ブルルバラン ポシェルタのロケットとレイテンシアの聖剣

佐田ほとと

プロローグ

 最期の瞬間は体が倒れるスローモーションの映像だった。手に持っていたホットコーヒー入りの紙コップがぶちまけられ体にかかったが熱くなかった。もしかしたらコーラだったかもしれない。コンクリートに引かれた白線に真っ黒い染みができた。

 駐車場で俺は死んだ。なんでかは知らない。死んだということは知っている。

 ここで死んだら駐車場のメーターが上がり続けるかもなんて考えた訳はない。

 走馬灯なんてありはしない。レールどころかベルトコンベアに乗った既製品の人生にそんなものはない。

 と言ってはみたが、これは暗すぎた。

 そんな奴がのんきにコーヒーまたはコーラを買うわけがない。

 いや買うかもな。

 でもまあろくな人生じゃなかった。実のところ、俺は過剰な労働に愛想をつかし、反旗を翻し、むちゃくちゃやって辞めるつもりだったのかもしれない。というかそもそも俺は働いてたのか?

 よく覚えていない。


 これは異世界転生の物語である。俺がもともとどういう人間だったかってことは長々と語らない。

 でもまあ俺はいい人間だったと思う。

 善人。いい人。人畜無害。そんな感じ。もしかしたら心無い言葉で誰かを傷つけたかもしれないし、気持ち悪い虫を叩き潰したし肉を貪ったし草木を引き抜いて踏みつけたりしたこともあるが、人は皆それぐらいする。寝るのと同じだ。俺はずっと寝ていた。

 来世があるなら来世に期待したっていいよな。

 つまりこれから剣と魔法のファンタスティック中世な生活が、チートな能力が、ハーレムな毎日が、スタートするってことにしてくれ。なってくれ!


 聞いてる? 女神様?


 女神=お姐様=わたしは曖昧に微笑んで、

「“ブルルバラン”と言いなさい」と言った。



 ◇◆◇◆◇



 目覚めは謁見の間だ。映画の騎士叙勲のシーン、あるいはヨーロッパの王族の戴冠式でしか見たことのない情景のど真ん中に俺がいた。俺だけが赤いカーペットに跪き、周囲の視線にさらされた。閉校する学校の卒業式みたいな気分だ。


 左右の壁際にずらりと並んだ直立不動の人間たち。彼らは鎧、ローブ、中世の貴族装、スーツ、ドレス、つなぎ服、けばけばしい色味のコートまで、俺に服飾の歴史知識と語彙があれば表現できただろう多種多様な衣服に身を包み、多くの人間が花束を抱えていた。


 目の前の玉座には赤いドレスの煌びやかな女が座っていた。肘をついた右手の指先にはエメラルドが輝いた。女王というところか。身分の高さを象徴するように、低い段差の連なる頂上に玉座があって、俺は少し見上げた。


「よくぞ参った。異世界人よ」とその女王が言う。完璧な日本語のトーン。言語の問題はない。


「歓待の言葉を述べたいところだが」いったん広げられた両手はすぐに閉じられる。

「我々は時間が惜しい。見下げるのも疲れる。さあ、“ブルルバラン”と言え」


 目覚めて時間もなく、見知らぬ人々に囲まれ、端的に命じられ、普通ならなんだかんだ言うところだが、女神の言葉もあり、俺はあっさりこう言った。


「ブルルバラン」


 俺は何かが起こると期待したし、おそらくこの大広間の人々も何かしらを求めていたに違いない。言えと強いられて、言ったのだからイベントが発生するのが定石だ。


 しかし何も起こらなかった。


「はずれか」


 女王がそう言うと、ため息や咳払いが周りから聞こえた。映画館でエンドロールを見終えて明るくなったときみたいに、空気が緩むのをありありと感じた。ポップコーンを噛んだような舌打ちの音も耳に入った。花束が四方八方から飛んできた。足元が花で一杯になった。俺を中心に万華鏡を作ったみたいだ。


「ブルルバラン」と俺はもう一度言ってみる。間抜けな響きだ。


 何も起こらない。


 俺には何がどうなったのかわからない。言葉を言わされて、女王がそれを受けていわく、「はずれ」。


 はずれ?


「はずれとは、どういう……意味でしょうか」周りから厳しい視線を向けられて声がしぼむ。

 女王は手を顔の前で手をうるさそうに振った。鎧を着た人間が花を踏みつけながら近づいてくる。逃げ出そうとする。後ろを振り返る。扉がある。でもだめだ。全身鎧が逃げ道を塞いでいる。完全にマークされ包囲網が狭まる。ラグビー選手より屈強な人間がこんなにいるのは見たことがない。


「当たりではない、という意味だ」まるで役に立たない辞書のような返答。腕をがしりと捕まえられ、関節を極められる。口から嗚咽が漏れた。


「追い出せ」と女王が命じた。錆びつきかけの機械のような、滑らかさとは無縁の動作で、全身鎧が俺を掴み、ひきずっていく。踏ん張ろうとすると蹴られる。

 痛い。

 もっと優しく運んでくれよ。

 自分で出ていくよ。


「あの、ちょっと……」と口を開くと殴られた。鉄骨が落ちてきたのかと思う。それぐらい非現実的に痛い。


 大広間の扉が開く。そして連行される惨めさと訳のわからなさの中、もう一度殴られて、俺は意識を失った。

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