俺に何か用があった?」

「……別に」

「いや、でも、用がなかったら1年の彩花がわざわざ2年の教室に来るなんて――」

「――べ・つ・に!」


 ギロリ。眉間に皺を寄せて、重ね遮るような形で彩花は声を張り上げた。一歩二歩前と踵を上げて突き進む彩花。


 これ以上は何も言うなってことね……。


 従姉妹の後ろ姿を見ながら、俺は心の中でそんなことを思った。


 ふと、ぴたり立ち止まり、振り向き交じりに彩花は言う。


「雄助」

「呼んだ?」

「呼んだ」


 彩花はじっと此方を見据えて口を開いた。


「夕食の買い出しに行くよ」

「へーい」

「ほら、さっさと歩く」


 俺は従姉妹に腕を引かれながら、最寄りのスーパーへと足を進めた。別に腕を引っ張る必要はなくない?


          ◇


 エコバッグに詰まった食料品を掲げて、俺達は帰路へと辿り着いた。


 彩花さいかが自宅の鍵を差し込んで、がちゃっと玄関扉を開ける。


 冷蔵庫に食料品を詰めた後。俺は一度、自室へきびすを返した。


 ブレザーをハンガーに掛けて部屋着に着替える。


 リビングへと顔を出す。エプロン姿の彩花が鼻唄交じりに台所へ立ち夕食作りの準備をしていた。


 さてさて、それじゃあやりますか。


 俺自身も腰にエプロンを巻いて、彼女の隣に並び立つ。


「今日の夕食のメニューは?」

「カレー。先に洗い物を済ませるから手伝って。あと鞄に入った弁当箱も出して」

「了解」


 言って、空の弁当箱を彩花に手渡す。空の弁当箱を見た彼女は、くすりっ――満足気な笑みを浮かべた。

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