第9話 三竦みの舞台

「ああ、シノ! 今帰り? それと君は……」


 春の陽気が街を温かく包み込む中、流磨と柳は繁華街の一角を通り過ぎようとして、大柄な男に引き止められた。

 見知った顔に柳は軽く笑顔で駆け寄ったが、流磨はそんな自分の様子を見咎め、彼を見てぎょっとする。

「……お前、隣に座ってきた……?」


 ユエンは微笑みながら答えた。

「その時はごめん。本当に、怪しいものではないんだよ。おれ、シノのクラスに転入してきたんだ! 挨拶はもう済んでる」

 柳は興味を持ち、問いかけた。

「知り合い?」

「いや……」

 流磨は即座に否定し、なぜか柳から目を逸らした。


 ユエンは会話を進め、軽く言った。

「前、一緒にお茶飲んでね。あそこのカフェの抹茶ラテ、おれ大好きなんだ」


 流磨はその言葉に疑問を抱き、顔を歪める。

「は? ……なんだそれ……」

「ね。流磨くん?」

 流磨は口をつぐんだ。この一言が、流磨の不信感を一層強めてしまったようだ。


 彼らは自己紹介も交わしていない。故に顔を合わせたことがあるのは事実だろう。流磨の方が拒む理由がわからず、戸惑いのまま会話に介入し、ユエンに尋ねる。

「ユエンはこれから買い物か何か? 随分早く帰ったと思ってたけど」

 ユエンはリラックスした様子でポケットに両手を入れた。

「島を見て回ろうかと思ったんだ。まだ引っ越してきたばかりだから。2人は?」


 流磨が注意を促すように柳に言った。

「……おい、シノ」

 怪訝そうな目付き。しかし、何がどう気に入らないのか? 長年の付き合いだが、今回のようにあからさまに嫌そうな顔をする流磨は珍しい。興味がなさそうにしていて、意外に他人を見ているのが流磨だった。

 数秒のあいだ見つめ合ったが答えは出ず、ユエンに微笑んでみた。

「僕たちはジムに行って、今から帰り。君も今度、一緒にどう?」

 ユエンは興味を示す。

「いいね。混ぜてくれ」

「……俺、ちょっとトイレ行ってくる」

 流磨は髪をかきあげ、その場を去ってしまった。


 数分の後、柳は彼からのメッセージを受け取った。

『シノ、そいつに何か探られてないか? 変に何でも話すのは良くない。お前が人がいいのは知ってるけど、気づけよ。少しは警戒しろ!』


 流磨の警告を受け、内心でその言葉を考える。しかし表面上はユエンに対する態度に変化を見せず、優しい微笑を保ち続けることにした。


 「ああ、話の途中だったね。ごめん。今日は寄り道するつもりで、このあたりをぶらぶら歩いてたんだよ」

 本当は、柳らは自宅へと直接歩いて帰る途中だ。しかし今現在、ユエンに自宅の位置を知られてはいないはずである。柳は先程の流磨からのメッセージを受け、まずは自宅の位置を特定されないためのシナリオを考えだした。

「おれ、学生街に部屋借りててさあ」

 まだ戻らない流磨に向かい、手帳型デバイスを取り出して短く『わかった できたら話合わせて』とテキストを送った。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 三人並んだまま映画館の前を通りかかった。

「映画館か! でかいな。なんかすげー光ってるし!」

 柳が笑顔で応える。

「ここが島では一番大きいよ」

 ユエンは自宅が学生住居エリアの一角にあることを明らかにしてきてはいるが、それは彼の転校生であるという事情を考えれば当然予測可能な情報だったため、彼にその情報を隠す意思がないことがわかった。だが、それだけである。


 こちらを探る意図はあるが、自分の情報は隠さない。この条件はこちらに不利が明らかに大きかった。

 一つでも嘘が破綻すれば、瞬く間にドミノ倒しが起こるだろう。流磨がこのユエンと柳の会話に参加しようとせず、ただ二人のことを見つめているのは、今取れる最善手ではある。

 しかし、柳一人にユエンとの会話を任せている状況は、まるで狙われている彼を矢面に立たせたままにしているような居心地の悪さがある。流磨は苛立っていた。

 せめて目的がわかれば、柳に助け舟を出せるかもしれないのに。柳は柔らかな笑みを崩しはしない。

 微細な違和感。

 これは、柳のわかりにくい表情のレパートリーの一つだった。ただ、わかる人間が限られているというだけで。


「……海岸の方まで行ってみようか」

 自宅の近辺を歩き回ることを悪手と判断したようだ。このまま海に向かって歩けば、ふたりが平日には出向かない観光地エリアになる。日常に関する情報を与えないため。流磨も小さく息を吐きながら柳の目線に応えた。頷いて励ましを送る。


「ここって人工島だよな? 海岸ってなにがあるんだ? 砂浜は?」

 チェン・ユエンの目的はなんだ。単に柳に興味があるだけなのか? それにしてはおかしい。


「人工島だけど、なるべく自然環境に溶け込めるように、いろいろな技術が投入されているんだ。例えば砂浜も、海に入った人々が汚した水を綺麗にするための……」

 ミーハー心で近づいてくる相手は柳を質問攻めにし、握手やサイン、写真を求めた。

 または同じクラスになったなら、友人として自然な会話を楽しもうとする。それが今まで見てきたパターンだった。

 思わせぶりに振る舞っては、情報を得ようとしているのかもしれない。初対面での印象は最悪だった。極力感情を排してこの転校生について分析したかったが、柳の存在がそれを阻む。


「へー、すげーな。先端技術の島って言うから、もっと地球環境なんか知るか! みたいな感じかと思ってたけど」

「それはよくある誤解だね。この島は自然との調和を人の力で成す試みなんだよ」

 考えがまとまらない。これは、焦り? ユエンの操る言葉の巧妙さに、自分は焦っているのだろうか。いいや、そんなことを考えている場合ではない。

 目的はわからないが、自分に対してのときのように言葉で駆り立て、柳の内面に侵入しようとしているのだとしたら?

 それはやがて、彼の内面を深く知るものが避けられない秘密、パンドラの箱に不用意に触れること。その可能性が高まるということだ。


 だから柳は、簡単に友人を増やさない。人は寄ってくるが、内面を綺麗に覆い隠してきたのだった。

「……なるほど、そういう意味でも面白い場所ってわけか」

 このまま侵入を許す? こいつの意図のままに。

 そういうわけにはいかない。柳自身の意思においても、それは最も避けたいはずだ。

 流磨は最も隠された一面を知る者のひとりだ。この場で柳を守るために、できることを考えなければ。

「遊べるところはたくさんあるよ。本土まで行かなくても各種の施設は揃ってるし。遊園地も博物館もコンサートホールもある」

 大きな看板が輝く中、その場の会話は軽やかで、春の日差しのように明るい。主に、流磨以外の二人だけだが。


 何かを探っている。そう、それは間違いない。その対象は柳自身? それとも、彼の家か? ネオトラバース関係? 学校に纏わる何かが? 島の住民?

 他にこれという可能性が思いつかない。その正体がわからない限り、下手に情報を提供する訳にはいかない。手札が少なすぎた。


「観光案内所は空港にあるね。でも繁華街近くにも数軒あって……」

 一度流磨を軽く振り返って、柳が現状を確認する。

 流磨は怒りを押し留めながら二人を観察していたが、柳に口の動きだけで帰るか?と尋ねた。

 柳は首を振る。多分、移動してから二人になり作戦を練りたいか、何か策があるのだろう。


「海岸の方は観光エリアかな。住んでいるとなかなか行かないかもしれないけど、結構面白いものがあるよ」

 ユエンは答える。

「そっか。いいな、きみについていくよ! あ、アレ、この前アメリカで公開終了しちゃったみたいだけど、おれ見たから二人にオススメするよ」


 一つの新作映画のAR広告を指差したユエンは続いて、ネタバレにならない程度のあらすじを二人に紹介し、注意を引こうと試みはじめたようだった。

「有名俳優の主人公が、ある映画関係者から無実の疑惑をかけられて、苦労して築いたその地位から……えーと、突き落とされるんだけどね!」


 その時、柳は突然に身体を硬くし、わずかに歩調を乱した。流磨は、その微細な反応を見逃さない。


「面白いんだ。もちろんおれが見たのは英語だけど、吹替版も観たいな! シノ、流磨くん、今度一緒に……」

 ユエンは提案するが、柳は穏やかに話題を逸らす。

「僕は他のがいいかな。ほら、こっちの方が楽しそうだし」


 ユエンは彼の身体的反応に気付いたわけではいようだが、今、彼が懸命に話を逸らそうとしていることに気づいてしまったらしい。

「……有名俳優って言っても、声優の仕事が突然上手くできるわけじゃないんだなあ」

「うん」

 柳が短く応じるが、ユエンは獲物を狩る肉食動物のように、目を細めて続けようとした。

「主人公も……」


「やめろ!」

 流磨の大声に、映画館前の喧騒が一瞬静まり返る。


 流磨はユエンの眼を真っ直ぐに睨みつけた。

 柳への強い支持と、ユエンへの明確な拒絶を示す。その場の空気は、まるで刃物で切り裂かれたように、緊張に満ちた。

 ユエンが静かに答える。

「……流磨くん……」


 駄目だ。これ以上こいつと柳を会話させてはいけない。流磨は直感していた。

「……シノ、俺さっき言ったよな。これから気をつけろ。あとお前……シノを、探るな」


 周囲に数人の野次馬ができていることに気づく。小さく舌打ちをし、踵を返してそのまま柳の背を押す。そしてユエンを一人残して足早に去った。


 ユエンは、制服のポケットに両手を突っ込んで歩き出す。

「……しくじったかも……」

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