結城梨乃 (1)

 そして、部長会の翌日からは、早速天文部はプラネタリウムの制作に取り掛かった。場所は天文部のホームグラウンドである地学室と地学準備室だ。地学室は普通の教室と同じように机と椅子が鱗状に並んでいるので、それをまずは教室の後ろの方にまとめる作業から始まる。結城さんによると、地学室の掃除は一年生が担当しているらしいのだが、天文部も定期的に掃除を行っているらしく、教室の床に埃は少なく、清潔そうだった。


 天文部の中で再度相談した結果、プラネタリウムは三十二面体の天球を模して段ボールで制作することになった。段ボールを六角形や五角形にカットし、それに黒い厚紙を張り付け、夜空とする。まあ、サッカーボールのような球体をイメージしてもらえば分かりやすいだろう。そして、その一枚一枚に蓄光塗料で星空を描くのだ。そのため、予算はかなり抑えられた。それでも、蓄光塗料や照明器具の購入で数千円程度必要になったのだが、生徒会がカバーできる予算の範囲内だ。


 星空はこの季節、十月下旬の、俺たちの住む地域の空に描かれるものが選ばれた。俺たちの住むこの地方都市は、そこそこ活気があるため、夜でも地上の明かりが強く、星はあまり見えない。そのため、身近な題材として選出されたのだ。


 そして、この季節に見えるらしいオリオン座流星群を模して流れ星を天球に投影するらしい。その流れ星の投影機は、電気部が制作に協力してくれている。と言うよりも、鳳さんが熱心に制作しているらしい。俺の鳳さんのイメージは、後輩の美少女から機械オタクにクラスチェンジしていた。四日、五日で試作機が完成するらしいが、かなりの突貫作業に違いない。本当に電気部部長の日高君に迷惑をかけてなければいいのだが。


「で、何で俺は天文部に? 段ボールをカットしているんだ?」


 俺は今更ながらに結城さんに疑問をぶつけた。


「生徒会長から五味君を戦力として借り受けました。一緒に頑張りましょう!」


 結城さんは呑気に笑っている。


 そう。俺は今、床に広げた長方形の段ボールに、鉛筆で下書きした六角形の形状に長い定規を当てて、注意深くカッターナイフを入れているところだった。つまりは、天文部のプラネタリウム制作の手伝いをしていた。これがなかなか厄介で、ちゃんと設計通りのカッティングが出来ていないと、綺麗な天球にならないらしいのだ。そのため、かなり神経をとがらせた作業が続いていた。


「五味君、集中してねー。それと、ケガだけは気を付けてねー」


 結城さんは俺の方を振り向くことなくエールを送ってくる。結城さんは結城さんで、床に四つん這いになって、俺と同じように段ボールと対面している。制服の胸元に少しだけ隙間ができていて、チラチラと結城さんの白い肌が見え隠れする。そんな結城さんの無防備な姿に、俺はちょっとドキドキした。俺はそっと結城さんから、視線を外しながら、手元の段ボールのカッティング作業に集中する。


 カッティング作業は、俺と結城さんを含め、陸上部から三人ほど力を貸してくれている。先ほどから文句一つ言わずに、集中してカッティング作業に取り組んでくれている。これも波川さんが尽力してくれたおかげだった。この地学室の男女比は男俺一人に対し、女子四人と言う圧倒的桃色空間であったが、各自がかなり高い集中力でカッティング作業に取り組んでいるため、無駄話もほとんどない。


 一方で、元々の天文部の部員は、地学準備室で、もっと繊細な、星の目印付けをしていた。段ボールに貼り付ける黒い厚紙に、星の位置をマークしているのだ。これがなかなか緻密な作業のようで、大きい一等星や二等星は問題が無いのだが、三等星や四等星の位置になるとかなりの精密さが求められているようだ。結城さんによると、四等星までの星の数はおよそ千個で、その半球にあたる五百個ほどの星空を再現する予定らしい。結城さんは意外と野心家のようで、本当は目で見えるギリギリの六等星まで再現したかったらしいのだが、手間が桁違いということで四等星で「妥協」したらしい。


 段ボールのカッティング作業は、五角形と六角形の厚紙を使いまわすことで、かなり効率的に行うことができた。それでも、今日一日は放課後丸々カッティング作業に使ってしまった。日は既に西に沈み、もう時間的にも夜になっていた。


「結城さん。そろそろ今日は解散にしようか?」

「ちょっと待って、五味君。これで、最後、だから」


 結城さんは最後らしい段ボールに、シュッとカッターナイフを走らせた。


 視線を上げると、確かに未処理の段ボールは無くなっていて、陸上部から借りた人材の皆さんも思い思いに休憩を取っていた。


「いやあ、波川さんから話を聞いた時は大変な仕事を持ってきたな、って思ったけど……」

「だよね。でも、練習よりずっと楽だね」

「私、もう文化部に入りなおそうかなー」


 仕事を押し付けるような形になってしまったが、悪い印象は持っていないようで、仕事を回した生徒会としても安心できる。


「よしっと。これで段ボールのカッティング作業は完了だね!」


 結城さんが五角形に切り終えた段ボールをトントンと床に叩き、汚れと埃を落としながら、全員に聞こえる様に宣言した。


「皆さん、ご協力ありがとうございました」


 結城さんは座った姿勢のまま、陸上部女子の方を向いて深く頭を下げる。その恭しい態度に、駄弁っていた陸上部の女子も姿勢を正し、並んで頭を下げた。


「こ、こちらこそ」

「どもっす」

「ありがとうございました」


 そこへ、地学準備室で黒い厚紙へのマーキング作業をやっていた天文部員もひと段落したらしく、地学室に入ってくるなり、結城さんへ声をかけた。


「部長、厚紙へのマーキングですが、東西南北そして天頂の五分割のうち、東の空は終わりました。進捗としては二十パーセントくらいです。後四日はかかりそうです」


 天文部の部員は少しだけ申し訳なさそうであったが、それでも急ピッチで作業を行えているほうだろう。今月中、という結城さんの立てた目標には、十分すぎる進捗だった。


 それを結城さんも承知しているのだろう、返す声は明るい。


「いいよー。繊細な作業だからね。ゆっくりじっくり行こう!」


 その天体部同士のフラットな会話に、俺も提案を引っ提げて混じる。


「結城さん、マーキングが終わった厚紙は、もう段ボールに貼り付けて蓄光塗料塗っちゃっていいんじゃない? ほら、同時並行にさ」


 すると、結城さんはその眩しい笑顔を俺に向けてくれた。疲れているだろうに、その健気で一途な思いは、とても尊いもののように思えた。


「そうだねー! そのほうが効率的だね! 流石は五味君! よく気が付くね!」


 ちょっとだけ、そんな陽気な結城さんの顔を見ると不安がよぎった。ひょっとすると、結城さんはランナーズハイみたいな状態になっているのかもしれない。だとすると、結城さんのペースを調整する役を誰かがやらないと、結城さんはオーバーワークで体調を崩すかもしれない。もちろん、俺の杞憂であればそれに越したことはないのだが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る