第4話 おしぼり事件の答え合わせ

 夕方の6時。ラストオーダーも終わり、店じまいの時間。

 外に出していた看板は中に入れ、コーヒーメーカーの電源も落として電気の光も最低限。

 そんな最低限の電気の下で、カウンターに立つ2人の男女は目を合わせていた。


「河内さんはもう帰っていいですよ」

「いんや、ちょっと面白そうだし見とくよ」

「そうっすか」


 円形の席で腰を下ろす文月は頬杖をつき、真剣な面持ちの2人を交互に見た。

 けれど、その真剣さには似合わないニヤつきが龍樹の顔にあった。


 それは犯人としての余裕の笑みなのだろうか。はたまたただの演技強がりなのだろうか。

 それは文月。そして佳奈恵にもわからない。


「んで?謎が解けたって言ってたな?」


 初めに口を開いたのは犯人側の龍樹。

 隠そうともしないニヤつきを浮かべながら、更に言葉を紡ぐ。


「昼にも言った通り、今のままじゃ解けないぞ?」

「なんで解けないと言い切れるんですか?」

「ん〜そうだな〜。犯人が言うのも何だけど、見るところがあまりにも少なすぎるから、かな」

「見るところが少ない……?」

「そだな」


 そう言葉を返した龍樹は、「手始めに」と言わんばかりに人差し指を佳奈恵に向け、そして文月の隣の椅子に吊るしている自分のエプロンを指さす。が、すぐにその指を下ろした。


「違うな。今は俺が探偵役じゃなかったな」


 犯人のあるまじき行動に思わず苦笑を浮かべてしまう龍樹は、これ以上推理をしないためか、まるで降参したかのように両手を上げて頭の後ろで組む。


 今、2人の中で推理できるのは佳奈恵のみ。

 どんなに頭が切れる犯人だろうが、探偵に助言するような推理は披露しない。

 故に、今の龍樹の行動は愚行だったのだ。2人のルール。探偵ごっこのルールに反した行為だったのだ。


「先輩。いつも解く側だからといって油断しすぎです」

「だな。すまん」


 相変わらずに苦笑を浮かべる龍樹は小さく鼻で息を吐いた後、


「あとでコンビニな」

「当たり前です」


 ルールを破った者には罰がある。

 この神聖な推理ショーの邪魔をしない罰。そして地味に嫌がる罰。

 それがコンビニ――でプリンを奢ること。


 佳奈恵のプリン好きから決まった罰なのだが、高校生のお財布にはそのプリン一個ですらもったいないと思えるほどに貧しい。

 だから2人は細心の注意を払って探偵ごっこをしていたのだ。


「それでどう解けたんだ?教えてくれよ。その名探偵の推理を」

「もちろんです。じゃあまず、結論から言いますね?」

「……まずってなんだよ」


 そんなツッコミを小声で入れた龍樹はジトッとした目を佳奈恵に向ける。

 だが、気にも止めない佳奈恵はおしぼりが入っている籠の前へと移動し、顔の少し上でその籠を両手で掴む。

 そしてスッと軽い息を飲み、ジロッと龍樹の目を見上げながら口を切る。


「結論を言いますと、『この籠にはなにも入ってなかった』です」

「ほう?というと?」


 結論を聞いてからの龍樹の顔は無表情。当たったのか、はたまた当たっていないのかは本人にしかわからない状況。

 けれど、そんな顔にも怖気づくこともない佳奈恵は淡々とその結論に至った理由を綴りだす。


「私は前から先輩に『この店はかなりお客さんが来るよ』と言われてました。実際に、あれ以降推理が披露できないほどにお客さんが来ました」

「うん、来たし言ったな。でもそれとこれとにどんな繋がりがあるっていうんだ?」

「私がここに来た時間は13時。この喫茶店は主に軽食とスイーツを売りにしています。つまり、昼時にお客さんがあまり入ってこない理由にも納得できます」


 ふむふむと相変わらず頭の後ろに手を組んだままの龍樹は頷き、特に口を挟むことのない文月は佳奈恵をジッと見つめる。


「ここまで言えば分かりますよね?」


 まるで推理を促すように、龍樹の目をジッと見つめる。

 そうすれば、龍樹は頷きをやめ、コテンと小首をかしげた。


「つまり『午前中にいっぱいお客さんが来ましたよね』と言いたいんだろ?」

「そうです」

「ん〜わからんな〜」


 やっと頭の後ろから手を開放した龍樹はそのかしげた顎に手を添え、佳奈恵ではなくておしぼりの箱を見下ろす。


「な、なにが分からないと言うんですか!午前中にお客さんがいっぱい来て、おしぼりを全部配布しきったら私の推理が正しいと言えます!」

「探偵さんはその箱に入っているおしぼりがぴったし尽きるとでも思っているんですかね?残念ながらこのお店に来る人数も分かっていないのにそんなのは無理だ。たまたま運良く尽きたとしても、今日はその日じゃないし、それこそなにも知らない河内さんがおしぼりを追加するだろう」


 そこまで言い切ると龍樹は顎から手を離し、そして顔をまっすぐに戻す。

 まるで勝ちを確信したかのように右頬を吊り上げ、推理ではなくあくまでもを語っていく。

 憶測なら大丈夫だと確信を持ち、そして佳奈恵からおしぼりの籠を取り上げた。


「降参か?」

「……先輩は入ってたと言うんですか?」

「『先輩は』というか、俺が隠したんだからそりゃ入ってたと言うしかないんだが」

「先輩。悪いですけど、この喫茶店には隠せる場所はありません。それこそ私が見た棚も、もちろん他の棚も、冷蔵庫の中も、どこか箱の中も、どこにも隠せません」

「どうしてそう思う」


 ジロッとおしぼりから佳奈恵へと目を向け直した龍樹は問うが、今度は佳奈恵がおしぼりの箱へと目を移動させてしまう。


「『頑張れば見つかる』と言ったからです。先輩の傾向を知ってる私だから言えますけど、先輩はそんな浅はかな隠し方はしません。時間をかければ見つかるような場所になんて」

「んなもんどこでもそうだぞ?時間をかければどこだって見つかる」

「違います。先輩は推理で解いてほしいんです。筋肉を使うのじゃなくて、頭を使ってほしいんです」


 実際、これまでの龍樹の問題からして筋力で解決することはなかった。

 なにかを探すにしても、犯人を当てるにしても、絶対に筋力を使うことはなかった。

 だから佳奈恵は戸棚を開けた時、すぐに頭の中に答えが浮かび上がったのだ。


「はぁ……まぁ、そうだけども」


 呆れ混じりのため息を吐いた龍樹は後頭部を掻き、やっと交わった視線の先で「もういいか?」と言葉を紡ぐ。

 ニヤつきはないものの、勝ちを確信した声色で。


「……私の推理が間違ってると言うんですか?」

「だから最初からそう言ってるだろ」

「…………じゃあ、私の納得がいくように説明してください」

「はいよ」


 不承不承ながらも降参だと言わんばかりに小さく手を上げた佳奈恵は眉間に不服気にシワを寄せる。

 言わずとも分かる通り、この状況に陥ったということは佳奈恵の負けが確定したということ。


 1度自分の答えを出してしまった以上取り消すことも出来ず、別の答えを提示しても「じゃあさっきの推理は?」と揚げ足を取られるだけ。

 即ち、たった1度のミスが、探偵にとっては命取りになるのだ。


「んじゃ裏行くぞ」

「……裏?」


 突然言われた龍樹の言葉に、思わず目を顰めてしまう。

 裏には確かに段ボールやら袋やら、色んな物がある。が、おしぼりを隠す場所などどこにもないはず。


 そう頭の中で思う佳奈恵なのだが、犯行を行った犯人が裏に行くように促しているのだ。

 その推理が間違っていると言われた以上、探偵にはなんの権限もない。だから佳奈恵はそれ以降口を開くことなく、黙って龍樹の背中を追いかけた。


「じゃあ結論から言うな?」

「……はい」

「この籠におしぼりは入っていた。河内さんが追加したおしぼりがたんまりと」


 それを証明するためにか、後ろをついてきていた文月に顔を向けた龍樹は「ね?」と首を傾げる。

 さすれば、なんの疑いもなく「うん。入れたよ」と縦に顔を振る文月。だが、すぐに龍樹同様に小首をかしげた。


「でもすぐになくなったよ?入れたはずなのに、目を離した瞬間おしぼりがなくなって、そして佳奈恵ちゃんが来た」

「だとさ?ちゃんと証言は取っとけよ」

「……はい」


 籠に元々おしぼりがあったことを確認し終えた龍樹は机に籠を置き、そして左側のスチールラックに手を伸ばした。上から2番目の、おしぼりが入っている袋に向かって。


「……それにおしぼりを戻したと言いたいんですか?でしたら未開封でしたよ。昼にも言いましたが」

「んなもん分かってるよ」


 佳奈恵が開けたビニール袋を手に取り、中身が落ちないようにそっと籠の隣にそのビニール袋を慎重に置いてやる。

 そしてもう1度、スチールラックに手を伸ばし、にあるビニール袋を手に取った。


「奥のビニール袋……?」

「そうだ。そして答えを言うが、今手に取ったこのビニール袋。実は、だ」


 そう言ってビニール袋の口を開いた。

 爪を立てることもなく、セロハンテープを剥がす動作を見せたわけでもなく、ただ自然と。本当にビニール袋が開いてたことを見せつけるように。


「ちょ……え?奥にあった……?開封済みが……?」


 そこまでのヒントを得て、佳奈恵の頭の中ではこれまで立てた推理がすべて崩れた。そしてまた別の推理が構築されていく。


 籠の中におしぼりがあったのを前提に、佳奈恵が来る前の龍樹の行動を予測する推理が、次々に構築されていった。


「その感じ、やっと分かってくれたみたいだな?」

「……はい。癪ですけど、私の負けです……」

「んじゃ俺の勝ちってことでこの茶番は終わり」


 ガクッと顔を落とす佳奈恵を横目に、パチンと手を叩いた龍樹は「片付けろ片付けろ〜」と言葉を口にしながら佳奈恵が開けたビニール袋を奥に押し込み、そして元々開いていたビニール袋を手前に入れてやる。


「え、ちょっと待って?どういうこと?私が入れたおしぼりはどこにいったの?」


 数十秒の沈黙を見るに、一応自分なりに考えてみたのだろう。けれど、結局答えは出てこなかった。

 だから、文月は佳奈恵の隣でずっと首を傾げていた。


「あーそうっすよね。ちゃんと答えを知らないと釈然としませんもんね」

「なんで犯人側に同調されないといけないのよ……」

「探偵ごっこは終わりましたのでもう俺は犯人じゃありません」

「はいはいそうね。それでおしぼりはどこにいったの?」


 軽くあしらう文月にこれといった反応を返すこともない龍樹は小さく手招きをし、先ほど入れ込んだビニール袋をもう一度取り出した。

 そして袋の口を開け、籠にあるおしぼりを1つ掴む。


「このおしぼりを昼間のおしぼりと仮定します」

「うん」


 文月の頷きを横目に確認した後、ポトンと袋の中にそのおしぼりを落とす。


 そして半分に折りたたむように袋の口をおしりへと持って行き、形が崩れる前に袋のおしり側を龍樹側に向けてスチールラックに戻した。


「こうすれば一見未開封に見えますよね?」

「み、見えるけど……ちゃんと確かめれば分かるよ?」

「そうです。ちゃんと確かめれば分かりますけど、佳奈恵の身長は148センチ。奥にこの袋があった場合、ちゃんと確かめられますか?」


 佳奈恵が袋を戻す時、下から押し込むようにしていた。つまり、おしぼりのビニール袋の位置に顔が無かった。自分よりも遥か上のビニール袋を取ろうとしていたから引きずり下ろすように袋を取らざるを得なかった。

 故に、奥にあるビニール袋をちゃんと確かめることができなかったのだ。


「……性格わっる……」

「なんでですか。河内さんに取ってもらえば見ることは出来ましたよ?」

「それ込みで性格悪いわぁ……」


「ですかね〜」とまるで照れるように後頭部を擦る龍樹。そんな龍樹に文月はゴミでも見るような目を向け、やっと首を上げた佳奈恵はドンッと龍樹のお腹を叩いた。


「……プリン、奢ってくださいね」

「分かってる分かってる。片付けも終わったし行くか」

「当たり前です」


 見るからに機嫌を損ねている佳奈恵と、見るからに上機嫌の龍樹。今の2人を混ぜ合わせていいのだろうかと不安になる文月なのだが、佳奈恵には嫌がる様子はなく、なんなら探偵ごっこが出来て嬉しいと思えるような表情が見受けられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る