夜を泳ぐ魚

宵待昴

第1話 夜を泳ぐ魚


満月の月明かりが、明るい晩です。

広い野原を通る道を一人歩いていた旅人のジョルージカは、ふと夜空を見上げました。

「おや……」

空には、透明な鱗に夜を透かした夜泳魚やえいぎょの群れがいました。夜を泳ぐ、細く長い魚です。風に靡くカーテンのような鰭を軽やかに揺らしながら、泳いでいます。彼らはとても気持ち良さそうで、見ていたジョルージカは羨ましそうに目を細めました。

「夜泳魚ですな」

向こうの方から声がして、ジョルージカが目を向けると、屋台が出ていました。明かりに照らされた看板には、『星屋』とだけ黒い字で書いてあります。ジョルージカが近付くと、屋台にいた男が嬉しそうに笑いました。この屋台の店主のようです。

「旅の人のようだけど。夜泳魚を見たことはあるかい?」

店主の言葉に、ジョルージカはゆっくりと首を横に振りました。

「いいえ。先ほどの町で、夜に会えると教えてもらいました。ですが、実際に見たのは今が初めてなのです。夜を泳ぐ魚とは、美しいものですね」

ジョルージカがもう一度空を見上げると、店主も見上げました。今は月明かりを染み込ませた、無数の鱗と月色の目。それらはキラキラと煌めき、ジョルージカはこれまで見たどんな生き物のそれよりも、美しいと思いました。

「夜泳魚は、満月から生まれるという話があってな」

店主はゆっくりと話し始めました。ジョルージカは魚たちから店主へと、目線を下ろします。店主は屋台の台の上へ、ガラスの箱を二つ出して置きました。一つには月色に輝く、丸い小さな石のアクセサリーが入っています。首飾り、耳飾り、腕輪に指輪。月色の石は、一つとして同じ形・色味の物はありません。二つ目の箱には、薄く、水を切り出したように透明な飾りが、何枚も使われた首飾りと耳飾り、髪飾りが入っていました。店主は話を続けます。

「満月から生まれた夜泳魚は、新月の晩には死んじまうんだ」

「満月から生まれる」

ジョルージカはやっぱりまた、夜泳魚を見上げます。夜色の魚たちは楽しそうに穏やかに、静かなこの夜を泳いでいました。

「では、この魚たちは今宵生まれたばかりなのですね」

店主は優しい目を細めて、頷きました。

「そうだね。生まれて初めての夜だ。楽しくて仕方ないだろうな」

ジョルージカは、ガラスの箱を見ました。

「この月色の石と、透明の飾りは、」

店主は一つ頷きます。そのまま、月色の石の指輪と、透明な飾りが幾枚も連なる首飾りを出しました。

「月色の石は、夜泳魚の目。この透明のは鱗だよ。触れてごらん」

店主に促され、ジョルージカはそっと石と鱗に手を触れます。石は硬く、鱗は薄く、ジョルージカの指先に当たりました。柔らかく光る石も鱗も、ほんのり暖かいように感じます。

「夜泳魚の目は、石のように硬いのですか?」

「生きている間は、濡れたような柔らかさがあるが、死んだ後は鉱物のように硬くなるのさ。満月の晩に月の光を当てると、生きていた頃のように優しく輝く」

夜泳魚の目と鱗だったものたち。ジョルージカはしばらくの間、じっとそれらを見つめていました。店主は黙って見守っていましたが、そっと口を開きます。

「これは俺が作った。夜泳魚の目と鱗は、夜道を歩く時のお守りにもなるんだ。最後は消えてなくなるが、俺は、夜か月に還ったと思っているよ。ーーまだ夜を泳ぎ足りないんじゃないかと思って、ついつい、手を加えちまう。還る時まで放っておけば良いものを」

店主は少し俯いて、痛みを堪えるように辛そうな笑い声を出しました。ジョルージカはそれを見て、首を横に振ります。

「僕は今夜初めて夜泳魚に出会いましたが、きっと、嬉しいと思いますよ。生まれたばかりの彼らだって、ほら」

ジョルージカが夜空を指差します。店主もつられて見上げました。月明かりを煌々と吸い込んだ夜泳魚たちが、すいすいと夜を泳いでいます。揺れる尾鰭は嬉しそうに見えました。

「あんなに楽しそうでしょう?目と鱗だけになっても、誰かを守りながらきっと夜を泳ぐのでしょうね。貴方は何も、悪いことはしていないと思いますよ」

店主は目を丸くして、ジョルージカを見ました。そして、小さく、ふふっと笑うと、指輪と首飾りをジョルージカに差し出しました。

「持って行って欲しい。俺は長いこと悩んでいたが、少しばかり気分が楽になったよ。ありがとう」

「そんな。心を込めて作られたもの、貰うわけにはいきません」

「またいつかここへ寄ってくれ。その時また一緒に、夜泳魚を見よう。これでどうだい?」

ジョルージカは困った顔をしましたが、ゆっくりと指輪と首飾りを受け取りました。指輪を嵌めると、月色の石は暖かく光ります。首飾りの鱗はジョルージカの胸元で、しゃらりと鳴りました。


手を振る店主と別れ、ジョルージカはまた歩き始めました。見上げた夜空には、夜泳魚たちがゆったりと泳いでいます。まるで、ジョルージカを見守っているようでした。月色の石を満月へ翳すと、ほんのり明るくなりました。

「今夜はちっとも、寂しくも怖くもないよ。ありがとう」

ジョルージカは、夜泳魚たちを見上げてにっこり笑うと、野原の道を元気良く歩いて行きます。
















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