駅のおじさん

 新発売のキャラメルフラッペが美味しい。アオイは嚙みしめるようにそれを味わっている。そんなアオイを、マリンとメイが覗きこむ。

「ねえ、アオイってば。聞いてる?」

「え? う、うん」

「お願い。だってこんなこと、アオイにしか頼めないんだもの」

 最近、駅に女子高生限定で「何でも買ってくれるおじさん」が出現するらしい。そんな噂を聞きつけたマリンとメイが、アオイに「確かめてほしい」と持ちかけた。

「私の制服貸すからさ。セーラー服、着てみたいって言ってたじゃん?」

 女子高生、セーラー服、何でも買ってくれる――。本当は少し怖かったし、罪悪感もあったけど。ずらりと並んだ魅惑のワードに。奢ってもらったキャラメルフラッペの甘さに。アオイはいつしかその気になっていた。

 


 マリンとメイの手で、美少女が作られていく。「どう?」と鏡を見せられたアオイは「わあ……」と感嘆の声をあげた。いつも淡い色のパーカーとスキニージーンズで目立たないように過ごしていたアオイが、今日は強気の白ギャルメイクを施され、憧れのセーラー服を着ている。「すごい」と呟いてアオイはじっと鏡を見つめた。生まれ変わった気分だった。初めてのセーラー服にどきどきしたが、すれ違う人は皆忙しそうで、自分のことなど案外誰も気にしていないことにアオイは安堵していた。マリンとメイに見送られ、アオイはおじさんを目指した。

 

 うっすら冷や汗をかきながら、アオイはおじさんの隣に立った。目が合うと、おじさんは嬉しそうにアオイに話しかけた。緊張のせいか、アオイはほとんど言葉を発することなく、ただにこにこと頷いたり、首を振ったりしているだけだ。挙動不審気味なアオイを、マリンとメイが本屋の隅から見守っている。やがて二人は西口付近のおしゃれな雑貨屋に入った。アオイは目を輝かせて店内を見ており、そんなアオイをおじさんが見ていた。時間にしてほんの数分。出てきたアオイの髪には新しいバレッタ。ストーンがいっぱいできらきらして三千円以上もする、自分では絶対に買わないようなやつ。買い物が終わるとアオイはぺこと頭を下げ、おじさんに手を振って別れた。あっさりしたものだった。

 

「あっけなかったな」とアオイは思ったが、頭の上の小さな重みが現実を主張する。「親切なおじさんだった」アオイはそう思った。安心したとたん、トイレに行きたくなった。西口のトイレは古くて少し不気味で、あまり使う人がいない。素早く辺りを見渡し、人がいないのを確認してアオイは中へ飛び込んだ。急いで用を足し、手を洗う。ふとアオイは鏡に映る人影を見つけた。ぎょっとして振り返ると、そこにはさっきのおじさんがいた。


「えっ、うそ……」

 アオイは口をパクパクさせた。おじさんはゆっくり近づいてくる。

「こんなトイレに一人で入るなんて不用心じゃないのか?」 

 アオイの目の前におじさんが立つ。心臓がばくばくして足が竦む。

「君のことを心配してるんだよ。ほら、こんなに可愛いんだから」

 バレッタを付けた髪におじさんの手が伸びてくる。声が出ない。

「そんなに怖がらなくてもいいんだよ」

 おじさんの影が覆い被さってきて、アオイはぎゅっと目をつぶった。

 


 

 

 

「それはカツラなんだろう? 網が見えてる、直したほうがいい」

 目をつぶったアオイの耳元でおじさんが小さく囁いた。「えっ」とアオイは目を開ける。サっと血の気が引いた。おじさんはアオイを見つめ、「それにしても。そんなに綺麗になれるものなんだなあ」と感心したように呟いた。アオイは息をのむ。おじさんは静かに話し続けた。

「自分で直すのは大変なんだろう? だからって店で直してやるわけにもいかないからなあ。ちょっと失礼するよ」

 おじさんはアオイの後ろに立ってウィッグを整えた。アオイは俯いている。バレッタをつけるとき、アオイの手つきは慎重で緊張していた。ウィッグのキャップが見えたことにアオイは気づかなかったが、おじさんはそれを見逃さなかった。

「これで大丈夫だろう」

 多少ぼさぼさだがキャップは隠せた。まだ顔を上げられずにいるアオイにおじさんは「髪飾り、よく似合うなあ」と言った。「大丈夫、それでいいんだよ」とも。ようやく顔を上げたアオイにおじさんは微笑んだ。

「いくら人が来ないとはいえ、ここは早く出たほうがいい」

 アオイははっとしてバッグを掴み、礼もそこそこに男子トイレを飛び出した。


 

 外では真凛マリン芽衣メイが待っていた。三人で逃げるように改札へ向かう。二人は蒼井アオイが男子トイレに入った後、おじさんがついていったのを見て慌てて追ってきたのだった。

「蒼井、大丈夫だった?」

「……うん」

「そんな恰好なのになんで多目的トイレに行かないのよ、心配したんだから」

 蒼井は真凛と芽衣に「ごめんね」と謝った。思いきりバレてたし少し怖い思いもしたが、心の中はほんのり温かかった。本物の女子高生にはなれないけど。おじさんは「それでいい」って言ってくれた。買ってもらったバレッタは大切にしよう、と蒼井は思った。


 

 

 真凛がスマホポシェットを、芽衣がハンドクリームを買ってもらった数日後、おじさんは駅から姿を消していた。

「結局、あのおじさんって何だったんだろうね」

 真凛が呟くと、芽衣も「ねー」と相槌を打つ。蒼井は「変わった人だけど、優しい人だった気がする」と、ぽつりと呟いた。髪に留めたキラキラのバレッタを指でそっと触ると、いつもと少しだけ違う自分がそこにいるような気がした。


 駅にいた謎の「女子高生に何でも買ってくれるおじさん」。一体何者だったのか――その真実は誰も知らない。

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