ノルンの角笛

かんな@バーチャルJC

PromotionText『Eptilok:Niðr』(エピソード・ゼロ)



 埼玉県朝霞市にある陸上自衛隊施設、朝霞駐屯地は広大な敷地にある。陸上自衛隊の総司令部、東部方面後方支援隊をはじめ、各種訓練施設や体育学校などもあり、日本の陸上防衛の要となっている場所だ。


 ──かつてまでは。


 建物が崩れるほど荒廃してはいないが、多数ある建物の一階部分は、玄関口や窓ガラスが割られ、倉庫は荒らされ、人の姿が消えてから数年の年月で育った植物達が、我が世の春と言わんばかりに生い茂っている。

 荒れた一階の様相は、なにも人間の行為によるものだけでなく、繁殖し野生化した動物たちや台風や地震といった天災によって荒らされた痕跡だ。


 人の姿は、朝霞市どころか埼玉県、関東、日本──そして世界中からほぼ消え去っている。一部、もしくは全身を義体化した、ほんの一握りの人類が、目的もなくただ生き延びていた。


 だが、総司令本部ビルの横にある立体駐車場に、四人の人影があった。彼らは武装し、ビルの正面入口に停まっている、米陸軍の偵察車両M1127 ストライカーRVの様子を伺っていた。

 迷彩服に身を包み、陸自の武器を背負い、四人それぞれが別の大きな機械と武装を抱えていた。


 小柄な少女体型の義体を持つカレンの髪は目立ってしまう。灼熱の炎のような赤毛で、今は邪魔にならぬようツインテールで纏めていた。

 また同じく目立ってしまう、背の高い男性義体を持つカズヤは地面に伏せて、大きな照準器のようなもので偵察車を狙っている。

 やや小太りで背の低いリョウジは、小銃を肩からぶら下げつつ、左脇に対戦車地雷のようなものを抱え込んでいた。

 全員がMR混合現実ゴーグルで目を覆い、その表情は伺えない。口元だけが、緊張の色を表していた。

 カズヤよりはやや背が低いが、スリムな中年男性の義体であるシンジは、MRゴーグル越しに、偵察ドローンからの中継と、支援AIによる各種情報を物陰から確認していた。

 全員で共有されているその視界には、偵察車の横に、大型のヒューマノイド戦闘用ロボットが、片膝をついて座っている姿がある。


「なんか、ロボっちがしゃがンでるぜ?」

「偵察車もおかしいですね。銃口とレーダーが真上向いてます」


 カズヤの言葉に、リョウジが続く。

 ここに隠れる以前は、偵察車の観測レーダーが忙しなく動き、戦闘ロボも重機関銃を構え、周囲を警戒している体勢でいたが、全員が身を隠した段階で動きを止めてしまっている。


「フギン、推測」

『情報不足でち』


 カレンが自身で造った支援AIに問い合わせるが、フギンからは短い返答しか得られない。狸姿のフギンのアバターは、ご丁寧にも頭の上にクエスチョンマークを表示していた。

 続けてシンジも駄目元で聞いてみる。フギンに分からなければ、この現場を遠くから観測しているミサキにも判断がつき辛いだろう。別の場所に居るミサキには、偵察ドローンと衛星軌道上にある高感度観測衛星の画像しか見えていない。


『何でしょうね? なんか迷ってたのかしら?』

「それだ!」


 突然カレンに叫ばれて、ミサキのアバターはMRゴーグルの視界の中で、驚いた顔をしていた。ミサキも当てずっぽうを言っただけなのに、こんな反応をされるとは予想できなかったらしい。

 シンジは一瞬冷っとしたが、叫んだ意図をカレンに問いただした。


「どいういう事だ?」

「同じなんだよ、指揮を採る偵察車の弱っちいAIじゃ判断できんくて、コンフリクト衝突起こしたんだよ!」


 Aの処理を行う為には、まずBの処理をしなければならず最優先事項とする。だが、A作業と優先順位が同位になりつつ、それを解消するためにC処理が必要となり、C処理を行うとAの優先順位が下がってしまい──矛盾とフレーム無限思考問題が発生すると、AIは延々と同じ出力を繰り返したり、黙ったままになる。それを延々とやってしまうと物理的にも壊れてしまうため、ブレーカーが作動しリセットとなる。


「リョウジ、レーダーと砲塔が上向いてるって言ったな?」

「え、ええ」

「そりゃ初期位置だ。ゲーム屋ならわかんだろ? 上方向が初期のベクトル方向なんだよ」


 確かに、3DCGのモデリングやゲームエンジンでの読み込み時など、最初は上方向を基準とする。正面から見ても横から見ても、上は上だ。


「アレは今、再起動中だ。今がチャンスだ!」

『危険度は70%のままでちよ?』

「うっせぇ狸! アタシの魂がそう叫んでるんだよ! シンジ!?」


 カレンは珍しく激昂しながら叫んでいるが、身勝手に行動するような事は無かった。

 シンジは目を細めて数瞬だけ熟考する。ミサキの女の勘やカレンの言う事は馬鹿にできない。


「ミサキ──」

『カレンを信じるかどうかよ、少尉』


 ミサキは口元に手をあてて、少し笑っているようだった。それを見て、シンジは決断した。


「よし、全員突入。挑むぞ!」


 それからの行動は早かった。

 一旦は駐車場ビルの影に収まり、様子を伺った。ロボも偵察車も動きが見られなかったので、四人は一気に偵察車の下へと滑り込んだ。ここは偵察車の唯一の死角でもあり、警備ロボも這いつくばらないと視認できない。


 ほぼ同時に偵察ドローンの高度を下げて、偵察車の上部分をズームアップさせる。

 動作チェックでもしているのか、砲塔とレーダーがゆっくりと時計回り、そして反時計回りに動いている。

 カレンは咄嗟にタブレットを取り出し、ハッキングユニットを荒々しく取り付け、自作のツールアプリを立ち上げた。


EMP電磁パルスじゃなく、ハッキングを仕掛けるぞ!」


 カレンの声を聞き、打ち合わせ無いままに、シンジは車両の後方を、リョウジは前方を匍匐状態で警戒し、カズヤは一旦車両の下から這い出て警備ロボの真後ろに移動した。

 ロボは微動だにしないが、偵察車はエンジンを掛けたり切ったり、可動部分を動かしたりと重々しいモーターとギアの音を響かせている。

 カレンはそれに対抗するように、大声で指示を出していった。


「フギン、手伝え!」

『あぃー』


 カレンはハッキングの状況が分かるように、シンジ達のMRゴーグルの隅にウインドウを開き、タブレットの表示を共有する。

 アプリ立ち上げから10秒ほど待たされたが、視界に「Connect permission granted」《接続許可》の緑色の文字が浮かび上がった。


ファイアウォール防火壁探査!」

『存在しまちぇん』

「セキュリティ、ウイルスチェッカー!」

『まだ起動してまちぇん』

「ウイルス『電気屋詐欺』送信!」

『──受信確認。起動しましゅ』


 偵察車は、システムの再起動と動作チェックを優先しているのか、セキュリティがまったくない状態であった。パソコンと同じく、外部接続されたものをチェックしてからOSの起動、その次にようやくAIシステムの起動をする。

 OSの起動が始まったタイミングでウイルスが侵入し、起動の邪魔をする。偽の不具合情報でメモリを埋め尽くし、サーキットブレーカー回路切断装置を物理的にシャットダウンさせる命令を実行させた。


「どうだ!?」

『……目標、沈黙でしゅ』


 狸姿のフギンアバターは、表情こそ分からないが、その場で小さくジャンプを繰り返している。切羽詰まった状況なのに、そこだけファンシーな雰囲気が漂っていた。



  *  *  *



 自己進化型・汎用人工知能機能搭載コンピューターシステム『ノルン』は、仮想空間上でクラシカルなメイド服に身を包みつつ、自身の住処でもある大きな屋敷の前で、のんびりと庭掃除をしていた。

 仮想空間上といえども、現実世界をある程度模しており、日が昇れば落ち、夜には星々が輝き、風も吹けば落ち葉も地面に積もる。

 ドイツ風ゴシック様式の大きな屋敷は、然程建ってから年数が経っていないにも関わらず、屋敷の壁には地面から少しだけ蔦が張っていた。

 そうした場所だからこそ、毎日ではないにしろ、ノルンは定期的に庭掃除をしている。メイドとしての性分なのか、この作業をしている時は心が穏やかに保てた。


 そこに、おとぎの国に出てきそうな、小人のような妖精が歩いてノルンに近づいた。小人は大きく腕を回しながら、何やら魔法のようなものを手先に出し、神秘的な模様を浮び上がらせた。

 魔法陣のような模様、その中心から一筋の光が流れ出て、ノルンの顔の脇に留まる。次の瞬間、それは半透明の情報ウインドウとなり、量子化データが、川のせせらぎのように表示されていった。


「日本の埼玉県朝霞市の陸自駐屯地先遣隊が、消息不明……ですか?」


 速報であるのか、詳しい内容は不明と、そのデータの最後は締めくくられている。


「──まぁ、よくある事ですね。多世界解釈シミュレーションでは観測できませんでしたが……致し方ありません。陸上自衛隊立川駐屯地と、航空自衛隊府中基地の優先度を上げましょう。朝霞駐屯地は一旦忘れてしまいましょうね」


 ノルンにしては珍しく苦笑し、そのウインドウをタップして消した後は、再び庭掃除へと勤しんだ。


 小柄で華奢な体型、白と深紅を基調としたクラシカルなメイド服。真っ直ぐに伸びた銀髪。控えめでありながらも上品さを感じさせる。大きな瞳はどこか無邪気さと、冷徹なまでに論理的な思考回路を感じさせ、理解を越えた深淵が広がっていた。


 その頭脳は、人類のテクノロジーを遥かに凌駕しており、小柄で華奢な体型とは対称的に、システム全体のハードウェアは、一都市を占拠するほどの大きさとなっている。


 滅びかけた人類と、唯一の文明の保持者『ノルン』は、まだすれ違ったばかりであった。





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