第4話 思い出の音

 僕は手を引かれるままに彼女に連れられて、彼女の家の離れのような場所に入った。


「これは……」


 入ってみて絶句した。

 そこは小さめの音楽ホールのような作りで、学校のもの以上だとひと目でわかるほどのピアノが置かれていた。

 ピアノの他にも年季がそのまま深みに変わっているような蓄音器など、とにかく庶民の僕からしたら珍しいものばかりだった。


「どう?うちは代々音楽家の家系なの。曾祖父が相当にすごいピアニストだったらしくて、まあ私は会ったことないんだけど……」


「そうだったんだ……いや、大した反応ができなくて申し訳ないんだけど、言葉を失うってまさにこういうことだよね」


 僕と話しながら彼女はピアノの方へ歩いて行き、その蓋を開いた。


「もうおじいちゃんピアノだけど、お手入れだけは私がしっかりやってるから……」


 きれいなもんでしょ?と言って自慢してくる。

 生徒会長をしているからなのか、そう聞いてからはなんだか意外と芯の通った人だと感じていたが今の彼女の表情は幼さの見える少女のような顔だった。


「手入れだけなの?これだけしっかりやってるのに自分じゃ弾かないの?」


 こんなにピアノを大切にしているのに、自分で弾いていないなんてことあるのだろうか……。

 少しもったいないと思ってしまう。


「それは……まあ、いいじゃん!それより弾いてみてよ!また私歌うから!」


 今日は名曲のオリジナルメドレーを弾いてみた。

 夏葉さんも切り替わりから一呼吸も置かず、すぐについてきてくれて、まるで僕の演奏する曲を理解しきっているかのようだった。


「今日も最高だったよ!もしかして耳がすごくよかったりする?」


「うーん、どうなんだろう……まあ、両親が音楽家だしそういうこともあるかも」


 どうも先ほどから家族の話になると露骨に話を広げないようにしている節がある。

 他人の家族の話にはあまり首を突っ込まない方がいいのは常識だが……

 彼女のこの露骨さには、どこか無理やり聞いてくれた方が話しやすい、と言ったように感じさせられた。


「そういえば、お邪魔してるのに家の方に挨拶もしていなかったね。さすがに申し訳ないし、挨拶させてもらってもいいかな?」


「……い、いや、いいよ。そんなこと気にする人たちじゃないし」


「いやいや、僕の顔を立てると思ってさ?」


 着実に逃げ場を無くしていく。


「……ねえ、じつはちょっと性格悪かったりするの?」


 夏葉さんは恨めしそうな目でそう言ってくる。

 ……これは、僕の感覚が間違っていたか?

 聞いてほしいのかと思ったのだが……。


「あ、いや、本当に嫌だったらいいんだ。でもこれからも使わせてもらうなら大事かなって」


 これは心からの気持ちだった。

 だが、夏葉さんはそう思わなかったみたいだ。


「ああ、もう分かったよ!そうだよ!今日は家に誰もいないの!私は生徒会長なのに、誰もいない家に男の子連れてきちゃうような女ですよ!」


「ええっ!?誰もいないの?」


「そうだよ!……って、え?」


 想像とは違う方向で言いづらそうに、そして僕の方から聞いた方が言いやすいことだったようだ。



 ◇◇◇



「なんだ、それで言いづらそうにしてたのか!僕はてっきり家族との間に何か悩みがあって、無理やり話させる形にした方が話しやすいかなって思ったんだけど」


「ち、違うよ!(いや、全く違うとも言い切れないけど……)」


 

「と、とにかく!そういうことだから気にしないで!」


 耳まで真っ赤にした彼女はとてもかわいかった。



 なんとか夏葉さんを落ち着けて、二人で座り込む。


「落ち着いた?」


「もう、蒸し返さないで!」


「ごめんって」


 なんとなく、夏葉さんとの付き合い方が分かってきた気がした。


「そういえば、今日は学校で何か弾いたの?」


「ああ、教頭先生に一曲送ったんだ」


 教頭先生のあの顔を思い出すと、キザだと分かっても送ったと言いたくなる。


「キミがそこまで言うなんて、さぞよかったんだろうね?何を弾いたの?」


「校歌だよ。せっかく最後なら校歌かなって思って。ちょっとべたかもだけど」


「いや、最高のチョイスだったんじゃない?というかそういうの良いね。思い出の音って感じで」


 思い出の音か……確かに、音以外の気分の良さを味わえた時間だった。


「夏葉さんはさ、思い出の音ってある?」


「うーん、初めて聞いたお父さんのピアノかなぁ?というかさん付けしなくていいよ!もっとフラットに呼んで!」


「えぇ……下の名前で呼んでいるだけでも大分フラットだと思うけど……」


 これ以上フラットな呼び方って呼び捨てかあだ名くらいしかないんじゃ?


「碧斗くんには呼び捨てを許可しようと言っているのさ!言わせないでよ!」


 ノリがよさそうに笑う彼女は楽しそうだ。

 お父さんのピアノのことを思い出したからだろうか。


「そういえば、初めて聞いたお父さんのピアノってどんな曲だったんだ?」


「むぅ、呼び捨て!」


「いや、今名前を呼ぶシーンじゃなかっただろ!」


「いいから!呼んでよ!」


「分かったよ。夏葉」


「なあに?碧斗」


 ッ――――!


「あ、照れた!これでおあいこだね!」


 夏葉はさっきのすれ違いをまだ根に持っていたようだった。


「で、どんな曲だったんだ?」


 これ以上揶揄われる前に僕は無理やり軌道修正した。


「うーん、優しいのに激しいみたいな?」


「……曲名とかは?」


 調子に乗って弾いてあげようかと思ったが、これではどうしようもない。


「うーん、あれ以来聞いた覚えがない曲だから忘れちゃったんだよね……」


「お父さんはそれ以来弾かなかったのか?」


「……いや、その、なんていうか。私が聞かなくなっちゃったっていうか……」


 突然言いづらそうにごにょごにょと話し始める。

 やっぱり、なにか家族関係に問題を抱えていそうだ。

 

「じゃあさ、一緒にその曲探そうよ!思い出の音なんだろ?」


「いいの?」


「もちろん、ピアノを貸してもらう恩返しみたいな?いつもてきとうに弾いちゃってるし」


「いつものもいい曲だよ?碧斗くんが弾くとなんだか曲がよりすっきりするっていうか。とにかくすごくいい音だから!」


「そうかな?そうだったら嬉しいな」


 顔を合わせ笑いあった。

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