私立久保ヶ丘学園高等部生徒会 (4)

 俺はぶつぶつと仕事を続けながら、こっそり女生徒三人の会話に耳を傾ける。面白そうなこと話してないだろうか。


 盗み聞きしてみたところ、波川さんがトークの主導権を握っているようだった。


「それで、エビの尻尾ってゴキブリの羽と同じ成分らしいっすよー」


 女生徒三人の会話だから、色恋沙汰など艶っぽい話かと思えば、なんとも世俗的な会話のようだ。しかし、「ゴキブリ」なんて女生徒、それも学年で一二を争う美少女の口から出てくるとは、意外だ。もっとも、会話のネタとして「ゴキブリの羽」は割とメジャーなので、そっちに対しての驚きはない。


 この生徒会が発足して一週間しか経っていないが、実に新鮮な驚きばかりだった。発足当初は「あんな可愛い子と同じ生徒会に入るなんて」とやっかれもしたが、接してみると三人とも実に庶民的な学生だった。まあ、その容姿から周囲が勝手に持ち上げてしまっている、というのも事実なのだろう。俺も噂で聞いていた彼女たちの人物像は、浮世離れしたものだった。「告白した者の出席番号で大貧民ができる」とか「男子だけでなく女子からもガチ告白された」とか「学校外に強力な支持者がいる」とか。そんな浮ついた噂ばかりだったが、実際の彼女たちはいたって純粋だった。一週間、彼女たちと過ごした感じでは、彼女たちも廉也と同じく特定の異性と交際している様子はなかった。理想が高いのか、それとも既に片想いでもしているのだろうか。


 俺も発足当初は下心が無かったわけではない。しかし、一週間、同じ組織に身を置いてみて、彼女たちは恋愛対象になり得ないと感じている。庶民的ではあるが、自分とは生きる世界が違うのだと、そんな達観が先に立つのだ。なぜだか分からないが。とにかく、彼女たちは同じ生徒会のメンバーとしての親しみはあるが、恋心といったドキドキするような感情は鳴りを潜めていた。このまま潜伏したままなのか、あるいはいつかのタイミングで爆発するのか、それはやっぱり分からない。


「だから、エビフライや海老天で尻尾まで食べる人はゴキブリの羽を食べているのと同じなんっすよー」


 波川さんが元気に話していた。内容はアレだが、彼女の天性の明るさ故か、場の空気は軽い。しかし、その半分がゴキブリの話題だというのに、小原さんや鳳さんが嫌悪したような気配はない。小原さんはゴキブリ相手にも寛容そうだし、鳳さんの家にはそもそもゴキブリなんて出ないのでは、などと下卑た想像をしてしまう。ああ、俺って本当に下賤だなあ。


「キチン質ですね。悪玉コレステロールや塩分の排出効果があり、サプリメントも市販されているそうですよ」


 意外と博識な小原さんの返答。その言葉も大らかだ。ということは小原さんは――。


「私は食べますよ。エビの尻尾。パリパリして美味しいです」

「ええー。マジっすか。意外っす」


 小原さんは「ふふふ」と微笑しながら、波川さんの驚嘆に応える。


「そうですか? でも、キチン質はキノコの細胞壁の主成分でもありますから、そんなに嫌悪する必要はないと思いますよ?」


 確かに、ゴキブリの羽と同じと言われれば遠慮してしまうが、キノコと同じと言われれば食べれるような気がする。


 波川さんははしゃいだように、会話の矛先を鳳さんへと向けた。


「由紀恵ちゃんは?」

「私も、食べます」


 静かに、しかし、しっかりと鳳さんは自分の意見を述べた。その声量は決して大きくはないのだが、遠く、どこにいても聞こえそうなほど凛とした声だった。


 そうか、小原さんも鳳さんも、エビの尻尾を食べるのか。意外だ。特に鳳さんなんて、エビの尻尾は調理段階で取り除かれた料理を食べていそうなのに。


「ええー。私、少数派ー! マイノリティー! センパイ、五味センパイは食べるっすか、エビの尻尾?」


 話が急に俺の方に飛躍してきた。


 俺はさも、今気づきましたという風に「え? 俺?」と見え透いた小芝居を打ち、会話に加わる。


「エビの尻尾? 食べるか、だって? 俺は食わん。アレは魚の鱗と一緒だ。外敵から守るものであって、食べるものじゃないってのが俺の持論」


 すると波川さんは味方を得たり、といった感じで嬉しそうにはにかんだ。その笑顔が眩しい。


「よーし。これで二対二っすよ。で、会長はどーなんす? エビの尻尾、食べるっすか?」


 廉也はまだグラウンドの方を見つめていたが、波川さんの言葉に、その視線を生徒会室の中へと向けた。身体と頭は依然として生徒会室の外を向いている。


「僕は甲殻類アレルギーだからエビもカニも食べられないよ。残念ながらね」


 そうか。廉也に嫌がらせをするなら、甲殻類を使えばいいのか。いや、それは流石に陰湿かな。


 端的に波川さんの問いに返事をすると、再びグラウンドの方へとそそくさと視線を戻した。本当に何か面白いものがあるのか? 野球部のノックとか、サッカー部のシュート練習とか、そんないつもの放課後と変わり映えしない景色しかないんじゃないか?


「くうう。そうっすかー」


 若干納得出来ず、悔しそうな波川さんだが、小原さんが両手をパンと打ち鳴らし、まとめに入った。


「そうねえ。でもまあ、エビの尻尾を食べる食べないは同程度の支持率ってことで、結論としましょう。ね、真美ちゃん?」


 流石は全久保ヶ丘学園生の姉である。そのやや強引な決着のつけ方は、惹かれるところがある。


「むー。少し納得いかないっすけど、雪花センパイがそういうなら、落としどころにするっす」


 ムスッと頬を膨らますその様は、本当に子犬のような愛らしさがあった。まったく、モテるはずだ。


「じゃあ、じゃあ刺身のツマはどうっすか? これもよく食べる食べない論争の話題になるんすけど」


 波川さんは次の話題に移った。五月晴れのような清々しさは、見ていて非常に気持ちがいい。


 俺も仕事の手を再開させ、次の予算案に目を通す。


「吹奏楽部。春のコンクールで全国大会に出場。部員は各学年十人以上。うん、実績も活動頻度も久保ヶ丘学園への貢献度も最大クラスだな。予算案は一割の増額。……謙虚だな。っと、一昨年に結構な金額を前借しているのか。使用用途は遠征費、ねえ」


「虎守。吹奏楽部か?」


 また廉也だ。いちいち声を掛けられると、仕事が滞るのだが、まあ、無視をするわけにもいかない、か。


 俺は予算案から目を外し、廉也の様子を窺った。長く伸びた前髪を弄りながら、廉也は俺の反応を待っていた。


「そうだ。予算案は一割の増額だ」


 俺の返答内容に満足したのか、廉也は「うんうん」と頷きながら、「妥当だな。吹奏楽部の奏でるシンフォニーは極めて完成度が高い」と吹奏楽部を褒めた。


 しかし、そんな廉也の評価も極めて眉唾物である。故に俺は廉也に言及した。


「廉也、お前、楽器、演奏できたっけ?」

「……」


 無言が廉也の返答だった。楽器の演奏経験はほとんど無いようだ。


 まあ、俺だって人のことは言えない。楽器と言えば学校で習った鍵盤ハーモニカとリコーダーくらいしか触ったことが無い。それでも、音楽の良し悪しはそれとなく感覚で分かってしまうものだ。もちろん、採点をつけるほど偉くも有識でもないのだけれど。


 でも、ああ、くそ。ムカつく。仕事の手を適当なタイミングで止められては捗らないにもほどがある。ブサイクならビンタの一発でもお見舞いして黙らしてやりたいものだ。もちろん、廉也のファンクラブに睨まれるし、平和主義の俺はそんなことはしない。


「フンフンフーン、フンフンフーン」


 廉也は目を閉じて遠くから聞こえてくる吹奏楽部の音色にシンクロした。しかし、ひどく音が外れていて、廉也の音痴を晒すだけだった。先ほどまで薄っすらと聞こえていた吹奏楽部のバックグラウンドミュージックも、廉也が入ることで雑音と化してしまった。これでもファンクラブからしたら鼻血ものの絵面らしいのだが、本当だろうか?


 そんな生徒会のいつもの空気の中、コンコンコンと扉をノックする音が響いた。


 外来の相手も俺の仕事の範疇だ。


「はーい。空いてますよー。どうぞー」


 俺は声高に返答し、生徒会室の扉の前まで行き、客人を迎える準備をした。


 生徒会室の扉を開けて入ってきたのは、天文部部長で、同じクラスの結城梨乃だった。




―・―・―・―・―・―・―・―・―・―


お読みいただきありがとうございます。


面白い作品となるように尽力いたします。


今後ともよろしくお願いします。


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