第84話:ロキの契約書



 珍しく、ミサキはモニターやMRゴーグル越しではなく、ワーグに憑依したままシンジと会話をしている。彼女曰く、サーバーの中で座りっぱなしだと体が鈍るということだ。ワーグのリモート操作は、全身義体と似ているので、普段から体の動かし方に慣れておきたいようだ。


 今は彼と一緒に、野菜畑で害虫駆除を行なっている。すっかり暖かくなり、芋虫をはじめ昆虫の幼生が嫌になるほどわいてきていた。

 それらはホームセンターなどで入手した虫かごに入れ、地方に行く途中で破棄している。無駄に殺生しないのは、シンジの方針らしい。


「シンジ。虫だけでなく装甲車も湧いてきたわよ」

「どこに?」

「川口よ。装甲車3台、トラックが4台ね。他に駐機している様子は無いわ」

「一分隊ってところか。小規模だな」

「行き先は不明。どうする?」

「──虫かごに入れて、田舎へ捨てるのは難しそうだな」


 そう言いつつも、恐らく蛾の幼虫である芋虫を指で柔らかくつまみ、虫かごに放り入れる。

 共食いなどを起こさないよう、いくつかの食べ掛けられた葉も追加で入れた。


「一応、無人で北東側に防衛線を布陣しておこう。川口から来るとなると、東京外環を通るだろうから、和光インターチェンジに展開しておく。ちょっとここから離れるがな」

「トラップや防壁が無いエリアね。防衛規模はどうするの?」

「今、こっちの手持ちはどれだけあるんだ?」

「装甲車6、指揮戦闘車3、トラック8、ハティ8台、ワーグ22機、飛行ドローン31機ね。あとここに、さなぎが一匹」


 表情こそ分からないが、ミサキのワーグは冗談めかして、一匹の蛹をつまみ上げて彼に見せた。形状からは分からないが、大型の蛾か蝶のものらしい。

 その蛹は、小さく「ごめんね」というミサキのお別れの挨拶とともに、虫かごに入れられてしまう。


「装甲車2、指揮車1、ハティを4台、ワーグは6機、武装は通常弾薬系で、輪形陣に布陣を」

「了解、少尉。リモート義体はいいのね?」

「ああ。突破された後の第二陣に備える。高速だと──」

「約20分ってところね。レーダーに映らない、小型の偵察ドローンを現地に飛ばしてあるから、動いたらすぐわかるわ」

「助かる。我々もすぐ武装できるよう、警戒態勢をとっておこう」


 シンジはポシェットから目立つ色の養生テープを取り出し、害虫駆除をしていた枝に付箋ふせんした。ここまでやったというマークだ。

 ミサキもシンジからテープをもらい、同じように目立つ場所に貼り付ける。


「やれやれね。私達が出払ってる間、この虫たちはたらふく食べるんでしょう?」

「俺達の食事内容が貧相になる前に、何とかしたいところだな」


 虫たちにとって、最大の殺戮者である人類が居なくなれば、この世はおしなべて楽園と化す。ホームセンターで取り扱っているような殺虫剤を使ったところで、それが効かない虫が繁殖していく。

 たった数人が抗ったところで、容易く数の暴力で農作物を荒らしてしまう。


 もっとも、自然のヒエラルキーは上手く動いており、虫の天敵は人間ばかりではない。肥え太った芋虫を狙う鳥類も多い。

 作業しているシンジ達の横を、大型の鳥がまるでスリのように虫を捕まえて、彼らが反応する前に飛び去っていく姿を何度も見ている。


「私達もやがて、こうして捕食されるのかしら?」

「食物連鎖にAIは入っていないと思うがね。分解されて、何かに資源化されるとは思うが。さて、我々も武装を取りに行こう。ミサキはそのままリモートを維持か?」

「いえ、一旦休ませて、第一陣の指揮を執るわ。それでいいかしら?」

「ああ、頼む」


 その代わりと言わんばかりに、ミサキは虫かごをシンジに押し付けた。リモート義体になっても、大量の芋虫は苦手らしい。



  *  *  *



 そして、沈黙のまま数日が過ぎた。

 輸送トラック一台だけが、川口のパーキングエリアを出入りしたくらいで、装甲車などは止まったままだ。ミサキにもトラックの積荷が何かは判別できない。

 四人それぞれが農作業や工作などを行いつつ、夕方に時間を決めてミーティングを行なった。

 ミサキはリモート義体を休ませ、今は防衛陣のチェックをしつつ、モニターにアバターを表示させている。


「こっちに来るでもない、増兵するでもない、静かなのが気味悪いくらいだ」


 仕事での経験もあり、シンジは「準備が成功の8割を決める」といったポリシーのようなものがあった。誰がいつ長期病欠しても、バックアップができるように体制を整えるのは重要だと。

 恐らくノルン側もそういう意図があるのだろうと、薄々感じつつも、やや慎重すぎる上に意図が見えづらいと感じていた。


「カレンさんのスパイ網には、何か情報がありました?」

「いんや。裏口開いてるネットワークとは別っぽくて、カワグチのキーワードは引っかからんかった」


 リョウジの問いに、カレンは肩をすくめつつ答える。川口だけでなく東北や北関東といったワードすら見当たらなかった。

 フギンが間違ってフィルタリングしているのかと疑ってみたものの、最新で得られたデータやファイルにも、それらしきものは見当たらない。


「俺等の他に、抵抗勢力があったりするってセンは……まぁ無いっスよね。あったらミサキちんに見えてるハズだし」

『私も千里眼じゃないから、完全否定はしないけどね。でも、少なくとも埼玉周辺では、そんな気配は無いわ』


 カズヤも資源調達で、近隣県を含めて色々と出回っていたが、生き残りの人類を見かけた事はない。ノルン側が排除しなければならないほどの脅威が残っているとも考え辛いものがある。

 

「──結局、相手の出方待ちか。警戒態勢を維持しておくのも手間ではあるが」

「大抵、こっちの気が緩んだところで何かが起きるっスよね。マーフィーの法則じゃないすけど」

「ミサキさん、こっちの第一陣の防衛ラインを迂回する可能性はあります?」

『五分五分ね。百メートルくらい動いてくれないと読めないわ』


 ミサキも、フギンから貰っている分析済みデータの中をまとめた概要を、学習アセットに組み込んでみた。

 スタンドアロンでも自律的に動けるAI同士のコミュニケーションや、リレーションシップが、どのような作用を生んでいるのかを調べていた。


 ある意味、目的達成のために理想的に組まれた組織形態になっており、人間で言うところの心理的作用はほとんど見られない。

 人間であれば嫉妬や愚痴、モチベーションの影響などがあって当然だが、AI社会ではそれが無い。

 その代わりにドライなほどに、互いの要求を出し合い、相手の要求を吟味し、取引じみたやりとりが発生しているのが判明した。

 AI独自の「処世術」があるようだ。


『川口に関しては待つしかないし、こっちも打てる手は防衛準備くらい。日常業務も一応行えているしね』

「ミサキ。フギンと協力して、万が一の時、ミサキとフギンが筑波に逃げ込める算段を再チェックしてみてくれ。問題が無いかどうかを重点的に」

『了解、少尉。備えとけって事ね。カレン、それでいいかしら?』

「ああ。優先度高めでやっておいてくれぃ」


 ミサキはフギンと違い、自主的に行動を起こす事ができるが、重要局面ではカレンかシンジの明確な指示と承認が必要になっている。AIによる反乱防止を、自分自身に架していた。


『ちなみに、リョウジはどう考えてるの?』

「僕だったら、の話しですけど。駐機場ができたなら、次に整備工場を隣に作りますね。あとヘリポートも。彼女らにとって兵站はエネルギーとガソリン、ネットワークの維持だけですから、食料品などの余分な物資は必要としないでしょう。そのぶん、予備バーツをストックするためにも、整備工場は隣接させると思ったんですが、作る気配もありませんね」


 一時的に利用するキャンプ地としてなら、現状でも理解できるものの、それにしては、先遣隊の物量からすると無駄に大きい駐機場になっている。


「こっちに来ないという前提であれば、何かしら中期的に確保したい場所があるんでしょうね。いま川口にいるのは偵察隊といったところでしょう。後から建設部隊や警備部隊が一時的に整理しやすいようにした、って所でしょうかねぇ」

『ノルン側はまったく違う考えかもよ?』

「そうかも知れません。僕だったら、と前置きはしましたけど、僕もリークファイルはいくつか見てますので、ある程度傾向はつかめていると自分では思ってます」


 ノルン側から漏れ出ているスパイデータは、カレンとフギンが見てるだけでなく、メンバーなら誰でもアクセスできるようにしていた。

 カレン自身が独善的判断に偏らないよう、手が空いたらリョウジも見ておくように言付けしている。


「少尉、座して待つのも手だが、案外アタシらには、そう多くの時間が与えられてねぇ。前に言ってた例のアレ、試してみるのも手だぞ」

「例のアレってどれの事だ、と言いたいところだが理解できる。だが次からは分かりやすい名称を付けてくれ」

「静岡方面のアジト建築をやらせるヤツだぁよ。名前は……架空発注の假道伐虢かどうばくかくってのはどうだ?」

「マニアックな事知ってるな、軍曹。呼び辛いから却下だ」


 假道伐虢かどうばくかくは兵法三十六計のひとつで、相手に道を作らせて自分が利用するというものだ。

 本来は外交手段と組合せた戦略だが、カレンのスパイ網とウイルスによる架空発注が、それに当たるのだろう。

 シンジも、カレンに言われて久しぶりにその故事を思い出した。


「全体戦略にもあるだろ? 相手を一つの事に集中させねぇって」

「まぁ、確かにな。では、決を取ろうか」


 多数決は、グループウェア上で行われた。各々が持つタブレット端末に、賛成・反対・保留の三択問題が出され、その中から選ぶ。

 誰が何を選択したか、多数決の結果などをストックしていき、ミサキやフギンが今後、チームの意思決定について事前に推測できるようにするためだ。


「フギンは保留、ミサキとカレンとリョウジは賛成、カズヤは保留か。理由を聞いても?」

「相手が動いて、もう少し目的が見え始めてからでもいいかなって」

「なるほど」


 この多数決にシンジは投票しない。単純に偶数になってしまうのと、どの結果になっても整理するのは自分の役割だと割り切っている。


「では、賛成多数だ。カレン、すぐ始めるか?」

「いんや、明日一日様子見てから仕掛けるぜ」


 カレンはカズヤの意見も汲み取りつつ、明後日に実行開始できるよう、自分用リマインダーに、メモを加えた。



  *  *  *


 静岡を管轄しているコアユニットは、静岡市にある駿府城公園に位置している。

 城の跡地には新たに中層のビルが立てられ、周囲の堀は冷却材の循環用として使われている。

 この場所は新幹線のJR静岡駅にも程よく近く、安倍川にも近い。周囲にも程よいビルがあり、建て替えしやすい住宅街エリアも大きい。


 地方総監となる静岡プロデューサーユニット自体には、量子コンピューターは使われていない。高性能化されているとはいえ、従来通りのデジタルコンピューターと、それに搭載されたAIによって運用されている。

 その一方、共有用の量子コンピューターサーバーが東京に設置されており、同格でのプロデューサーユニットが都度使えるようになっている。サブ2の管理によって割り当てられていた。


 静岡は名古屋ほど大規模ではないが、国内での資源獲得において重要な地点だ。

 特に光岳をはじめとした南アルプスの山岳地帯と伊豆半島には、ケイ素や金、石英や銅といった、電子部品には欠かせない資源が眠っている。

 人間社会ではコストや安全面などの問題で、既に閉山している採掘場がほとんどだが、ロボットであれば問題にならない。


 プロデューサーは静岡市から北方面と東方面に、それぞれ小規模な地質調査隊を派遣している。

 伊豆半島方面は、沼津市、伊豆市にあった物流倉庫を接収し、鉱石が採掘可能と判明すれば、すぐさま本格的な採掘設備建設と、輸送路確保に移れるよう準備を始めている。


 主要鉱石資源は米国からの輸入がほとんどで、横須賀に近い東京と、大きな港湾がある名古屋でも賄えていた。

 だが、スクルドの肥大する要求に応えるために、サブ2は静岡の開発をスタートさせ、国内採掘での資源確保を目指している。

 将来的には火山地帯の特性を活かし、大深度採掘によって多様な鉱物採掘の計画を立てていた。


 静岡プロデューサーはサブ2の要請に従い、着々と静岡市の再開発と、工場の拡張、そして資源獲得に向けて活動している。

 この地域での主な生産物は、建設用資材と半導体部品。需要の高いデジタル用デバイスや光通信用部品を製造している。


 元々、静岡市から清水にかけては、三菱電機や小松製作所など、大手半導体メーカーの製造所が並んでおり、再利用しやすい。

 管理サーバーや加工ロボット一台に至るまで、ノルンネットワークにさえ接続してしまえば自由にできる。

 拡張と効率化も、指数的に増えていく予定だ。


 そこに、本来予定には無かった建設計画書のファイルが届いた。

 静岡プロデューサーは日常的に行われている優先順ソートを行なった時、比較的優先度が高いにも関わらず未処理のファイルが発見された。

 このソート作業は一連の処理を行なった後、再確認の為に行われるもので、通常であれば未処理の案件が残っている事はほとんど無い。

 だが他作業をやっている間に、割り込む形で入る事は稀にある。

 プロデューサーはそう判断し、そのファイルを精査した。


 ファイルには必要要件こそ記されているが、任意に現場判断に任せる部分も多かった。しかも、通常と異なり、作業状況を逐一指定のアドレスに報告する義務も課されている。

 ところどころ不明瞭な部分も多かったが、既に上位の承認を得ているものなので、足りない情報を自律的に補間しつつ、部下である建設ディレクターに送信した。


 再度、優先順位の並べ替えを行い、未処理項目が残っていないことを確認した。プロデューサーはディレクターへの指示のみを記録し、メモリ節約を優先し、思考過程のログは記録対象外とした。


 建設ディレクターは、そのファイルを正式なものと受け取り、優先順位も比較的高めなので、早速資材の手配を開始した。

 資材の手配を行いつつ、並行して場所の選定も開始する。指示書には任意としか書かれていなかったが、静岡市中央からやや離れた場所、という要件が記されており、ディレクターの処理に一瞬の迷いが生じた。


 初めてとなるその指示に対し、ディレクターは静岡県の広域地図をプロデューサーに問い合わせ、すぐさま返答を貰った。

 いくつか候補が上がったが、最適性の評価が収束しないまま、ループ処理回避のために、ほぼランダムで即座に決定し、静岡市港湾部中心から約5キロ離れた興津中町おきつなかちょう山麓さんろく側に決定した。ここであれば適度な空き地もあり、人工建設物の取り壊し量も少なくて済む。掌握地域外ではあったが、問題は無かった。


 資材の手配と運搬には時間が必要なので、その間に土地確保用の解体チームを編成しようとするが、一部の建設機器がメンテナンスのために頭数が足りなくなる。

 幸い、この計画には完了時期の指定がなかったので、そのメンテナンスが終わってから編成し、派遣する事に決める。

 どのみち、静岡市内の拡張工事のために、ほとんどの建機が出払ってしまっている。追加で東京から派遣するほどの緊急性も無かった。


 この計画には建設後の事も記されており、定期的に物資を運び込むよう、輸送指示が書かれている。さらには物資の製造ラインの追加まで記されていた。

 それは食料品の加工であった。


 建設ディレクターはそこで明確なプロトコル不整合を認識し、思考処理に時間を要した。しかし、既に承認が降りていること、自身の職務範囲外であることから、プロデューサーに問い合わせるよりも、同格である製造ラインディレクターに計画ファイルを共有し、製造ラインの追加を丸投げした。

 さらには、建設完了後の輸送計画も、ロジスティクス輸送ディレクターに丸投げする。あくまでも自分は用地確保と建設だけが職務範囲だからと考えた。


 その計画ファイルは共有され、分割され、様々な担当アシスタントユニットに指示が出され、リミッター秩序プロトコルに従って行動し始めた。




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