第6話 中学校入学。あの頃の懐かしい記憶と、少しの不協和音

 春の息吹が、中学校エリアの校舎の間を縫うように吹き抜ける。二人の幼馴染は、春の息吹と共に新しい学年への一歩を踏み出していた。


「クリス!」

 柳が遊歩道でクリスを見つけ、声をかける。彼女は振り向き、真新しい制服の裾を揺らしながら柳の方に歩み寄った。


「柳、先生と話終わったの?」

「そう。ネオトラバース部の話だったよ。ぜひ入ってほしいって。まだ入学式翌日なのに、気が早いよね。ごめん、待たせて。帰ろう」


 桜の下での会話は、これまでと変わらぬ日常の一コマのようでありながら、春の新しい始まりを感じさせる。

 クリスの姿は、この島では目立つ。きらきらと輝く金髪が揺れ、その眩しさに上級生が一瞬目を留めるが、その瞳の色を見て納得したのか、何も言及されることはなかった。

 彼女の瞳の色はスカイブルー。晴天のような美しい色を覗き込むのが、柳は好きだった。


「気が早い……そうかもね」

 高層マンションの自宅フロアが一階違いで、クリスタルと柳は赤子の頃から家族ぐるみの付き合いをしてきた。

 この関係は、階を隔てただけの近さにありながら、春の訪れとともに新たな節目を迎えていた。


「クリスは、部活に入るの?」

「バスケ部入ろうかなって思ってるんだ。小学生からやってるから……」

 柳は、体に対してまだ大きな通学バッグを背負いなおし、クリスに向き直った。


「脚速いし、クリスはきっと凄い選手になれるね」

 そう言って柳は、満面の笑みでクリスに期待をあらわす。しかし、クリスの心の中には、ある種の不安が渦巻いているようだ。その表情は晴れない。


「柳」

 短く声をかける。この声には、微かな震えが含まれていた。

「なに?」

 クリスは、少しだけ視線を斜め下に彷徨わせている。睫毛が金色に光を通す様子を、柳は綺麗だと思った。

「柳は、遠くにいっちゃったりしない?」

「え?」


 細い声、不安に満ちた質問は、内面に秘められた深い感情の複雑さを、ゆらぎへと変換しているようだった。


 決心したようにその手がクリス自身の制服のブラウスを掴み、胸のあたりに皺を寄せた。

 心臓の鼓動を抑えようとするように。肺から空気を、押し出そうとするように。立ち止まり、泣きそうな顔で柳を見おろした。


 柳は、彼女の苦しげなその様子に、少しだけ眉をひそめた。そんな表情の微細な変化は、きっとクリスか流磨くらいしか読み取れないだろう。

 理由を知りたい。だから、彼女が息を吸い、次の言葉を伝えるのを静かに、優しく受け入れる準備をした。


「柳も私も、得意なことがある。でも全然別々だし、柳はデジタルで私はアナログでしょ。このままそれぞれがんばって上手くなったら、そっちに夢中になっちゃって、そのうちお互いのこと気にしないようになったりするのかなって……」


 昔は、自分がクリスの前で泣き出し、彼女に慰めてもらうことが日常だった。今ではその立場が逆転し、泣いたクリスを慰めるのは、いつも柳の役目だった。

 しかし、今日のクリスが打ち明けた不安については、柳の反応はいつもと異なっていた。


「え?そんなこと心配してたの?」

「そんなことってなに!」

 クリスの不安を即座に察することはできなかったが、彼女の言葉には真摯に耳を傾けようとする。

 今から発する言葉は、全てクリスを安心させるためのものだ。

 ああ、良かった。まだ、彼女の目からは涙がこぼれてはいない。


「大丈夫だよ。ご近所さんなんだから物理的にも近いし、僕がネオトラバース……スターライトチェイスを頑張れるのは、クリスのおかげ。それを忘れたりは絶対、しないから」


 それぞれの努力は、ふたりの『友情』がこれから成長し、深まっていくことの証しだ。

 安心してほしい。僕がそばにいる。


「……柳……」

 柳の言葉に、クリスは小さく微笑んだ。

「早く帰ろう!クリス、今日数学教えてって言ってたでしょ。教科書の内容、軽く流し読みして予習しない?」

「うん……!」


 二人は桜並木を後にし、マンションへと向かう。


 花びらが風に乗り、周りを舞った。それは変化の象徴であり、新しい始まりの証でもある。


 それぞれが選んだ道を歩みながらも、お互いを支え、影響し合う存在であり続けるだろう。得意分野が異なるという事実は、かえってお互いの関係を豊かにし、互いの世界を広げる機会を提供すると、柳は思う。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 この暫く後、クリスは柳への恋心を自覚する。それはクリスにとっても大きな試練となる出来事であり、柳の『仮面』をより一層分厚く強固にするものとなるものだった。

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