想いを音に乗せて
嵐山田
第1話 旧校舎
いつもと変わらない放課後。
旧校舎の音楽室を目指して歩く僕の足は軽快だ。
この私立松波学園高等学校は私立松波学園大学の高等部である。
1学年14クラスを誇る屈指のマンモス校だ。
数年前に理事長が代わり、それを機に小学校から高校までの全ての校舎が一新され、前校舎は使われなくなった。
新校舎の建設自体は割とすぐに終わった。
僕が初等部を卒業してから高等部へ進学する間にはもう新校舎へと変わっていた。
しかし、問題は旧校舎。
どういう意図かこちらも取り壊されることなく、今もまだそのままである。
気まぐれか意図されたものか分からないが、この偶然は僕には都合のいい話だった。
僕は
特段変わったことも無く、少し成績が良いだけの普通の高校生。
そんな僕の唯一の趣味がピアノである。
この旧校舎の音楽室にはまだピアノが運び出されないまま取り残されていた。
考え事をしながら到着した音楽室でピアノの前に座り、蓋を持ち上げる。
平日は僕が毎日使っているけれど、他には誰にも使われていないせいか少し埃が舞った。
しかし、そんなことは気にせず、赤い鍵盤カバーも捲る。
使い込まれてはいるが、埃やそのほかの汚れのない、どこか気品高くすら感じられるピアノ。
「さて、今日は何を弾こうか……」
僕は別にピアノを習っている訳では無い。
だからショパンだとかリストだとか高名な音楽家作曲の曲を弾こうとは思わない。
意識して聞いたこともないしね。
ただ小さい頃、家にあった電子ピアノを触っていたらいつの間にか好きになり、生まれつき音感が良かったのか、数回聞いた曲は楽譜が無くとも弾けるようになった。
とりあえず、すぐに頭に浮かんだ最近流行りのJPOPの旋律を奏でる。
うん。今日もいい音だ。
ピアノの音、鍵盤を叩く指、ペダルを踏む足。
それらの音がガラリとした音楽室に響く。
僕はこの瞬間が好きだ。
他の誰にも邪魔されない。
僕だけが音を奏でるこの時間。
まるで世界に自分だけになったような、少し寂しくもあり、爽快感のあるこの気分を味わうためにひたすら1人でピアノを弾いた。
どのくらい弾いていただろうか。
1度弾き始めてしまえば、その後は指の赴くままに任せ、自分の奏でる音の中に溶け込んでしまう。
だからこの僕だけの空間に他に人がいることには気が付かなかった。
パチパチパチと僕が手を止めたところで別の音が響く。
驚いて音の方へ顔を向けると、見慣れない人が1人。
僕が開けたままにしていた音楽室の扉からこちらを覗き込むようにして、僕を見ている女子がいた。
「すごい、いい音だね」
僕と目が合った彼女はこちらへ向かって歩きながらそう言った。
「……それはどうも。でもどうしてこんなところに?」
僕だけの時間、その余韻を邪魔され、ぶっきらぼうな口調で返事をした。
「気まぐれだよ。たまたま旧校舎に入ってみたらピアノの音がしたから」
彼女は僕の素っ気ない返事も意に介さず、そのままの調子で続ける。
「そっか。じゃあ僕は帰るから」
気まぐれで来たのなら、また明日も来るという可能性は低い。
余計なことを話して、ここでのこの時間が堪能出来なくなるのは勘弁だ。
「ちょっと待って!」
こちらに向かってくる彼女とすれ違って帰ろうとすると、結構な勢いで止められた。
「僕、もう帰るんだけど……」
「お願い!1曲、1曲だけ弾いて貰えないかな……?」
もし、違う人だったら即座に断っただろう。
でも、必死な声で僕にそう頼む彼女の声、その音は嫌いではなかった。
「……1曲だけなら、まあ」
彼女が気まぐれでここに来たのだと言うなら、僕も気まぐれで返してもいいだろう。
そのくらいの気持ちでこの提案を引き受けた。
彼女に頼まれた曲は名曲と知られる、JPOP……アニソンの定番だった。
頭に中に旋律を呼び起こし、前奏を弾き始める。
歌い出しに差し掛かり彼女は小さく、だがしっかりと息を吸い込んだ。
どうせ気まぐれだと、大して何も思わなかったが、その姿には目を惹き付けられるような何かがあった。
第一声、ワンフレーズ目を彼女が口にした瞬間、全身に衝撃が走った。
今までも何度か、弾いて欲しいと頼まれることはあった。
その時も気まぐれで弾いたり弾かなかったりしていたのだが、それに合わせて歌を歌うと言った人は彼女が初めてだ。
基本的に自分の音を邪魔されるのが嫌いな僕は普段ならいい顔をしなかっただろう。
しかし、今日は違った。
彼女の歌声が加わった音は僕には、僕の音を超えるものに感じられた。
そこからは自然と指が動いた。
彼女の声と僕の音が曲に合わせて踊っているような、そんな気分にさせられた。
今までに感じたことのないほど、自分の世界に没入できる。
だが今日は自分だけの世界じゃない、その見えない世界には僕ともう一人、彼女がいた。
一曲分の素晴らしい時間。
長く見積もってもせいぜい5分程度。
しかし、その充足感は数えられるようなものではなかった。
「……どうだったかな?」
僕の感動などつゆ知らず、最初の勢いはどこへやら……恐る恐ると言った表情でそう聞く彼女。
そんなもの決まっているじゃないか。
「最高だった」
もう、この一言に尽きる。
「そ、そう?でもなんか思ってた反応と違うような……」
これだけ大絶賛しているのに、何が不満なんだろう。
「君の声は僕の世界をさらに豊かにしてくれた。気まぐれだったけど、弾いてよかった」
「まあ、いいや。褒めてくれたし。じゃあね碧斗くん!」
「ああ、じゃあ」
手を振って走り去っていく彼女を見送る。
完全に姿が見えなくなって気が付く。
僕、名前教えたっけ?
見た目では学年は分からないが、ここにいる以上この松波学園高等部の生徒であることは間違いないだろう。
あれだけ目鼻立ちのはっきりした美少女、一度見たら忘れないと思うんだけど……。
僕は彼女の名前を知らない。
14クラスもあるのだから仕方ないと思うが条件は彼女も同じはず。
別に目立つタイプではない僕の名前が知られているなんて珍しいこともあるものだ。
そんなことを考えながら、僕も帰路につくのだった。
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