第5話

「トオタちゃん!次のお皿準備できた?」

『おら。さっさと次の皿準備しろってよォ!』

「いつつ!一一一分かりましたぁ!」


母熊亭に洗剤なんて便利なものはない。

皿洗いの方法は灰をまぶして残飯やら脂をこそぎ落とし、少ない水で洗い落とすというもの。

現代日本で生きてきた十太としては清潔さに不安があるが、ないものはないので諦めるしかない。

あれから十太は笑う母熊亭の一室に住まわせて貰う代わりに下働きをしていた。

といっても料理が出来る訳でもないし、酒の味も分からない。ましてやスマホの通訳なしでは会話も出来ない。

なので部屋の掃除と皿洗いが十太が出来る唯一の仕事だった。


「もう!切れ味悪いわね!!」


そんなぼやきが聞こえてくる。

いちいち全ての会話を通訳してくれる様な殊勝なスマホではない。錆だらけの包丁を野菜に叩きつけながら苛立つジンジャーを見て想像しただけだ。

難民街の状況は良くはない。

壁の大門周囲はわりと治安は良い。だが元々はただの平原である。

井戸や川などまともな水源は存在しない。なのでどこもかしこも水不足だし、日々増える難民により食料不足も深刻だ。

難民街でまともな部類に入る店である母熊亭でも、あらゆる物資が不足していた。

例えば包丁はノコギリのようにギコギコ曳かないと切れないし、鍋は一つしかないから一度使うとまともに洗わずに次の料理に使われている。

まな板なんてカビの黒ずみが目立つから、正直これで切られた食材を食べたくない。

それは現代日本で生きてきた十太しか思わない訳ではきっとない。ただ彼らはという贅沢が出来ないのだ。



夜。



粗末なベットに横になり十太はスマホに話しかけていた。

裏面の顔に似た模様は無数の鉄板が合わさって出来ており、カシャカシャと動いてはその表情を変える。


『けけけ。で?何の用だよ青瓢箪』

「その青瓢箪ってのやめれ」

『ならハナたれ小僧だ』

「はあ。もうそれでいいや。・・・頼みがあるんだ」

『あァん?またぞろ剣でもぶん回したいってか?やだねェ、人間ってのは。力を得るとすぐ調子に乗るんだからよォ』


違うと声をあげようとするとビキビキと身体が悲鳴を上げる。


「いだ、だだっ!」


十太は今日の朝から壮絶な筋肉痛に悩まされていた。指一本動かすだけでも唸り声を上げてしまうとんでもないレベルの筋肉痛。

だが居候一日目に筋肉痛で働けませんなんて言える訳もなかった。


『けけ。昨日はを抜いたからなァ』

「そうだ!それも聞きたかったんだよ。・・・あの剣はなんなんだ?」


抜刀した瞬間。目に映る全てがスローモーションになり身体が勝手に動いた。

・・・いや勝手に動いたというよりも自然と動いたと言うべきか。

剣なんて握った事もないはずなのに、あの瞬間は何十年も剣を降る続けていたのではと錯覚するほど剣が手になじむあの感覚。

どのように身体を動かし、どの部位を、どの角度で斬ればいいのか。

全てが呼吸するように自然と理解出来た。


『全身筋肉痛程度で済んでるだけでも奇跡だぜェ』


ひひひ!とひときわ大きくスマホは哄笑した。


「どういうこった?」

『抜いた者に最高の剣の腕を付与する。はそういう代物なんだよ』

「なんじゃそら・・・」

『素人に金メダリストと同じ動きをいきなりさせて身体が無事だと思うかっつー話だよォ』

「そりゃあ筋肉痛にもなるヴァ!?」


背中の筋肉でもつったのかびくりと十太はのけぞってベットに突っ伏す。

それをジッと冷めた眼でスマホは観察していた。


(本来はそんなレベルの話じゃないんだけどなァ。だからこそ動きは抑えたんだがァ。一一それでも靱帯断裂やらの深刻な怪我を負ってもおかしくない動きだったんだがなァ)


だが実際はどうだ?

酷いとは言え目の前の青年は筋肉痛程度で済んでいる。

そんな真実があるとは知らない十太は、はぁと大きなため息をついてのんきに頭を掻く。


「まあ筋肉痛で命が助かったと思えば安いもんか?」

『・・・』

「おい。なんだその不穏な沈黙は」

『一一ひひ、まあいいじゃあねえか。んで頼みってのはなんだよォ』

「言葉を、教えてくれないか?」

『やだねェ』

「え!?」

『お勉強が好きなら自分で勝手にやりなァ』


そう言うとスマホはくるりと回転。画面を十太に向けた。

スマホの中にはいくつかアプリが入っており、その中の一つが勝手に起動する。

《バカでも分かるユグドラ語》という名にそこはかとない悪意を感じる。


「これは羽ペンですか?いいえこれはリンゴです」


まるで昔の英語の教科書にあった、絶対に日常生活で使わないであろう会話がユグドラ語と日本語で記されていた。

リンゴとペンを見間違うとか、もはや病気を疑うレベルの見間違いだろ。


(まあ読み方や文法が例文で記されているから役には立つだろうけどさ・・・)


どうやらこれで自分で勉強しろという事らしい。

この底意地の悪いスマホは気分次第で訳さなかったり、内容を適当に喋っている節がある。やはり自分で喋れるようになる必要があるだろう。

一瞬見えたアプリの中で気になるアプリもあったが、それは後回しにする。


そうして夜は更けていった。





昼間は掃除が十太の仕事だ。

さんざん祖父にやらされていたので掃除はお手の物・・・と言いたい所だが、まだまだ根強く残る筋肉痛と掃除道具のボロさで思うように綺麗にならない。

どうしたものかと思案しているとふと昨日見たアプリのひとつを思い出す。


「お、あった。」


スマホをいじりアプリを開く。

《異世界通販》

金銭の代わりにMPというのを消費して地球あちらの商品を買えるようだ。

このMPとやらが何なのか分からないが残MPは3000もある。

画面に並ぶのは見慣れたあちらの世界の品物。

その中からいくつかを購入する。おかげでMPは100をきってしまったが必要経費というやつだ。


「よし!」


酒場の開店は夕刻からなのでまだ厨房は静かだ。


「あら。どうしたのトータちゃん?」

「あ、ジンジャーさん」


手に持った品の数々を説明しようとしてふと我にかえる。

言葉も分からない人間が、物資の少ない難民街でどうやってを手に入れたというのか。

嘘が得意ではない十太は結局バカ正直に話す事にした。


「ふむん」


立派な割れ顎をさすりながらジンジャーは静かにスマホの通訳を聞いていた。

静かに考え込むジンジャーを見て、十太はバカ正直に話をした事を後悔した。

それもそうだ。

鉄板スマホを使って異世界の品を手に入れましたなんて、普通信じられる訳がない。

しかし今更やっぱ今のなしなんて言えない。

こうなれば実物を見せるしかないと厨房から包丁を預かると裏庭に出る。

水を吸わせた砥石に包丁を滑らせる。

角度を固定して奥から手前に。

甲高く小気味よい音が一定のリズムで鳴る。

反対側も同じように研ぐ。錆や欠けがなくなると砥石を裏返す。

この砥石は表と裏で目の細かさが違うもので一個で荒い研と仕上げの研、両方が可能な砥石である。

実家でもよくお世話になったものだ。

錆と欠け。その両方がなくなり刃はぬらりとしたなまめかしい輝きを取り戻した。


「これはすごいわね!」


ジンジャーは黄色い声をあげた。

ぴかぴかの包丁を持って厨房に戻るとカゴにあった果物で試し斬りを行う。のこぎりの様に曳かないと切れなかった包丁はストン!と果物をいともあっさりと輪切りにした。

喜ぶジンジャーは十太に礼を述べると改めて砥石をみる。

それは見たこともない砥石だった。

どうやっているのかは分からないが綺麗な長方形に成形されているし、上と下で違う種類の砥石が一つに接着されている。

あちこち旅して来たジンジャーでも見た事のない代物だった。異世界の品だと言われれば納得できない事もない。


(それに・・・)


同じように紹介されたまな板に鉄タワシ、バケツと雑巾をみる。

全てこんな難民街で簡単に入手できるような代物ではない。ましてや鉄板がなくては言葉も満足に話せない少年では。決して。


ーーーまっ、いっか。


そうジンジャーは居直る。

どうせ真相なんて自分では判断出来ないのだし、大事なのはこの包丁が新品同然に蘇り、便利な道具が手に入ったという事実だけだから。

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