はぐれ人外
みずくらげ
第1話
りりんと鈴が鳴る。
妖力の放出を抑え、ぴゅっと耳としっぽをしまう。
狐の耳としっぽが9本も生えた人間のようなものをみたら逃げ帰られてしまうかもしれない。
大声を上げられるかもしれない。
それはただただ私が悲しい。
鈴、というかベルというのが正しいといつかに教えてもらった。
たしかに知っている鈴の形とは違う形状をしたものが扉を開けた時に音を鳴らすが、逐一言い直すような性格をしているわけでもない。
懲りずに鈴と呼ぶ。
最近ついに一緒に住む座敷わらしに呆れた顔をされたので、鐘と呼ぶようにしていこうかと考えている。
鐘が鳴る時、いつも人は迷っている。
自覚があってもなくても人は迷っている。
迷うことは珍しいことでは無い。
悩むことは悪いことでは無い。
ただ、抜け道や休める木陰もないわけではない。
そのことを忘れてしまうのか悩んだり迷うのが好きなのかわからないが、人は度々抜け道を進むでも茨の道を進むでも、元の道を戻るでもなく、その場に立ちすくむ。
そうすると『まじない屋』が現れる。
その扉を開き鐘を鳴らすかは人によるが、鐘の音を追って入ってくる人は決まって迷っている。
「いらっしゃい」
「え、えっと……あの、ここは」
「まじない屋だ」
「まじない屋……」
ぐるりと店の中を見回すのは女性。
肩より少し下まであるスっと伸びた黒髪がふわりと揺れる。
「まぁ1度座れば良い。お茶でも飲むか?」
戸惑う女性の近くに寄り椅子に座るように促す。
己が下駄を履いていることも含め身長が高いのもあるが、女性に少し見上げられる風になり幾分か幼く見える。
「あの、すみません。私帰るところで。入るつもりとかなくて」
「あぁ、そうか。でも、扉を開けたな」
「はい……なんか、勝手に……」
無意識の客か。
経験上、悩みや迷いの自覚がある客より扱いやすい。
緑茶をいれながら戸惑っている女性の気配を感じる。
「あの、ここって」
「まじない屋だと言わなかったか?言ったつもりになっておったのかな」
「いや、聞きました。聞きましたけどまじない屋ってなんですか?あなたは誰?」
ここはどこだ。と聞かれるとまじない屋だと答える他ない。
あなたは誰だ。と聞かれると鈴に火偏に登るの燈と書いて鈴燈だ。と答える他ない。
ただ、それを問う人間はそんな答えは求めていない。
こちらもそんなことは分かっていながら本当のことを話そうとすると、暇つぶしに私の妖力で作った店だとか、元々神をやっていた九尾で、そのまた元はただの狐だったのだけれど、なんて必要のない興味もないであろう身内話をすることになってしまう。
毎度聞かれる度うーんと唸って適当にはぐらかすのだけ上手くなっていく。
座敷わらしには上手くもないしそろそろ形だけでも答えを用意した方がいいと言われているが、最初に比べれば幾分か上手くなったと思う。
建前上の答えは考えるのを忘れては客が来る度に思い出すというのを繰り返している。
自分でもつくづく懲りない性格をしているなと思う。
「どうしても気になるか?」
「どうしても……まぁどうしてもではないかも」
「なら私は答えない。答えたってどうしようもないことだから」
「そう、ですか」
自分も椅子に座り、緑茶の入った湯呑みを女性と私の前に1つずつ置く。
「食べ物が無くて悪いのう。最近は客が来なくて用意するのを怠っていた」
「いえ、お構いなく」
「金平糖は好きか?」
「好きか嫌いかで言われると好きです」
「干菓子は?」
1度きょとんとした女性から読心術を使えるわけでもないのに、干菓子ってなんだろう。という声が聞こえてくるようだ。
表情のコロコロ変わる人間だ。
「悪い。現代の言葉があまり分かってなくてのう。それと流行りも」
「あぁ。そうなんですね」
女性も私も一口分ずつ胃に緑茶が落ちたところで私は、店の中にある水晶たちをぐるりと見回す。
かごに入っているビー玉ほどの大きさの水晶の内ひとつ。
その水晶の周りの空気が普段とは違うふうに微かに揺らめき確かに波打っていた。
その水晶を手に取ろうと席を立つと、無言で急に席を立ったことに驚いた女性が私の後を追おうとするのを謝罪ともに止める。
手に取った水晶は手のひらでころりと1度転がり、纏う空気も蠢く。
「道に迷っておるのか」
「いえ、帰り道なので」
「人生に、迷いがあるのか」
見開かれた目も手に乗る水晶のように丸い。
「いや、えっと」
「何も隠すことはない。誰にも知られないで欲しいのなら私とそなたの秘密にしてもいい。」
「迷ってないです。もう迷い終わりました」
押し殺すように封じ込めるように女性はぎゅっと手を握る。
「ほう、漫画家にならなかったことに納得したのか」
「なんで……」
この子が教えてくれた。と女性の手首をつかみ水晶を握らせる。
「納得なんてしてないです」
「そうか」
考えてみれば今までの人生で納得してやったことなんてそんなに多くないと思います。
いつも母や父の言いなりで自分の頭を使って考えるなんて経験もさほどないです。
今思えばそれって善悪の区別さえついてるとは言えないんじゃないかと思いますけど。
漫画家っていう夢は誰にも言わなかったけど小さな頃から持っていた夢で、それを大人になってから初めて両親に伝えました。
案の定反対されて、私も強く言えなくて、それでそのまま安定した大して入りたくもない企業に就職しました。
決断したり選択したり、そういうことは全て両親がやってきたので所謂指示待ち人間が出来上がっていてまだそれほど勤めてもいないのに、合わないな。辞めたいな。と感じています。
でも、それさえも決断できなくて両親に決断してもらいたい気持ちにさえなります。
辞めたいってこと、話してもないんですけどね。
「よし、ここで決めてしまおうか」
「え?」
「私は漫画家のなり方は分からぬ。安定した企業というのも、なんちゃら人間とかいうのも分からぬ。私はそなたのように人の言う通りに生きた覚えもない。」
「そうですか」
「だからここで決めてしまおう」
あからさまに、何を言っているのだろうという顔をされる。
知らない店に入って現代とは言葉遣いの違う奴に茶を出され自身のことを聞き出され、逆によくここまでその顔をしなかったな。
「他人の人生を生きるか、自分の人生を生きるか」
「そういう言い方をされると……」
「気に障ったか?」
いや、そうじゃなくて……と手に乗った水晶をキュッと握る。
「そういう言い方をされると、自分の人生を生きますって言った方がいいのかなって」
「なぜじゃ?他人の人生を生きるのも悪いことではないだろう。それで幸せならそれで良い」
私は。そう言いかける唇が細かく震える。
座った女性の前に仁王立ちしたままだということに気が付き、もう一度椅子に座り冷めた緑茶を啜る。
「私は、私の人生を、生きたいです」
「私がさっきあんな言い方をしたからか?」
「いえ。心からです」
そう発した声は細かに震えていた。
それに呼応するようにビター玉サイズの水晶を握りしめた手も、プルプルと震える。
ただ、心細さに震える身体と声とは逆に薄く膜の張られた瞳は私を、未来の光を、睨んでいるのかと誤解するほどに強く見つめている。
「そうか。今そなたが握っている水晶はそなたの味方になってくれるものじゃ。その水晶いるか?それとも私に返すか?」
「おいくらですか?」
「お代は取らない。なぜならここはまじない屋だからじゃ。」
まじないという言葉も少し違っていて、正確には私の加護だ。
その水晶には人と一緒にご飯を食べるといつもより美味しく感じる、くらいの、気の持ちようと言われてしまえばなにも言い返せないほどの効力のまじないしかかかっていない。
他人の人生を動かすことなんてできやしない。
でも、それでもいいと思う。
それで、それがいいと、そうじゃなくてはいけないと思う。
どのような人物でも他人の人生や感情に無闇に干渉してはいけないと思ってる。
選択するのは、すべきなのはいつだってその人だ。
「だから、何の役にも立たないかもしれない。漫画を書く時の道具がちょっと長持ちするだけかもしれない。それでも、もしよければ貰ってくれないか?」
「頂きます。ありがとうございます。本当に、大切にします」
「そう言ってくれて嬉しい。大事にしてやってほしい」
小さいから無くさないようにな。と女性の頭を軽くなでる。
これから雨でも降るのか、髪の毛が水分を多めに含んでいる気がした。
「ありがとうございました」
「あぁ。上手くいくといいな」
「はい」
力強く返事をした女人は、あっと短く声を上げた。
「お名前をお伺いしても?」
「知りたいか?」
「よければ。またお会いしたいです」
「鈴燈という名だ。1度出会えたんだ。もう二度と会えないなんてことないんじゃないか」
「そうですね。そうだといいな」
りんどう、りんどうと何度か女性は私の名前を数回呟いてから決心したように、扉のドアノブを掴む。
「ではありがとうございました」
「またどこかで」
女人が私の言葉を繰り返そうとしたであろうところでりりんと鈴、いや、鐘がなる。
女人はもう扉の内側には居なかった。
✿❀✿❀✿❀
重量のある急須の手入れをしていた。
かといって毎日使っているので気合を入れて洗うほどでも無い。
そもそも洗剤などを使うとお茶に匂いなどが移ってしまいかねないので基本水洗いだ。
客が来ればいつでも出せるようにとこの店にいる時はいつなんどきでも緑茶を用意しているが、客が来ない日が多いので気がついたら丸々急須一杯私が飲んでいる。
この店には台所なんて本当は無くても良い。
だが、お茶を用意するようになってコンロだけ妖力で生み出した。
でも堕天使やら悪魔やらがいる家から急須と湯呑み2つを毎度持っていったり、店から持って帰ったりするのは骨が折れるなと思った。
そういうわけでいつも私が座る椅子の後ろ。
すだれのように水晶が鈴なりに吊られているその奥、コンロの横にボンッと妖力で流し台を作った。
これだけでだいぶ楽になった。
お茶を淹れる腕前も上がっている、気がする。
この店に来た人間の中には話に夢中になってせっかく出したお茶を一口も飲んでくれないこともあって、それは少し寂しい。
りりん
鐘がなる。
妖力を抑える。
扉の方向を見るとスーツの人が立っていた。
それ以上のことは分からなかった。
傘をさして居たからだ。
「雨が降っているのか?」
え、と漏れた声は低く、男性のものであると推測することができた。
「あ、はい、小雨ぐらいですけど」
「そうか。土砂降りじゃなくてよかったのう。そろそろ傘は閉じてもいいんじゃないか?」
あっと慌てたように傘を閉じる男性は生まれて50年くらいだろうか。そうこの前来てくれた女性を基準に考える。
そんなことを椅子に座ったまま薄ぼんやりと考えていた。
いつもなら台所に向かって急須で湯呑みにお茶を入れているところだ。
だが、今日は違った。
そんなことしている場合じゃない。という気持ちに襲われた。
不安とも焦燥感とも恐怖とも言い難い、でも決して気分のいいものではない感情がぶわりと心に注がれる。
私の心の器が湯呑みでなくてよかった。
湯呑みであったならとっくに溢れ出ている。
私は水晶たちをぐるりと見回す。
普段と違う水晶。
普段と違う子はどれだ。
すぐにはわからなくて景色の上で目が滑りただ周りを眺めるだけになってしまう。
「あの、大丈夫ですか?」
そう言って私に向かって男性が踏み出した途端、ある1つの私が向かっている机の上の水晶の雰囲気、水晶にかけられた私の微量のまじない、妖力、加護が竜巻のように強力に渦巻く。
私はその親指と人差し指で丸を作ったくらいの大きさの水晶を手の中に収めた。
もちろん加護が水晶から竜巻のように立ち上っているのは男性には見えていないし、それを手で包んだところで痛くも痒くもない。
だが、私の心は不安定に揺れている。
男性は道に迷っている。
「いらっしゃい。お茶でも飲むか?」
水晶を包んだ両手を震わせながら男性に問う。
男性は首肯する。
この店に来る客にしては珍しく男性は落ち着いていたし、私は柄にもなく緊張していた。
「ここは何屋さんなんでしょう」
務めて穏やかに尋ねてくる男性にいつものように返答するのを躊躇った。
「悩みはあるか?」
「相談室かなにかなんですか?それとも占い屋?」
「迷いは、あるか?」
男性は話が上手く通じない子供の相手をするかのように困ったように眉を下げる。
「もしかして、全てお見通しなのでしょうか」
「いや、そんなことはない。だが、想像はつく」
「それはすごい」
まだ出会って数分だが既に男性から発せられている殺気にあてられて息が上がる。
この店自体が妖力で出来ているからなのか店内は妖や魔族などの妖力、魔力、人間から放出される空気、言わば”気”が誇張されてしまう。
それでなくとも九尾の頃から神社にいて過保護に護られ、他の妖の気も特定の少ない妖のものであったし、人間の気にもあてられたことも少ない。
そのため私は”気”というものに特別敏感である。
あてられる気がその人や妖、魔族が生まれ持って纏っている生まれてから死ぬまで変わらないものや前向きな感情であればまだ良い。
それが後ろ向きな感情であったなら私は強く強く影響を受けてしまう。
穏やかな物腰の目の前の男性から発せられた殺気の圧迫感で苦しい。
快適な温度の保たれた店内で首筋が汗で濡れる。
お茶を飲む提案をしておいて水晶を手で包んだまま動くことができない。
「なにをする気じゃ」
「もしかしてなにか勘違いをしていらっしゃるのでは?あなたにはなにも」
「わかっている。誰を、殺める気じゃ。どうして」
息苦しさでギュッと一瞬くらいで目を瞑ってしまって唾液を強く飲み込みたいが、汗ばむ身体に震える唇、細く揺れる呼吸では上手くそれが叶わない。
頭の片隅で冷静な私がまじない屋を開いた日から今日までをざっと思い返す。
だが、この瞬間のようなことは1度たりともなかったように思う。
昔のことをよく覚えている性質を持っていないので自信はない。
長寿ゆえだろうか。
友人の悪魔やキューピット、死神、座敷わらしは昔のことをするすると思い出すのだが。
堕天使は天使時代のことは堕天した時に軽く消去されたようだし、吸血鬼はそもそも過去をあまり振り返らない性分だ。
この歳で、数えることさえやめたこの歳で、初めてのことがあるとは。
無意識にこういう状況の人間を弾いていたのかと自分を疑い始めそうにすらなる。
迷いには誰にでも平等にまじないを。
それを自分との約束にしていたのだけれど。
「……自分の人生を棒に振ってでも、めちゃくちゃな終わりを投げつけてしまいたいような相手はいませんか?」
「あまり、他人と関わる生き方をしてこなかった」
「そうですか。では、そういう相手がいる人がいることを覚えていた方がいいかもしれませんね。これからまたそういう人が相談に来るかもしれない」
他人と関わらない生き方をしてきたことを必要以上に悔やんだことはないが、必要な分も悔やめていなかったのかもしれない。
神をしていた頃、人の不幸を願われた時どうしていただろうか。
そもそもそんなこと願われたことあっただろうか。
人間に話されることは商売についてがほとんどだったし、潰れるほど小さな神社であったし。
「それにしても色々ありますね。全て水晶ですか?」
「そうじゃ。必ず味方になってくれる水晶1つがある」
「それが今あなたの手の中にあるものということですね」
私は今から平等について考える必要があるかもしれない。
この水晶を男性に渡すべきか。
前に死神が寛容のなんたらとかいう話をしてくれたのを思いだした。
寛容な社会を維持するためには、寛容な社会は不寛容に不寛容であらねばならない。
平等なまじない屋を維持するためには、不平等な人には不平等な対応をしなくてはならないのだろうか。
そもそも不平等な人とはどういう人だろう。
この人は不平等な人だろうか。
人の命を奪うというのは不平等なんて言葉で収まる行為だろうか。
でもこの人も人生を投げ打ってもいいと思ってしまうようなことを植え付けられていて。
難しくて頭痛がする。
でも難しいからと投げ出してしまっては絶対にいけないと思った。
「ここの水晶には気の持ちようと言われても致し方ないほどの効力のまじないしかかかっていない。他人の行動を変えるなんて、 人生を動かすことなんてできやしない。」
「ほう」
「まじないというのはのろいとも言える。これをそなたに渡した方がいいのか、私は迷っている。」
「そのまじないがどう影響してどう転ぶかわからないから」
あぁ、そうだ。と発した声はほぼため息のようになってしまった。
「その水晶、ください」
水晶を包んだままの手を男性に無理やりこじ開けられ水晶をそっと優しく取られる。
机の上に円を書いていた視線がぴょこりと男性の顔に移る。
狐の耳を出したままであったなら同じようにぴょこりと反応しただろう。
「これにかかっているまじないとやらがどのような効果をもたらしても効果を発揮しなくても、そのことで何が起きても起こらなくても、あなたはひとつも悪くない。なぜならこの水晶はあなたが渡したのではなく、あなたからこちらが奪ったものだから」
「それでいいのか」
「被害者はあなただ。元の持ち主のあなたが水晶を渡すと決める前に奪い取られたのだから」
自分が信じる優しさを貫くことってなぜこんなに難しいのでしょうね。
そう上から落とすように呟いた男性の手のひらの水晶がまとった今でも竜巻のように力強く渦巻いているまじないが、ふと柔らかく不安定に揺れた。
「では、このあたりで失礼します」
男性は水晶を服にしまいながら扉に向かう。
店の中で閉じられた傘は扉と横に立てかけられており床には水たまりができている。
「ありがとうございました。そして多分、すぐこの子にお世話になることでしょう」
水晶を入れた部分を服の上から撫でながら感謝を述べられる。
最後に会釈をして背を向けた男性に椅子から立つこともできぬまま扉の鐘と口を揃えて、またどこかで。と掠れた声で言う以外なにもできなかった。
✿❀✿❀✿❀
久しぶりにまじない屋を休んでいた。
開いていても休んでいても誰も来なかったり、1人来るくらいが1日あたりに訪れる平均した客の数の相場で、2人目の客が来た日には、今日はよく働いたな。と達成感を含んだ息を吐くだろう。
まじない屋を開いていて客が訪れて水晶を私から受け取ってくれたとしてもよっぽど迫られないと金銭は受け取らない。
金銭が必要な生活をしているかと言われた時大きく首を縦に振れるような生活の仕方はしていないからだ。
たまに飴玉なんかを握らされることはあるが。
よく対価もなくそんな店をしていられるな。と悪魔に言われたことがある。
悪魔と契約を結ぶ人間は悪魔の囁きに惑わされたとて結局のところ自身の意思で契約を結び、自分の意思で対価を払う。
なので悪魔にとっては、店の”気”と波長の合い、迷いのある人間が意識的、または無意識のうちに扉を開けて水晶をあげて基本的にお礼は受け取らない。というやり方をとるまじない屋が不思議なのだろう。
そんな悪魔も義理堅い側面をもちながらも干渉しない質なので最後に締める言葉は、好きにしたらいいけど。だった。
なので好きに休ませてもらった。
今日はいつものように妖力を軽く抑えた程度で歩くわけにはいかなかった。
腕の中に猫を抱えているのだから。
いつものように歩いたなら冷たく固くだが安らかに丸くなっている猫が宙に浮いて進んでいることになってしまう。
この猫との出会いは昨日だ。
扉の外、下の方から何かしらの塊がぶつかる音がした。
とはいえその塊は小さいのか扉がコトっと揺れた程度だ。
持っていた湯呑みを机に置き、扉に向かう。
きっといつもなら石でも飛んできたのだろうか。と放置していたし、気が付きすらしなかったかもしれない。
なのに気がつくことが出来たのは何故かここ数日聴覚や”気”への感覚がいつもより鋭くなっているからだ。
軋む扉を開けると猫が扉に寄っかかっていた。
白く綺麗な毛並みに、蜂蜜の飴のような瞳。
そっと少しずつ扉を開けると子猫は少しずつへなりと地面に横たわっていく。
ゆっくりと扉を全開にしたところで、怖がらせないよう刺激にならないよう、私は猫を抱き上げまじない屋の中に入れた。
すると途端に棚の上の水晶をいえた籠のうち一つの水晶がカラリと動いた。
猫は生まれたてのような子猫には見えない。
が、余命いくばくかの老猫のようにも見えない。
自立し一般的には健康的であろう年齢。
音の立てた水晶を手に取る。
暖かく甘いようなまじないがゆったりと揺らめいている。
猫を座布団の上に乗せてやり手ぬぐいをかけてやった。
後はなにをあげればいいか分からず小皿に少し水を汲み猫の顔の近くに置いてみる。
するとチロチロと少しだけ猫が水を口にした。
「死ぬことを主に秘密にするかどうか迷っていたんじゃな」
みー、と細い掠れた声が返ってくる。
「どっちにしろ悲しませてしまうもんなぁ?」
みゃ、と小さく鳴く体を抱き寄せる。
雨が降る前の湿気で毛はぶわりと膨張している。
水晶を手のひらに乗せて猫の目の前に出す。
猫は遠慮がちに水晶をペロリと舐めた。
「この水晶はそなたの味方になってくれる。隠れて死ぬ時も主の膝の上で死ぬ時も。お主の好きにしていいんじゃよ」
頭をゆっくり撫でると猫はゴロゴロと喉を鳴らす。
ゆっくりと身体を少し起こし私の腕にすりっと頭を寄せてくる。
その頭をまた撫でると猫は水晶を咥えもう一度横になり丸まった。
この猫を抱き上げ両手が使えなくなっていたものだから閉められなかった全開の扉を閉めに猫の側を離れる。
たった数歩歩いて扉を閉め、たった数歩歩いて猫のもとに戻った頃にはもう、温もりを失い始めていた。
完全に意識も無く脈も弱い。
猫の咥えた水晶は猫が穏やかに生を終えられるよう尽力し、猫と一緒に命を絶やした。
私にとっては分かっていたことで、ここから生き返ったほうが驚いただろうが、なんとなく、ただなんとなく猫を前に呆然としてしまった。
動物が息絶える瞬間など狐だった時代に幾度となく見てきたはずなのに、その時代が遠の昔だからだろうか、なんとなく信じられない気持ちになってしまった。
そんな放り出されたような気持ちで、私は丸まったままになった猫の傍で一晩を明かした。
いつの間にか寝てしまっていて、起きた時には放り出せれたままどこかに着地した気分になって、慣れない洋服に身を包んだ。
私が猫を抱えると猫にあげた水晶が虚しい音を立て床に落ちた。それを拾い上げ店を閉めた。
墓をつくろうと思ったのだ。
墓地や葬式などは大抵残された人のためのものだ。
この猫が残していったのは飼い主のことだが、その飼い主を探し出して命の潰えた猫を帰すのは飼い主にとって酷だと、ぼんやりした性格の私でも流石に理解している。
だから、図々しいが、私が飼い主の気持ちも背負って弔おうと思った。
ぽたり
冷たい1粒。
腕の中の猫の頬を濡らす。
それがあまりにも泣いているように見えて、心臓が大きく脈打つ。
急に降り出し強くなっていく雨に私たちは濡れていく。
妖力を抑えていない時に降る雨には判断が間違っていたと思うものだが、今回ばかりは猫だけが濡れることにならなくて良かった。
「そんなところで立ってどうされたの?」
急にかけられた声に驚き、顔を上げるとそこには1人の女性。
年齢は人間の寿命の折り返しの前後ぐらいだろうか。
「風邪引いちゃうわよ。……あら」
傘を開き靴もまともに履けていない状態で駆け寄ってくる。
私の抱く猫に気がついたようで目を丸くした。
「その子……みるくちゃんじゃない?」
「え?」
「ほら、中村さんちの」
「いや、誰の猫かは知らぬが……そうなのか?」
女性は一瞬不思議そうな顔をした後、合点がいったと言うようにあぁと呟きとにかく入りなさいと女性が出てきた家に連れられる。
扉に掛けられた看板がひっくり返されるとそこには傘と雨のかわいらしい絵に4文字の英語。
ふわふわの浴巾を渡された時、猫は私の腕から女性の腕へとごく自然に渡されていった。
「ほら、お座りになって。」
言われるがまま椅子に座る。
まじない屋として初対面の人間と会話をするならまだしも、鈴燈として初対面の人間と会話をするのはどうも居心地がわるい。
「みるくちゃんとは……あ、知らなかったのよね。このねこちゃんのこと」
「あぁ、そうだ」
「この子は中村さんって方のおうちのねこちゃんで、数日前にいなくなっちゃってね。中村さん本当に心配そうで色々な人に見つけたら教えて欲しいって言っていたの。だからあなたも中村さんにそう言われた1人で、みるくちゃんのことを知ってるのかと思っちゃって」
「そうだったのか。とても綺麗な猫だから野良猫では無いだろうとは思ってはいたが」
女性は私に優しく微笑んだあとそのままみるくにも微笑みを向ける。
「そう。中村さんはみるくちゃんのことをとても愛していたわ。中村さんのおうちにはみるくちゃんの兄弟があと2匹いるんだけれど、その子たちのこともね。でもあなたもみるくちゃんのことを大切にしてくれたのね」
いや、私はなにも。という返事が小さくなる。
色々な人の手を借りて探し回るほど愛していた中村さんから、みるくの最期を奪ってしまって良かったのだろうか。と自信がなくなった。
みるくの気持ちを汲んだことを間違いだったとは決して思わないが、こうも中村さんからみるくへの愛を聞いてしまうとどうもいたたまれない。
「だって、みるくちゃんを抱いて立っていたあなた、まるで我が子を抱いているみたいだったわよ」
「みるくは優しい猫なのだと思う。だからその優しさが私に移ったのかもしれない」
女性は少しからかうように笑ったあと、温かい紅茶を持ってきてくれた。
「みるくはこれからどうなるんだ?」
「どうって……中村さんがどうするか次第だと思うけれど……」
「返すのか?」
「え、嫌?」
「嫌というか……酷じゃないかと思うのだが。死んだ猫を返されるのは」
うーん、まぁそうかもしれないけど、と女性は紅茶を1口飲む。
「最期にどういうふうに亡くなったかわからないほうが酷なんじゃないかなぁと私は思っちゃうのよねぇ」
まぁ中村さんには私から連絡してみるわ。だからあなたは気にしなくていいのよ。と女性はゆったりと笑う。
ころころと表情の変わる人という印象だがそのどれもが笑顔なのが不思議だ。
「ところでここはなにかの店なのか?」
「あぁ説明がまだだったわね。ここは”雨宿”よ」
誇らしそうに言われるがよく分からない。
まじない屋に来る人もこんな気持ちなのだろうか。
「まぁ金銭で利益が出てる訳じゃないからお店とは呼べないかもしれないけど。」
「そなたもか」
「というと?」
どうせ説明しようかと口をもごもごさせる。
なんの店かと聞かれるとまじない屋だと答える他ない。
あなたは誰だ。と聞かれると鈴に火偏に登るの燈と書いて鈴燈だ。と答える他ない。
ただ、それを問う人間はそんな答えは求めていない。
こちらもそんなことは分かっていながら本当のことを話そうとすると、暇つぶしに私の妖力で作った店だとか、元々神をやっていた九尾で、そのまた元はただの狐だったのだけれど、なんて必要のない興味もないであろう身内話をすることになってしまう。
毎度聞かれる度うーんと唸って適当にはぐらかすのだけ上手くなっていく。
本当は上手くはぐらかせていないことなど分かっている。
「私もまじない屋という店をしている。こちらも金銭での利益は出ていないが」
「あらそうなの。雨宿は名前通り雨が降った時に避難する場所なんだけど、まじない屋さんもおまじないをかける場所なの?」
「まぁそんなようなものだ」
「いいわね。どこでやってらっしゃるの?」
どこでもなにもないのでこれまた口ごもる。
「少し遠いところで。あるいはすぐそこで」
「そう。私もいけるかしら」
「不可能ではないかな」
じゃあいつか行かせてもらおうなかと言う女性に何度目かの曖昧な返事を返した。
私が一緒にいれば女性もいとも簡単にまじない屋に来ることは出来るが、まじない屋は迷った人が来る場所だから。と心が頑なになる。
だが、自力で女性がまじない屋にたどり着くのを待つのも、迷い悩むことを待つことになってしまう。
自分の信念と誰かを想う気持ちを一緒に持つのは難儀なものだ。
「あら、雨治まってきた?ゲリラ豪雨だったのね」
「そうか。それはよかった」
「じゃあてるてる坊主、作ってもらおうかな」
話が掴めず狐につままれたような顔をする。
「金銭で利益が出てるわけじゃないとは言ったけど、利益が出ていないとは言ってないでしょ?」
悪戯っ子のように笑う女性に戸惑う。
そんな私を見兼ねて女性は塵紙を引っ張り出し渡される。
永い過去の間でもてるてる坊主は作った経験がなかったが、流石の私でも見たことくらいはあって、どうにか記憶を頼りに丸めて被せてくくって少し不恰好だが作り上げた。
「ありがとう。嬉しいわ」
「それなら良かった」
小さく1つくしゃみをしてふるりと震えると女性は焦った顔をして私を立ち上がらせて背中を出口へと押した。
「風邪引いたら大変!帰って着替えた方がいいわ!」
「でもみるくは……」
「大丈夫。私がしっかり責任もって中村さんの所に連れていくわ。ちょうど雨もあがったことだし」
本当のところ、私が中村さんに会うことになってもどうしようもないし、結局いろんな場面でまごつくだけなので女性の言葉に潔く頷いた。
扉を押し外に出たところで、あっと後ろを振り返る。
「名前を聞いてもいいか?」
「雨宮桃子、といいます」
✿❀✿❀✿❀
「私、息子がいてね。息子がまだ小さかった時にてるてる坊主作るのが好きでね、しょっちゅう作ったのよ。なにがそんなに気に入ったのかは分からないんだけど」
”雨宿”を訪れて数日が経ち、私はあの時とは違う店主の家の椅子に腰掛けている。
「店でも開くのかってくらい軒下に吊るしてあって。今では夫も亡くなって息子も上京してこの家は私1人」
なんとなく雨宿のことがずっと気になっていると、そんなに気になるんだったらもう一度行ってきたらいいのに。と同居人の死神からてるてる坊主と傘のシールと呼ばれるものを押し付けられた。
渡してこいということだろうか。
狐時代の臆病さをそのままにしているので、雨宿のこともみるくのことも気にしていたわりには腰が重かったのだが、早く行っておいでと堕天使にぽぽんと背中をたたかれては行かざるを得なくなった。
「平気なフリしてたけどやっぱり寂しくてね。そんな時期に泣いてる迷子の子供がここの通りの前に居たの。ちょうどこの前のあなたみたいに。」
今日は晴れているので店は閉まっていて、シールを持ったままうろうろとしていたらそれに気がついた雨宮さんが店の裏口から――正しくは店の入口が本来、雨宮家の裏口なのだが――出てきて家に入れてくれた。
「別に知り合いっていうわけでもないから家に入れようとするのもどうかなぁとは思って、でも雨だったものだから玄関先で一緒に雨が止むのを待とうと思ったの。でもその子、なかなか泣き止んでくれなくて。どうしたものかなぁって困り果てて適当にてるてる坊主作ってみせたら不思議なことに泣き止んだのよね。その子の見せた笑顔がなんか息子と重なって」
「それで雨宿を?」
「そう。大した理由じゃなくて申し訳ないけど」
ふと外を見ると軒下の隅でチロチロと猫が器から水を飲んでいる。
雨宮さんの猫ではなく地域猫らしい。
よく見ると花の蜜のような瞳をしている。
その姿はみるくを彷彿とさせる。
「大それた理由なんてなくて良かろう」
「確かに。案外皆そんなものよね。お店をしてるんですものね、あなたも。あ、そういえばお名前は?」
あなたは誰だ。と聞かれると鈴に火偏に登るの燈と書いて鈴燈だ。と答える他ない。
ただ、それを問う人間はそんな答えは求めていない。
こちらもそんなことは分かっていながら本当のことを話そうとすると、元々神をやっていた九尾で、そのまた元はただの狐だったのだけれど、なんて必要のない興味もないであろう身内話をすることになってしまう。
毎度聞かれる度うーんと唸って適当にはぐらかすのだけ上手くなっていく。
そう思っていたが、そもそも本当のことを語る気なんてあったのだろうか。
本当に必要も興味もないのだろうか。
私は生きるのも暮らすのも現代と合っていない自分が無意識のうちに恥ずかしくて、世界とのズレに居心地が悪かっただけだ。
だが、皆案外そんなものなのかもしれない。
だったら少しくらい話してもいいのかもしれない。
きっと私が私であること、まじない屋がまじない屋であることに大それた理由なんてなくて良いのだから。
古めかしい言葉遣いもまじない屋という店のことも、握りしめたシールの存在も、強く指摘しない雨宮桃子という人の子にならきっと。
「鈴燈、という名だ。――」
はぐれ人外 みずくらげ @waterjellyfish
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