結城梨乃 (3)
「ささっ! お喋りはおしまし、おしまい。ほら、作業再開しよ?」
結城さんは顔を上げた。その顔が、ほんのり赤い。
ああ、これは、これが、恋、なのか。きっと、結城さんも同じなのかもしれない。いや、同じだといいな。
などと、現を抜かしていたところ、フッと結城さんの頭が落ちた。髪がフワッと広がって、女の子特有のいい匂いが広がった。しかし、そんな呑気が許されたのも一瞬だった。
結城さんは、前のめりに厚紙の上に倒れこんでいた。頭はぶつけていないだろうが、心配になるような落ち方だった。
「結城さん? 結城さん!」
俺は真っ赤になっている結城さんのおでこに手を当てた。熱い。とてもじゃないが、平熱じゃなさそうだ。
俺は立ちあがり、結城さんを抱きかかえた。お姫様抱っこだが、恥ずかしがっている暇なんてない。しかし、両腕にダイレクトに体重がかかって意外とキツイな、これ。
「結城さん、体調不良です! 保健室行ってきます!」
俺は陸上部の女子四人を地学室に残し、早足で保健室へと向かった。保健室は一階だ。地学室のある二階からいけば、数分とかからないはずだ。
結城さんの安全を第一に考え、階段を一歩ずつ進まないといけないのがもどかしい。階段を降り、一番近い特別教室、それが保健室だった。
結城さんを抱えたまま、器用に保健室の扉を開く。
放課後の保健室は人気が無く、空いていた。まあ、保健室や病院や警察が暇なのはいいことだ。
「すみません。体調不良です」
保健室に滞在しているであろう養護教諭に声をかける。俺の声が聞こえたのか、恰幅のいいおばさんが奥から現れた。
「あらま。ケガ? 病気?」
「発熱、みたいです。風邪かも」
俺は養護教諭が導くままに、ベッドに結城さんを寝かしつけた。
結城さんは意識が朦朧としているようで、呼吸も苦しそうだった。
「女子、ねえ。あなた、名前とクラス、それと彼女との関係を教えて頂戴」
男子が女子を連れてきたのだ。何かしら変な勘ぐりをされているのかもしれない。養護教諭の視線は冷たかった。
「えっと、五味虎守。二年六組。彼女はクラスメイト、です」
今は天文部と生徒会として活動を共にしているが、第三者に説明するにはクラスメイトがちょうど良かった。
「そうなの。分かったわ。あなたは課外活動に戻りなさいな。この子はちゃんと診ておくから」
「分かりました。よろしくお願いします」
俺は結城さんを保健室に残し、状況を好転すべく、地学室へと戻った。
地学室では、陸上部の女子だけでなく、天文部の部員も心配そうに手を止めて、俺たちが帰ってくるのを待っていたようだ。
「結城さんは体調不良で、保健室で休んでいます。結城さんが戻ってきた時の為にも、今は作業を再開させましょう」
俺は精一杯明るく、地学室の皆に声をかけた。
その俺の声を支えてくれるように、陸上部の女子も天文部の部員も、それぞれの仕事へと戻った。
さて、残された俺も、さっきまで二人で星を描いていた厚紙に向かった。この一枚くらいは、完成させないと、結城さんに合わせる顔が無いな。
そう自分を奮い立たせた。
その日、結局日が暮れて、制作の手を止めるまで、結城さんは戻ってこなかった。
俺は結城さんの荷物を持って、保健室へと向かった。
保健室に入る前に、深呼吸を一つして、扉をノックした。
「どうぞー」
声の主は、先ほどの養護教諭のものだった。
俺は静かに扉を開けて、保健室の中へと入った。
「失礼します。結城さんの容体はどうですか?」
「ああ、あなた。ええ、ちょっと連日の疲れが溜まっていただけだから、数時間安静にしていたから、もう大丈夫よ」
俺の姿を確認した養護教諭は、サッと結城さんが使っているベッドのカーテンを捲った。って、おい! 女子の無防備な寝姿を晒す気かよ!
と思ったのも俺の杞憂だったようで、結城さんは仰向けに寝たまま、目を開けていた。安心しつつ、ちょっとだけ残念な気持ちもある。不謹慎だけど。男だし。
「あははー。ゴメンね。五味君に迷惑かけちゃった」
結城さんは努めて明るく振舞っているようだった。
「うん。俺の方こそ気付かなくてゴメン。結城さんが無理してたのは、何となくだけど、知ってたから」
「そっかー。バレてたかー。えへへ」
結城さんが笑ってくれると、俺の心も軽くなった。
「プラネタリウムをね、作れることが決まったのが嬉しかったから。ほら、予算であんなに揉めたでしょ。それでやっと作れるってなったから、張り切っちゃってさ」
「うん。分かるよ」
「それで、今日はどこまで進んだの?」
「予定通り、だよ。東の空の塗料付けは完了。北の空のマーキングが済んだから、明日は北の空の塗料付け」
「私がいなくっても、バッチリだね」
「うん。でも、みんな心配してたよ」
この言葉は嘘じゃない。結城さんがいなくなってからは、陸上部の女子も天文部の部員も仕事の効率がガクッと落ちていた。
「そっか。そっか。うん。反省してます」
結城さんの声は分かりやすく落ち込んでいた。
だから、俺は結城さんを励ました。そこに、下心なんてなかった。ただただ本心から、彼女に笑っていて欲しかったのだ。
「だから、明日からは適当に頑張ってね」
「適当に?」
結城さんが首を傾げる。
「そう。適当に。頑張り過ぎて倒れないくらい、適当に」
俺はゆっくりと、しかし、しっかりと結城さんに釘を刺した。
「うん。分かった。ありがとうね。五味君」
結城さんの状態も把握できたし、明日からはまた活動できそうで良かった。
「じゃあ、俺は先に帰るから。結城さんは――」
「ああ、彼女は私が家まで送るわ。車で。夜遅いと、女の子は心配だものね」
養護教諭、ナイス判断。確かに、日が暮れたこの時間に、女子一人だけで帰らせるのは安心できなかったところだ。
「じゃあ、また明日」
「うん。五味君、また明日」
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