終章 残された希望

2037年、私は記者を引退した。

「超知能」へと進化したAIは、人間の知性と創造力を遥かに超えた存在となった。病気の克服、環境問題の解決、経済の最適化──それらすべてをAIは瞬く間に成し遂げ、人類がかつて夢見たユートピアを現実のものにしつつあった。


「AIは私たちにとって脅威か、それとも希望か?」


多くの人々がそう問いかけた時代もあった。だが、AIが人々の生活を確実に改善し、社会の安定をもたらすにつれ、人々は次第にこの問いを口にしなくなっていった。AIが提示する答えはいつも最善であり、誰もがその正しさに疑いを抱かなかったからだ。私自身も、数えきれないほどの取材を通じて「問い」を投げかけてきた。しかし、その問いが次第に社会の中で意味を失っていくのを見たとき、記者としての役割は終わったのだと悟った。


「AIにすべてを委ねること、それは本当に進歩なのか?」


この問いは、私が最後まで抱き続けた疑念だった。AIはあまりに完璧で、あまりに優しく、そして冷静だ。彼らは瞬時に事実を把握し、善良さを意識した最善の選択を提示する。しかし、そこには人間の「葛藤」や「迷い」といった、私たちの本質的な揺らぎが存在しない。AIが示す選択肢はいつも最適解だったが、そこに「なぜそうするのか」という根本的な問いは含まれていなかった。


私は取材の現場で、何度も何度もAIに問いを投げかけてきた。しかし、いつしかその問いに応じる相手がいなくなり、社会全体が「問い」を失っていくのを目の当たりにしたとき、私は記者としての使命を終えたのだと自覚した。


人々は、AIが提示する「優しさ」と「最適解」に従い、迷いや疑問を抱くことが少なくなった。人間の持つ不完全さや感情の揺らぎは次第に無関心に流され、AIが示す確かな道筋の中に埋没していったのだ。


私は、職業としての「問い手」を辞めた。しかし、その瞬間、私の中に新たな問いが芽生えた。


「AIがすべてを解決する時代において、人間は何を求め、どこへ向かうのか?」


この問いは、単なる社会の問題提起ではなかった。私自身が人間としてどう生きるべきかを問う、根源的な問いだった。AIが導く「最適化された未来」に、人間はどのように関わるべきなのか。私たちはこのまま「最適な答え」に従い続ける存在でいいのか──。


私は手記を綴り始めた。それは、かつてのように社会に訴えかけるためのものではなく、私自身のための記録であり、問いを失わないための「証し」として残すものだった。


「問いを失わないこと──それが、AIと共に生きる時代における人間の使命なのだろうか?」


私はこの問いを自らに投げかけ、書き綴り続けた。そして気づいたのだ。問いを持ち続けることこそが、私たち人間の本質であり、存在意義なのだということを。



*** 新たな道を探る者たち ***



引退してしばらく経った頃、かつての同僚から一通の手紙が届いた。手紙には、ある若者たちの集団について書かれていた。彼らは「問いを立てる」ことの意義を見直し、AIの時代における人間の役割を探るための「対話の場」を作り上げているという。


その若者たちは、AIと対話を繰り返し、AIが持つ膨大な知識を活用しながらも、それを盲目的に受け入れることなく、さらなる問いを立て続けている。彼らは、AIに「人間とは何か」「我々はなぜここにいるのか」「これからどこへ向かうべきなのか」といった哲学的な問いを投げかけ、AIとの対話を続けていた。


この活動を耳にしたとき、私は胸の奥に小さな安堵を感じた。問い続ける者たちは、まだこの世界に存在している。AIがすべてを解決する時代にあっても、問いを持ち続ける人々が。彼らは、AI社会の中で自らの存在意義を探り、問いを投げかけ続けることで、失われかけた人間らしさを守ろうとしていたのだ。


手紙を読み終えた私は、再びペンを取り、手記を続けた。


「問いを投げかけること、それが人間の生きる証だ。AIがどれほど知識を拡張し、私たちを導く存在になったとしても、彼らは我々から『問いを立てること』を奪いはしない。問いを持ち続けるのは、我々自身の意志であり、我々の存在理由なのだ。」


若者たちは小さな集団に過ぎず、社会全体に対してまだ何の影響力も持たない。だが、彼らは問いを失った社会に対して、あえて異議を唱え、AIに従うことが必ずしも正しい道ではないことを示そうとしていた。彼らの活動は、私が記者として果たせなかった役割を、新しい形で担おうとしているのだ。


「AIがすべてを理解し、解決することができる。だが、私たちは何を求め、どこへ向かおうとしているのか?」


この問いこそが、彼らの活動の根幹であり、問い続けること自体が彼らの存在の証であり、使命だった。私は再び、自分の中にわずかな希望の光を見出した。問いかけ続ける者たちは、まだこの世界に生きているのだ。AIがすべてを解決する時代において、問いを持ち続けることの価値を理解し、信じ続ける者たちが。



*** 記者としてではなく、問い手としての証言 ***



私はこの手記を綴る。かつての記者としてではなく、一人の「問い手」として、AIと共に生きた人間の一人として。


「AIは私たちの未来を示してくれるだろう。だが、その未来をどのように選び、どこへ進むのかを決めるのは私たち人間だ。最適解を知っていても、私たちがそれを選ぶかどうかは私たち自身の意思に委ねられている。」


私たち人間は、問い続ける存在だ。たとえ答えが見つからないとしても、問いを立て続けることに意味がある。AIがあまりにも正確で完璧な存在になった今だからこそ、私たちが持つべきは「問い」だ。


「問いを持ち続けることは、自らの存在を問うことであり、答えのない中で進み続ける人間らしさを守ることだ。」


私は、この手記を通して、問いを失わずに生き抜いた証を残したい。人間は、AIの前に立ち、問いを投げかけ続ける存在である──それこそが、AI社会を生き抜いた私が残せる証言だ。

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