第7話 プロデビューから2週間全勝 第5戦 ネオトラバース界に舞い降りた死神
東雲柳の視界は、虚構と現実が交差する電脳空間に満たされていた。
試合はすでに熾烈な局面に突入しており、柳は自分の技術と集中力を限界まで引き出している。
観客席からは息をのむような静けさが漂っていたが、その静寂を破るように、実況の声が電脳空間を突き抜ける。
『ああーっと、東雲選手ここでさらなる加速! その身のこなしで相手の妨害を切り抜けるーッ!』
柳はフィールドを駆け抜ける。この競技に打ち込んでいる間、柳は生きているという実感を得ていた。
打ち砕かれた心の破片に、僅かながら感情が残っている。その欠片のひとつが、この領域にある。
この競技は、フィールドを駆け抜けてゴール相手の妨害行為を予測し、それを巧みに避けながらさらに前へと進むものだ。目指すは、遥か彼方のゴールゲート。シンプルな勝利条件に、バラエティに富んだステージギミック。そして相手選手の存在。
それら変化する要素が進路を阻み、取るべき対応を複雑化させる。そして、対応することで起きる数多くの変異が、予測不能なゲームを形作る。
実況の声で再び観客席からは感嘆の声が上がりはじめ、電脳空間は無限の広がりを思わせるパープルの靄にその声を広げた。
このゲームは、デビューしたばかりの新人の強さに対し、相手プレイヤーがいかに格の違いを見せつけるかで注目が集まっている。
しかし現在のところは柳の優勢だった。一部からは拍手さえ聞こえている。指笛、歓声にラッパ、ブブゼラ、シンバルに電子音、相手選手のサポーターによるブーイング。指先で流されるウェーブ。
観客席は混沌としていた。
『くそっ!』
相手プレイヤーの声が柳の到達した座標に響くが、柳は動じない。
「……よし」
この競技は、特殊な装置、
電脳世界という環境を最大限に活かすため、アバターがあるのだ。
更に現実世界で物理的に不可能な動きをすることもでき、プレイヤーは今回、高速で進化するデジタル都市の地形を駆け抜けることが求められている。
プロ向けのこの
色鮮やかなネオンが柳の白いアバターに反射し、その存在を強調している。
仮想空間上ではあるが、重力の生じる方向がビルを模した地面の区画によって変化するこの領域タイプは、かなり難易度が高い。
柳はこの試合が告示される前から類似タイプに合わせた練習を繰り返し、フィジカル面での努力も怠ることはなかった。
「……このコースはいい……調整のしがいがある」
それは独り言だったが、柳のいる地点を探るために音声を感知するプログラムを走らせていた相手選手の耳には届いてしまったようだった。
『なめやがって!』
柳は、特に相手選手について言及した覚えはなかった。しかし自分の発言が相手の気分を害したのであれば、詫びる気持ちもある。
今は試合中だ。余計なことを言ってしまうよりも、このままゴールを目指すことが何よりも優先される目的である。
柳は、超高層ビルを模したブロックを駆け抜けた。
宙返りをしながら、はるか彼方の別方向へ重量が切り替わるポイントまで滑り落ちる。
そして所定の座標に足先が合った瞬間、身体を捻り曲げて次の重力制御に従う。足先に変化をとらえた瞬間に姿勢を変える。
この動作でコースを進む鍵は反射神経。柳の得意とする要素だ。遅れれば区画上の壁に激突する。
プレイヤーは電脳空間上の定められた座標にあるギミックを利用してスピードをアップしたり、障害を回避し、ゴールゲートを目指してひた走る。
柳のアバターに飛行能力はないが、この領域ではまるで空を飛び回るかのように立体的にコース採りをすることができる。薄型のファブリック装甲が翻って風を切ると、まるで鳥になったかのように感じられる。柳はこのタイプを好んでいた。
「気持ちいいな……」
吐息のようにささやいた。今度は相手選手に聞こえなかったようで、安堵しつつ複雑な区画にスパートをかけた。
コースの各種ギミックや仕様については、選手双方に事前告知されているはずだ。
相手の装備や、仮想装甲、各種の特殊ギミックについても、公平に告知される。
柳はこの告知がなされた直後から、自分の経験と技術によって試合の流れをシュミレーションする計画を、幾重にも渡る考察を経て構築する選手だった。
この競技は選手にとって、試合中の反射神経や戦略はもとより、自らの能力値に加える調整とアバターのプログラム変更、装備の調整などの細かな仕事が積み重なった、見た目以上に重厚なものだ。
『……駄目だ! ブーツを差し替える!』
相手選手はサポートメンバーに向かって、加速機構を兼ねたブーツの交換を申し出たようだった。ミスチョイスだったのか、今交換すること自体が判断ミスなのか。
柳はその声を微かに聞き取ったため、彼のアバターデータから予測されるブーツのタイプに目星をつけ、出力を調整した。
幼年ルールで別名称のゲームでその内容に慣れ、プロ試合も存在するネオトラバースクラスへと上がってゆく。
貪欲に技術と戦略レベルの向上を目指してきた。
自分の中の多くを占めるこの感情は、人生そのもの。ネオトラバースというゲームのために生きている。そう柳のことを称する人もいるが、実際にはそれは少し違う。
突然現れた巨大なブロックを階段のように使い駆け上がるが、相手選手はそこで足止めを食ってしまった。
『……あれっ?! ここにこれ……?! ごめん、認識のミスだ!』
レースの進行中、AIがコントロールするコースは事前告示の範囲内で予測不能に変動し、ギミックの配置やコースの方向性が絶えず変わるため、速度を絶えず競うだけでなく、瞬間瞬間の戦略的判断が重要になる。
しかし何が出現するか、どこへ出現するかは今回、事前のデータに全て入っていた。これは複雑すぎるコースの仕様に対処しなければならない新人選手である柳への配慮だろう。
この競技の、容赦ない仮想物理による試練を跳ね除けて勝利を目指す過程が、たまらなく柳を夢中にさせる。
「もうすぐだ」
今回も試合を楽しめた。柳の胸は高鳴る。
輝いたシルバーの瞳がネオンの色を映し、ゴールゲートを捉えた。
白い装甲に付属するブーツの先端がスムーズな体重移動を助け、そのまま加速機構によって身体を弾かせる。
観客は、柳たち2人がネオンで彩られた都市を疾走する様子を見て、感嘆と興奮の声をますます大きくした。
『七色に光るネオンのブロックを掛ける2つの影! 先にゲートを潜るのはどっちだ!! もう目の前です! 東雲更に加速するーッ! この存在はもう誰にも止められない!』
ネオトラバースは、競技者と観客双方にとってのアドレナリン溢れる体験を提供する。相手選手は遅れを取ってはいるものの、直線的でスピーディーな身のこなしで柳に追いつこうと出力を上げた。
突然、試合は新たな局面を迎える。
フィールドが突如として液体のように変わり、柳の足元を揺らした。
「あ」
一瞬、観客は誰もが柳はその液体に足を取られるものと思ったが、素早い身のこなしで妨害を次々と回避し、逆に利用する。
液体のように変化した環境、その摩擦係数を指先で調整した。おかげで、スピードに乗ったままゴールゲートへの進路を変更することができた。
『対戦相手のフィールド液状化攻撃! それを逆手に取った戦法で、妨害を新たなスピードへ、新たな力へと次々変換してゆく東雲ーッ!』
液状の地面を通過し固形の座標へ到達するや、回転しながら水滴状のエフェクトを打ち払った。
『うわあっ!』
観客席からは驚嘆の声が溢れ出る。
『最後の直線! 彼を阻むものはもう何も存在しません! 全ての物質の先をゆくその姿は驚異! 驚嘆のプレイ精度、全てが彼の手の中にある!』
そして、最後の直線コースを柳が通過した瞬間、実況が叫ぶ。
『勝負が決まりました! プロデビューから5回戦にして、東雲柳選手華々しく五連勝を決めたーーーーッ! 強い! この少年の強さは、本物です!!』
ゴールゲートはネオンをモチーフにした光で装飾されたもので、その中央に立っている柳は、光を受けて淡く輝いていた。
柳は、遅れてゴールゲートを潜った相手選手に一礼して、静かに敬意を表す。
「……ありがとうございました」
相手選手は敗北を認めつつも柳に敬意を表し、未来の再戦を願う。
『本当に強いね、俺もまだまだだってわかった。またやろうな』
柳は相手の言葉に謙虚に応えた。
「いいえ、あなたの技は本当にすごかったです。やはり、プロの世界は厳しいんですね。勉強させていただき、ありがとうございます」
試合後、柳はフィールドを後にする。笑顔で歓声に答えるが、心は複雑な感情で満ちていた。
勝利の喜びと同時に、その勝利がほんの少しの運によるものだったことを知っているから、
ほんの一瞬だけ。
相手選手の妨害種別が液状化であることを失念していた瞬間があった。
その時、視界が少しでもずれていれば、柳はその変化を見逃して、領域上に転倒していたかもしれない。
今日の勝利は確かに嬉しい。でも、勝ったのは、あの瞬間の運が柳の味方をしたからだ。技術だけではなく、運も試合の結果に影響する。
だからこそ、だからこそ、もっと強くならなければならない。自分の技術と精神力をさらに鍛え上げて、運に頼ることなく、自分の力で勝利をつかめるようになりたい。
この道の先に何が待っているかはわからない。しかし、挑戦し続ける。それが柳が選んだ電脳世界の戦い方だから。
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