第3話 先輩への詮索と初めてのお客さん

 佳奈恵がまず目を落としたのは龍樹が着ているエプロンのポケット。

 というのも、龍樹のポケットはよく見なくとも膨らんでいた。そしてそのポケットからは白いおしぼりよ袋が少しだけ飛び出している。


 そんな、明らかに入ってますよと言わんばかりのポケットを見ようとも隠そうともしない龍樹の姿を見て、佳奈恵は2つのことを推測した。


 1つ目。

 ポケットに隠しているけれど、おしぼりの袋が飛び出していることに気づいていない。


 2つ目。

 実際には隠してはおらず、私にミスリードを生ませるための罠。


 スッとそのポケットから視線を外した佳奈恵は顎に手を置く。

 そして辺りを見渡した。


(これまでの先輩を思い出すに、後者が正しい。先輩が謎を出すとき、毎回と言っていいほど私にミスリードを生ませようとしてくる)


 今回もそれだろうとひとりでに頷く佳奈恵は半歩後ろに下がり、製氷機へと近づいた。

 怪しいのなら実際に確かめればいい。そんな正論は佳奈恵には届かない。


 今、彼女の役は『女子高生』ではなく『名探偵』。

 名探偵は自分の推理に自信を持ち、手に入れた証拠から真実を導き出す。


 時には確かめることも大切だ。だが、今回のは見え見えのミスリード過ぎたのだ。

 故に、佳奈恵は確かめる素振りを一つも見せず、次の疑わしい場所へと目を向けた。


「確かめなくていいのかい?探偵さん」

「そんな見え見えの嘘には騙されません」

「ほーん?」


 自分の推測に圧倒的自信を持つ佳奈恵に、わざとらしく鼻を鳴らす龍樹は膨らみを帯びたポケットに手を突っ込んだ。


「君がここに来る前に入ってたも知らないのに確認しないと言っていいのかな?」

「……数?」


 その言葉を聞き、訝しむ目を龍樹の顔に向ける。


「そうだ。もしかしたら君の中でおしぼりの数は10個以上――即ち、ポケットに入らない数があったと考えているかもしれない」

「…………」


 そんなの微塵も考えてなかった。なんて言葉は当然口にはできず、ただ口ごもることしかできない。

 核心を突かれたとか図星だとか、そんなのは今の佳奈恵にとっては可愛く見えた。


 なんたって、自分の考え――名探偵の思考よりも、犯人の思考のほうが遙か先に行ってるのだから。

 悔しい。その気持ちで佳奈恵の頭の中は満たされていた。


「お?その感じ考えてなかったんだな?」

「……うるさいです」


 絞り出すような声が黒い床へと落ち、拳を握った佳奈恵はトンっと龍樹のポケットを叩いた。

 個数を数えるわけでもなく、龍樹を殴るわけでもなく、ただその白い袋がおしぼりなのかどうかを確かめるためだけに。


「数えなくていいのか?」

「……この謎に数は必要ありません。私が解いているのはあの籠に入っていたかどうか」

「その答えにたどり着くには必要なんじゃないか?」

「…………そんなことぐらい分かってます。分かってますけど……犯人の助言を聞く名探偵がどこにいるっていうんですか!!


 ぺちゃんこになるポケットにグリグリと力を込める佳奈恵はキッと龍樹を睨む。

 これはただのおままごとに過ぎない。どちらがどう思おうが、正解にたどり着ければそれでいい。道が違っても、目的地にたどり着ければそれでいい。


 されど、佳奈恵は挑戦者。求めてもいないのに出題者が勝手にヒントを与えるというのは野暮が過ぎるのだ。

 考え方によっては犯人が口を滑らしたと思えばいい。が、これはおままごと。

 故に、そんなヘマを龍樹はしない。それを一番わかっているのは佳奈恵自身だ。


「分かった分かった。俺が悪かったからそろそろ他のところに目を向けてくれ」

「……あとでコーヒーの淹れ方教えてくださいね……」

「分かった分かった」


 不貞腐れ気味に唇を尖らせる佳奈恵はポケットから手を離し、次に疑わしい場所――お皿などの下にある戸棚に目を向けた。


 そんな佳奈恵に苦笑を浮かべる龍樹はコーヒー豆を一瞥し、そしてポケットに入っていた大量のおしぼりの『袋』を取り出してゴミ箱に捨てる。


「それ、今日ずっと集めてたんですか?」

「厳密には昨日からだな」

「……暇人ですか?」

「働き者だから持ってるんだ」

「……といいますか、昨日から集めてるのなら数がわからないじゃないですか。そもそもミスリードなら確かめる必要もなかったじゃないですか」

「だな」


 ギロッと垂れる前髪の隙間から龍樹を見上げる佳奈恵に、1度だけ頷く龍樹は2文字の言葉で返す。

 さすれば弄ばれた人間は当然のように眉間にシワを寄せ、龍樹の胸をポコポコと叩き出す。


「ひどいです!私のことをおちょくって楽しいですか!!」

「うん」

「また2文字ですか!もーいいです!私、本気出します!」

「はいはい頑張れ頑張れ」


 心の籠もっていない言葉を耳に入れながら、これ見よがしに腕まくりを披露する佳奈恵は戸棚へと視線を戻し、扉を開いた。


 まず目に入ってきたのは2つのストローの箱。1つは未開封で、もう1つはその箱の上で蓋を開けている。

 その箱の横には使われていないお皿たち。下の段にはコーヒーを淹れるポットがあり、ホコリは1つとしてない。

 そこまで確認し終えた佳奈恵は華奢な腰を上げ、龍樹のことを見上げた。


「分かりました。この名探偵、この謎を解けました!」

「……本当か?」

「本当です!」


 あからさまな訝しむ目を向ける龍樹に、これまた自信満々の佳奈恵は大きく頷いた。

 目に見えないメガネをクイッと人差し指で持ち上げる姿は名探偵――ではなく、背伸びをする子どもを彷彿とさせるが、目を細める龍樹が笑うことはない。


 そんな龍樹に特に首を傾げることもしない佳奈恵は目元にあった手を腰に当て、集まってきた観衆を眺めるように辺りを見渡す。


「……探偵ごっこガチでやるじゃん……」


 円形の席に腰掛けていた文月は遠目から2人のことを見やり、誰もいない空間に呆れのため息を吐く。

 無論、そんな言葉は2人には届いておらず、佳奈恵は口を開いた。


「あの籠におしぼりは――」


 刹那。カランカランと喫茶店の入店を知らせる2つのドアベルが鳴ると同時に、ネクタイを締めたおじさんが扉を潜った。

 慌てて腰を上げる文月は「いらっしゃいませ〜」と言葉を口にし、カウンター内にいた龍樹も表情を戻して同じ言葉を口にする。


「ほら、佳奈恵も」

「あ、い、いらっしゃいませ!」


 推理を止められたから戸惑っているのか。はたまた初めてのお客さんに驚いているのか。きっとどちらも当てはまっているであろう佳奈恵の口からは見て分かる通りの困惑の声。

 されど、元気の良い声はお客さんには好印象だったのだろう。


 周りに誰もいないことを確認したお客さんはカウンターから顔しか出していない佳奈恵を一瞥する。


「親のお手伝いしてるのかな?偉いね〜」


 なんの疑いもない言葉。精錬とした面持ちからは、善意であめちゃんを上げるのではないかと思うほど。


 されど、相手は高校生。義務教育も卒業した立派な高校1年生。小さいことをコンプレックスとした少女にそんな言葉をかけてしまえば、当然怒りは湧いてくる。


 ミステリー脳でアドレナリンが出ているとはいえ――遠回しだったとはいえ、言われたものは言われた。

 だから彼女は作業スペースに手をつき――


「そうなんすよ〜。こいつ俺の妹でしてね?お手伝いをするって聞かなくて聞かなくて……。それで致し方なく母さんに許可を貰ったって感じです」


 佳奈恵よりも先に口を切った龍樹は作り話をでっち上げ、身振り手振りで事情を説明する。


 これがプライベートならば佳奈恵の好きに言わせればよかったのだが、今はバイト中。

 もしここで佳奈恵が怒鳴り、スタッフの印象が悪いと口コミに書かれてしまえば客引きが悪くなるのは目に見えている。

 書かれなくとも、このお客さんのリピートは望ましくなる。故に、龍樹はこの策に出たのだ。


「ほぉ〜。兄妹の仲が良くていいね」

「っすかね〜」


 佳奈惠の肩を組む龍樹と、ふいっと顔を背ける佳奈恵。

 そんな佳奈恵が照れ隠しに見えたのだろう。微笑ましい顔をするお客さんは入口にある新聞紙を手に取り、円形の机を挟んだ先にあるソファーの席に腰を下ろして新聞紙を開く。


「……私、そんなすぐに噛みつきませんけど」

「あの感じは確実に噛みつきに行ってただろ」

「してません。私はいつだって冷静で――」

「はいはいそこまで。佳奈惠ちゃんはお水とかを持っていってくれる?」


 犬のじゃれ合いを止めるように両手を叩く文月はトレーを佳奈恵に差し出し、そして積み重なったコップを指さした。


 短時間に3回も言葉を止められたからか、唇を尖らせる佳奈恵は顰蹙の目を2人に向けてトレーを受け取る。

 そして文月の隣を通ってコップを手に取った。


「一応俺もついて行ったほうがいいっすよね」

「そうだね。お願いできる?」

「もちろんです」


 ピシッと両手両足を揃えた龍樹はその言葉を最後に、文月の隣を通って製氷機へと向かう。


「もしかして付いてくるんですか?」

「当たり前だ」

「……私一人だっていけますよ」

「はいはいそうだな」

「だから子ども扱いしないでくださいよ!」


 尖らせていた口が埋もれるように膨らんでいく頬はそっぽを向き、製氷機から離した手はおしぼりを取ってピッチャーを握る。


 そんな慣れた手つきは本当に人生初めてのバイトか?と疑いたくなる龍樹だが、そんな龍樹を気にも止めない佳奈恵はカウンターを離れていった。


「失礼します。こちらがメニュー表で、お冷とおしぼりです」


 誰が見ても堅苦しい言葉は凝視するトレーに落ち、新聞を閉じたお客さんはそんな佳奈恵を見てフッと声を漏らす。


「ありがとねお嬢ちゃん」

「あ、え、は、はい……」


 龍樹の時とは違い、褒め慣れていない佳奈恵は若干頬を赤らめながらそっぽを向く。

 そんなバイト初心者を横目に、メニュー表をひらいた龍樹は軽く説明を加えて2人はその席を後にした。


「あ、ちなみにこの兄妹設定はこれからも使っていくからよろしく」


 カウンター内に戻り、コンロに火を付けて湯を沸かし始める龍樹はそんな言葉を口にする。

 さすれば当然佳奈恵は目を見開き、


「なんでですか!?嫌ですよ私!先輩の妹なんて!」

「なんでだよ。俺は優しいお兄ちゃんだぞ?」

「絶対嘘です。絶対ネチネチネチネチ揚げ足取ってくるタイプのお兄ちゃんです」

「おい俺のことをなんだと思ってる」

「いじめっ子」

「いじめたことねーよ」


 そんな言葉で会話が終わり、コンロの音と店内に流れる洋風の曲だけが2人の間に残る。


 数十秒が経ち、ケトル内にあるお水が泡が立ち始めた頃。静寂を切り裂くようにお客さんが手を上げた。


「あ、はい。ただいまお伺いします」


 そう言葉を返したのは龍樹。だが、その場所に行くのは龍樹ではなく、練習を兼ねての佳奈恵。

 伝票のこともあってついていこうかと迷った龍樹なのだが、それを静止するように佳奈恵は手を突き出す。


「先輩。こうしましょう」


 そんな言葉で始まり、思わず小首をかしげてしまう龍樹は突き出された手を見下ろす。


「もし、私がおしぼり事件の謎を解けたらこの兄妹設定はキャンセルでお願いします」

「……元々の条件は?」

「それ込みでの条件です。もし私の推理が間違っていたら兄妹設定は続けます。どうですか?」

「まぁ別にいいけど……さっきの様子では絶対に解けんぞ?」

「そうやってまた私にミスリードを生ませようと……。今度は引っかかりませんからね!」

「はいはい分かった分かった」


 自分の推理を捻じ曲げる様子が見られない佳奈恵はニヤリと笑い、適当にあしらう龍樹に背を向けた。

 そしてカウンターを後にし、間抜けにも手ぶらでお客さんの元へと向かっていく佳奈恵。

 さすれば当然注文を取ることができず――


「バカかあいつは……」


 慌てて火を止めた龍樹はピッチャーの横にある伝票とボールペンを手にとって佳奈恵の元へと向かった。

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