藤島透子は今日も会社を辞めたい

りお しおり

藤島透子という人

 藤島ふじしま透子とうこは、今日も会社を辞めたい。


 藤島透子はずっと会社を辞めたいと思っている。具体的な理由があるわけではない。瞬間的に不満が爆発することはあるが、それは決定打ということでもない。強いて言うならば、大小の不満が降り積もった結果、漠然と常に辞めたいということである。

 透子は漠然と会社を辞めたいと常々思っているが、その感情の強さは一定ではない。衝動的に辞めてやると思うほど濃い感情になることもあれば、嫌だな働きたくないなとぼんやりと感じていることもある。


 藤島透子は自分の勤めている会社が別段ブラックだとは思っていない。世間の話を聞く限り、限りなくホワイトな仕組みなのだろうと思っている。しかし、仕組みがホワイトだからといって、ホワイトな会社だとも思えないのが本音である。

 また、透子はそもそも仕事が好きではない。やりがいも感じない。仕事はあくまで生活するための手段である。達成感や嬉しいこと、やってよかったと思うことがまったくないわけではもちろんないけれど、それがやりがいとも思えないのである。置かれた場所で咲けと言われても、少しも咲ける気がしていない。


 そんなに嫌なら転職でもすればよいだろう、と思う人もいるだろう。けれども、藤島透子は重い腰をあげることはできない。

 理由はいくつかあるが、そもそもやりたいことがないということと、採用してくれる会社があるのかという不安が大きな要因ではないだろうか。

 やりたいことがないのでそれに向かって何かをしようと思えないのだ。エネルギーを要する転職よりも、まやかしの安定に身を委ねていることが楽なのだ。また、自分がたいして優秀でないこともわかっているので、転職を決意するには至らない。

 そうであるので、好きではない仕事を辞めたいなどと日々思いながら、生きていくために嫌嫌働いているわけである。


 このように藤島透子は仕事に対して非常にネガティブな人間である。荒波とも呼べないような会社のぬるま湯に浸かりながら、時々溺れそうになっている。

 この働き方が誇れるようなものではないと透子は自覚している。仕事が好きだと言える人を尊敬するし、いきいき働いている人を羨ましくも思う。一日の多くの時間を過ごすわけであるから楽しくあるべきだろうし、置かれた場所で咲いたほうがよい。

 そんなことはわかっている、と藤島透子は思っている。わかっていても、そうなれないのである。

 仕事を好きになろうとか、どこかにやりがいを感じようとか、楽しもうと努力したこともある。しかし結局仕事は仕事でしかなく、心持ちを変えることができない自分がだめな人間なのだと落ち込んだこともある。


 それで藤島透子は思ったのだ。仕事が嫌いで何がいけないのだ、と。

 もちろん好きに越したことはないだろう。多くの時間を費やすことだから、やりがいがあって楽しいほうがよいに決まっている。だけど好きになれないと落ち込むくらいなら、仕事は生きていくための手段だと割りきったほうがよほどよいではないか。

 だめな人間だと自分が嫌いになるよりも、仕事が嫌いなほうがいい。何せ自分という存在は、仕事以上につきあっていかなければならないものなのだから。


 しかして藤島透子は会社も仕事も嫌いなまま、働いていくことにした。自分のことを適度に甘やかしながら。


 もしも藤島透子に「推し」や沼にハマるような好きなことがあったならば、彼女はそれを励みに、あるいはそれに癒されながら、仕事に向き合えたかもしれない。しかしながら彼女には、そこまで夢中になれることはない。

 そういう何かがある人を透子は羨ましく思うが、自分はそうではないということを受け入れつつある。特効薬のようなものがないからこそ、透子は試行錯誤を繰り返すしかないのだ。


 これは藤島透子が、自分の機嫌を自分でとりながら、自身を宥めすかしている日々の記録である。

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