聖は死を覚悟した。でも、天子様は「そんなことはない。この彫刻はまさに名人の技である。もし、棟梁の言うように心がなく、からっぽであり、御殿を守護するための御神像としては役に立たないというのなら、御神像ではなくただの彫刻として、この像を飾ろう。御神像はまた彫ればよい。それでよいな」と天子様はいった。もちろん、天子様がそういうのなら、誰もだめだとは言わなかった。

 その天子様のお言葉を聞いたときに、聖の全身はぶるっと震えた。

「聖」と天子様は言った。

「はい。天子様」とずっと砂利の敷き詰められた地面の上に正座をして、深く頭を下げている聖はそのままの姿勢で言った。(まだ、少しだけ体が震えていた)

「心とは難しいな。君ほどの腕があっても、まだ彫れないものがあるのだという。御殿を守護し、都を守護し、国を守護する。わたしはまだまだなにも守れていない。聖。君もまだまだだ。お互いまだまだなのだ。わたしも君も死ねないな。まだ生きているうちにやらなければいけないことが山のようにある」と天子様は笑って言った。(天子様がお笑いになるのを、周囲の人たちは慌ててお諫めしていた)

 聖は泣きながら、天子様のお言葉を聞いていた。

 ありがとうございます。天子様。と聖は言おうとした。でも、それは言葉にすることができなかった。そうして聖が頭を下げているうちに天子様は御殿の中にお戻りになってしまった。そのあとも、ずっと、聖はそこで頭を下げ続けて泣いていた。

 聖は無事に家に帰ってくることができた。白鹿の姫のいるお家に。もう二度と帰ってくることができないと思っていた場所に帰ってくることができたのだった。

 そして、「あ、おかえりなさい! お師匠さま!」と笑顔で言ってくれる白鹿の姫を抱きしめながら、「……、ありがとう」というと、聖はその日をもって彫刻家を引退することにした。

 わたしには神様は見えない。そして、生涯最高の彫刻を彫ることもできた。もうわたしは満たされた。そしてわたしにはわたしのことを待っていてくれる人がいるのだ。これからは白鹿の姫のために生きよう。と聖は思った。

 聖は自分の決意を都の親方にお話しして、都の工房をあとにした。そして、都の親方のご厚意でずっと住まわせてもらっていた空き家を出て、(白鹿の姫と一緒に全部、綺麗に掃除をした。最後に家をでるときに二人で「おせわになりました」と言って頭を下げた)白鹿の姫と一緒に都を去り、そして、故郷の村へと帰ることにしたのだった。

「お師匠さまの生まれた故郷を見るの、わたし、今からずっごく楽しみです!」と聖と手をつないで歩いている白鹿の姫は楽しそうな声で聖の顔を見上げて(都の聖の彫った朱雀が、ほかの彫刻家の彫ったたくさんの彫刻と一緒に飾ってある正門をでたところで)聖に言った。

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