もやもやした日の精神安定モンブラン②

 今、透子が求めているものを自分に問いかける。モンブランがなかったら。栗。甘栗。違う、と思う。ケーキが食べたいのとも違う。それでは満たされない。

 そうだ、あのうねうねした栗のクリームが食べたいのだ。もしも次のコンビニになかったら、会社近くと同じコンビニがある。あそこにあったマロンクリームのどら焼きにしよう。


 そんなことを考えながら、透子は道沿いにある次のコンビニに向かった。

 スイーツコーナーには思い描いていた形状のモンブランがあった。しかし、絹糸のように美しく絞り出されたクリームの色がオレンジがかっていた。見るとかぼちゃのモンブランとなっていて、がっかりしてほかを見回す。今日は栗でなければいけないのだ。透子の中で代替として許容できるものは見当たらなかった。

 目的のものが見つからないというこの状況が、さらにストレスになっていることを透子は自覚している。それでもこの欲求に抗うことはできなかった。


 透子は諦めて、次のコンビニを目指した。栗のクリームがたっぷり入ったどら焼き。どら焼きの皮も、代替としては魅力を感じられた。もしもなかったら、ということはなるべく考えないようにする。

 馬鹿みたいだと思いながら、早足でスイーツコーナーに向かった。もはやパッケージもよく見ずにどら焼きを手に取ってから、固まった。生クリームとあんこ、の文字。これではない。

 会社近くのコンビニとは棚の並びが全然違うとはいえ、見ている場所は間違っていない。


 ああ、どうしよう。

 透子は焦燥感に駆られる。モンブランなしでは、もう気はおさまらない。けれどもまた次の店を目指すことに、すでに強いストレスを感じていた。

 ほかに、宥められるものはないだろうか。透子はスイーツコーナーを祈るような気持ちで見回した。 

 そして、見つけた。透子が探し求めていたものを。


 最初のコンビニで見たカップに入ったモンブランではない。ケースに入ったモンブランは名前の通り山の形で、絞り出したマロンクリームがぐるぐるとまわりを覆っていた。

 大げさではあるが、透子にはそれがとても輝いて見えた。食べたかったもの、欲していたものを見つけられただけで積もっていたストレスの幾分かは消えていった。

 透子はとても丁寧にモンブランを手に取った。



    *   *   *



 家に戻った透子はさっそくそのモンブランのふたを開けた。少し悩んで、結局皿に出すことにした。白い皿には花の模様の凹凸があり、レースのようで透子は気に入っていた。

 マグカップに紅茶のティーバッグを入れて、沸かしていたお湯を注ぐ。紅茶がふわりと香る中、白湯が色を変えていくのをぼんやりと眺めていた。

 やるのはよくないと聞いたことがあるが、ゆらゆらとティーバッグを揺らしてから、用意しておいた小さな皿に取り出した。


 透子はてっぺんのマロンクリームをフォークで掬って、口に入れた。栗の香りとクリームの甘みがじんわりと口いっぱいに広がった。いや、体全体に染みわたるようだった。

 嫌なことやもやもやがすべて洗い流されるなんてことはない。きれいに消え去ったりもしない。それでも、このモンブランはささくれだった透子の気持ちを安定させる。もやもやしたものやイライラを、少しだけ和らげてくれる。


 特効薬のようなものがあったら、と透子は思うこともある。たとえば「推し」や偏愛するもの、趣味、そんなものがあって、それがあるからがんばれる、何かあってもそれがあれば元気になれる、そんなものがあったなら、と。

 でも、ないものは仕方ない。だから透子はときどき自分の今求めているものに耳を傾ける。今欲しいものは、必要なものだと思うから。

 これを透子はわがままだとは思わない。いや、わがままでもいいのだと思っている。


 一口ずつ丁寧に、透子は食べるという行為をする。それだけに集中して、ただ繰り返す。目の前のモンブランに向き合う姿は、どこかおごそかな儀式のようですらあった。

 実際、透子の精神衛生の観点では儀式に近いのかもしれない。自分の心をゼロに戻す祈り。


 モンブランは甘かった。透子が想像していたよりも。けれども透子の手は止まらなかった。一口運ぶごとに口の中が甘くなると、必要以上に入っていた全身の力が抜けていくのを感じた。力が抜けていくにつれ、透子は泣きそうになった。泣かなかったけれど、気持ちは緩んでいった。

 最後の一口まで食べ、紅茶を飲み終え、ほっと息をついた。


 透子を支配していた感情はだいぶ息をひそめ、気持ちは落ち着いた。


「まだ大丈夫」


 透子は小さく呟いた。声に出したことすら、自覚していないかもしれないほど小さな声で。心の内で何度も、大丈夫、まだ大丈夫、と繰り返す。


 今日、ここまで気持ちを戻せたからまだ大丈夫。明日もまだ大丈夫。明日も仕事に行ける。自分に言い聞かせるように、透子は何度も呟いた。

 こんなことで、と何度も思う。でも、こんなことで、じゃないとも何度も思う。

 精神を安定させるものを、透子はこれからも何度でも求めるだろう。でもそのことを、つまらないことだと自分で蔑まない。今の透子に必要なものだったのだから。


 誰も、透子のもやもややイライラを解消してはくれない。機嫌だってとってはくれない。自分で何とかするしかない。

 だから透子は自分を甘やかす。自分に必要なものを与えて、宥めて、大丈夫だと言い聞かせる。


 大丈夫。明日もちゃんと働ける。



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